女王の統属する範囲

要旨
女王の統属する範囲は、西は、対馬、壱岐を含む九州北部と九州東側。
東は東海あたりまで。
狗奴国との境界は琵琶湖北岸、余呉と北陸の間。
この範囲が「オオヤマト」で「倭国」なのである。

 『魏志倭人伝』の記述と、三世紀後半から四世紀前半に出現する前方後円墳の出現地域を重ね合わせると、上のような、女王の統属する地域が想定できる。
私は、出雲と東海の一部も女王の影響下にあつたと考えている。

それでは、この範囲は何とよばれたかである。
たぶん「オオヤマト」であろう。すなわち「ヤマト」と称された邪馬台国が統属する地域が「オオヤマト」なのである。

ただし邪馬台国がこの西日本全域を直接支配していたわけではない。
あくまでこの地域の王権に、政治的影響力を持っていたというのが私の見解である。

『後漢書』倭伝は「国皆称王。世世伝統。其大倭王居邪馬台国。」と記す。
「国皆王を称す」というように地域王権が存在している。
邪馬台国の女王卑弥呼は、西日本諸国のこれらの地域王権を統属する大倭王なのである。

邪馬台国すなわち「大和の国」が直接支配するのは、畿内と呼ばれた兵庫県東南部、大阪府、京都府南部と奈良県の全域である。ここが戸数七万戸の邪馬台国である。

また邪馬台国と敵対していた狗奴国は、陸(くが)国で北陸にあった国であろう。
卑弥呼の時代、灘升米すなわち梨迹臣が琵琶湖の北岸、余呉にいて狗奴国と対峙しているのである。


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