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日韓歴史問題について

四宮正貴


日韓併合の精神は植民地支配ではなかった

 韓国は江華島条約(明治八年)から日韓併合(同四十三年)に至るまでの歴史を、一貫して日本の計画的意図に基づく侵略と見ているが、このような史観は我々日本人には到底受け入れることはできない。明治の父祖が心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして祖国の独立を守り抜くかということであった。そして隣接する朝鮮とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全を脅かされるものであった。日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、『朝鮮独立』を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。朝鮮併合の翌年、支那に辛亥革命が起こり清朝が滅亡している。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。今日の朝鮮においても、南北ともに「一族政治」が残っている。北朝鮮などはまさに金日成一族の専制支配国家である。

日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。そうした朝鮮が、日本との併合によって、解体することも混乱することもなく安定し安泰を得たのである。

 日露戦後、韓国は「日韓協約」により我が国の保護国とされ、伊藤博文公が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文公の態度は今日批判を受けているが、その伊藤公も本心は韓国韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語った。

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、大きな誤解によって、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合に至るのである。

 日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合の精神は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん)じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたことによって明白である。

 従って、日本国民は、朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱れ切っていた李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近くやって来た。その上毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行った。それによって韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 もちろん、韓国人の独立運動も国内外において続けられたが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

 

江藤隆美氏の至極当たり前の歴史観

 平成七年十月十一日に「日韓併合は強制的だったとする村山富市首相の発言は間違っている」として、村山内閣の閣僚である江藤隆美総務庁長官が、「日本の朝鮮植民地支配にもいいことをした」と発言して辞任に追い込まれたことがあった。江藤氏の発言はほぼ次のようなものあったと伝えられる。

 「各国の条約というのは、同等の力があるところが結ぶとは限らない。日米航空交渉でもその通り。…みんな強い弱いで他に方法がありませんから。直接脅かされれば心理的圧迫、政治的な圧迫だってみんなそうですね。あの時は俺の国は弱くてね、やっつけられた時だから、それは仕方がなかった。あれは(日韓併合条約)は無効だと言い始めたらね。ただ、日韓併合というのは、もしまず第一に責めが問われるとするなら、その当時にハンコを押した首相の李完用だ。嫌なら拒絶すればよかった。日本も悪かった。日本も強引にハンコを押さしたものだから、軍を全国に配置して決して暴動が起こらないようにして、一週間後に(条約を)発表した。それは町村合併でも血の雨を降らして争うことが全国で数え切れないぐらいあった。ましてや異民族を統合することは、それは反対があるのは当たり前のことです。だけど日本もいいこともしたんですよ。高等農林学校も作りました。ソウルには帝国大学も作りました。そういう意味では教育水準を上げたわけです。これまでは全く教育というものはなかったわけですから。道路、水道、港湾整備、山に木を植えた。しかし、誇り高き民族に対する配慮を欠いたことも事実。それが今、尾を引いているわけです。その一番のものは創氏改名。…朝鮮人名で何人も勉強しとった。全部の国民に創氏改名をやらしたとは思わない。そのままの名前で陸軍中将になった方もある。だけど誤ったのは土地政策だ。台帳がなかったから土地台帳を作った。一般の百姓は無学だ。…貴族階級にあたる両班層と日本から行った奴らが自分の土地にした。その最たるものが細川の祖先じゃないか。一千町も自分のものにしやがった。…創氏改名だとか、私は嫌だという人に強制したことはあり得るだろうと思う。あるいは土地政策で心ないものが朝鮮人蔑視の言動をした。深く民族の誇りを傷つけてしまった。…だから朝鮮の統治については日本は極めて数々の失敗を犯した。幼稚で無策であったということではないか。民族の誇りを傷つけたのが一番悪い。…日本人から見ればあそこ(朝鮮半島)は決して植民地という意識はない。内地、外地と言いましてね。それは内地の水準に高めようとしたんですよ。李王朝の金銀財宝を日本に以て来て飾っとく気はない。ルーブル美術館や大英博物館は世界中からかっぱらって、日本は中国からも韓国からもそういうことをしておらん。軍を持っていって領土占領して金銀財宝を奪い取ってその国民を奴隷とすることが、侵略戦争。国際法読んでごらん。…朝鮮植民地政策を江藤長官が正当化したと言うなよ。歴史は学ばなければいけない。…日本にしてはあらゆる階層で韓国が活躍できるようになったのは、日韓併合の効果と言えるかもしれん。ワシら小さいころから同じ学校で勉強をずっとしてきた。だから、そういうような民族の差別意識は生まれながらにしてない」。

 この発言は至極当たり前の歴史認識であって、日本人にとって不満がありこそすれ、日本の韓国統治を無批判に美化している発言ではない。韓国側が問題にする必要は更々ないものである。

 オフレコ発言を問題の起こりやすいようにつなぎ合わせて編集し、外国に売りつけた日本人記者は売国奴である。

 

