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やまとうたのこころ 名歌鑑賞 第十四回

四宮正貴

 

ますらをの かなしきいのち つみかさね  つみかさねまもる やまとしまねを

三井甲之 

 わが國の多くの先人たちは様々な國難や災害に際して、祖國日本は永遠のものと信じ、祖國のために貴い生命が捧げた。また、さういふ祖國に身を捧げる人々がをられたからこそ祖國は今日の日本があるのである。 

この歌は、昭和二年に詠まれた歌であり、戦時下で戦争を謳歌した歌ではない。長い祖國の歴史の中で祖國に身を捧げたますらをたちの悲しみに作者自身が一体化せんとしてゐる歌である。

 三井甲之は、伊藤左千夫門下であり、斎藤茂吉と同時代の人である。茂吉とはお互ひに強く意識し合った仲であったといふ。しかし、今日、三井甲之のことはあまり高く評価されてゐない。といふよりも無視されてゐる。

一方、戦後を代表する歌人の一人とされる寺山修司には、

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや」

といふ歌がある。この歌は三井甲之の歌と対極にあると論じた人がゐた。どなたであったか今は思ひ出せない。

昭和十年生まれで、終戦の時、十歳であった寺山修司は、祖國を喪失してゐたのであらうか。あるいはさうかもしれない。しかし、祖國は永遠である。いかに本人が否定し、喪失したと思ってゐても、否定することも喪失することもできない存在が祖國である。

 また、祖國を永遠たらしめるために多くの人々は身を捨て命を捧げたのである。

大東亜戦争のおいて多くの若者たちは海を越えて戦地に赴いた。そして、敵に沈められた輸送船に乗ってゐた兵士たちも、敵艦に体当たりすることができずに死んでいった特攻隊員も、海の底に沈んでゐる。小生は寺山の「海に霧ふかし」といふ言葉にさういふことを連想した。

 戦争は無い方が良いに決まってゐる。しかし、祖國といふかけがへのない存在を命懸けで守ることまで否定してはならないと思ふ。

 野村秋介氏は、平成五年十月二十日朝日新聞社で自決された時の遺書『天の怒りか地の声か』において、

「私は寺山修司の『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや』という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころひとつに至るまで私にとっては、すべて祖國そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う。…」(仮名遣ひ原文のまま)と述べてをられる。

わが國は、戦後半世紀以上にわたって、國のために身を捧げるとか、天皇に忠節を尽くすといふ精神を否定してきた。その結果が今日の体たらくである、と私は思ふ。さういふ意味では、「身捨つるほどの祖國」など無いと思ってゐる人が多いのは事実であらう。

しかし、歴史と伝統の國日本、麗しい祖國日本は、「絶対に護り抜かねばならない存在」であり「ありやなしや」などと問ふべき存在ではないと思ふ。

現実に祖國が存在し、そこに親兄弟同胞が生き、美しい自然があり、麗しい伝統がいきづいてゐる以上、護る決意を持つのがその國に生きる人間の自然の感情ではないだらうか。かかる自然な感情まで「軍國主義」「戦争肯定」などと言って否定したらそれこそ祖國は無くなってしまふと思ふ。

三井甲之のこの歌の歌碑が山梨県中巨摩郡竜王町篠崎の山県神社の境内に建立されてゐる。

三井甲之=明治十六年(一八八三)、山梨県甲府に生れ。昭和二十八年(一九五三)に逝去。歌人。一高を経て東大國文科を卒業。

 

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