『日韓併合条約』は法的に有効に成立している

 『日韓併合条約』は「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約である」いう見方がある。また韓国は強制された条約は無効だと言っている。しかし過去においてもまた今日においても完全に対等関係で結ばれた条約などありはしない。日米安保条約も日米両国が完全に対等な関係で締結されている条約ではない。

 そもそも『日韓併合条約』は、十九〜二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれをすすめ、支持したものであり、当時韓国内に百万人の会員がいた一進会が推進し、韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に併合嘆願書や韓国十三道からの併合嘆願書を提出した。また、皇帝の御沙汰書により内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 また当時の国際法では条約締結時に政府代表に直接明白な強制がない限り、その条約は正当対等に成立したものとされたのである。日韓併合は法的形式的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。『日韓併合条約』は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。また日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではないのである。

 韓国側の国民感情からの主張はあったとしても、過去の歴史的事実を今日ただ今の価値観・倫理観・国際常識・国際法から全てを否定し去るのは歴史の隠蔽であり、時代錯誤である。歴史を直視すべきは日本ではなく韓国である。

 もちろん、当時の日本が朝鮮半島および朝鮮民族の為のみに利他的に朝鮮を併合・統治し近代化したと主張するものではない。朝鮮のためという面もあったが、その半面日本は日本の国益のため、日本の独立維持と安全のために朝鮮半島を併合した。しかし、日本の国益のための朝鮮併合・統治であったから、朝鮮の利益は全く無かったというのは誤りである。そうした主張は、アメリカが朝鮮戦争に参戦したのは共産主義の侵略阻止というアメリカの国益のためという側面もあったから韓国のためには一切役立っていないというのと同じ議論であり、きわめて一方的である。歴史は学問であり政治外交問題ではない

 日本には日本の歴史があり、父祖が心血をそそいだ光輝ある歴史は、我々自身が守り抜かねばならない。韓国には韓国の歴史観と立場があるように、日本にも日本の歴史観と立場がある。それを認め合うことが日韓友好の第一歩である。

 日本でも韓国でも、両国の友好親善を願う人々は多い。しかしながら相互に率直に意見や主張を開陳し検討し理解し合う雰囲気が規制されているのは不幸なことである。韓国では、歴史を直視した意見・理性的な主張は『親日的』として糾弾されるため沈黙させられている。

 日本においても、韓国においても、とりわけ歴史認識においては多様な意見が存在するのは、それだけ健全にして開かれた世の中であることを示すものなのである。日本の行なった事は全て罪悪行為であったとして卑屈に謝罪することは、百害あって一利なしである。韓国側は韓国自身の考えている歴史認識のみを「正しい歴史認識」として日本に一方的に押しつけるだけであって、日本側の歴史認識はほとんど無視される。これでは共通の歴史認識を日韓両国が持つことは不可能である。水掛け論をくり返すだけである。

 『言論・思想の自由』『学問研究の自由』は、自由国家の最も重要な柱である。外国が日本人の歴史観にまで干渉することは絶対に許してはならない。歴史は学問であって政治や外交問題ではない。正しい歴史とは何かを、政治や外国からの干渉によって決めることがあってはならない。  

わが国は朝鮮半島を植民地支配したのではない。欧米列強による植民地支配は、宗主国の利益のためにその地域の産出物を強奪し、現地の人々に奴隷の如くあるいは文字通り奴隷として酷使し、教育も施さず、愚民化政策を取り続けた。西欧列強の植民地政策はまさに侵略であり搾取であった。インド・フィリッピン・インドネシアなどで米英蘭が行った植民地支配はその典型である。もしもわが国が朝鮮統治を行わなかったら、朝鮮半島はロシアの植民地となりそのような悲惨な運命に陥ったであろう。

 これに対して、わが国は三十六年間の朝鮮統治時代に、わが国内から多額の資金・人材・技術・物資を投入し、日本統治以前は疲弊しロシアや支那の属国と化していた朝鮮の近代化・進歩発展に努力したのである。港湾・道路・鉄道・橋・堤防の建設、植林・医療・郵便・電信電話・ガスの整備、治安維持、教育の普及など、朝鮮の繁栄と発展そして朝鮮民衆の幸福のための諸施策を断行したのである。また、朝鮮に住む人々は日本国民として待遇されたのである。

これは殖産事業・拓殖事業或いは安民投資政策というべきものであって、断じて西欧流の植民地支配ではない。長い朝鮮史において日本統治時代くらい平和で安穏で繁栄した時代はなかったと言っていい。その証拠に、日本統治開始時には千五百万足らずであった朝鮮の人口は、終戦時には三千万になっていたのである。

最近の韓国の態度は「韓国は日本による韓国統治の恨みを晴らすために日本を占領し植民地としなれけばならないと考えている」と思いたくなる。

 

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