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邪馬台国所在地論(畿内説)
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| 中国西晋の時代に、陳寿という人が、『三国志』という歴史書を著した。魏、呉、蜀三国時代60年間を記した、全65巻に及ぶ歴史書である。その完成は280年代とされる。 その中の、「卷三十、魏書」「烏丸・鮮卑・東夷伝」倭人の条に、三世紀中ごろの、日本列島についてと、おもわれる記述がある。通称『魏志倭人伝』と言われる二千文字程度の記述である。 そこには、女王卑弥呼の都がある、邪馬台国が在ったと記されている。しかしこの邪馬台国の場所について、さまざまな解釈があり、今なおその場所について、完全な一致を見ていない。 たかが古い時代の、一つの場所ではあるが、日本という国家成立に関わる重要な問題を含む。 そこで皆さんを、邪馬台国の場所探しを中心にした、魏志倭人伝なぞ解きの旅に、お誘いする。 総数38ページにつき、時間のない方は、「第三章 邪馬台国への道」へお進みください。 結論のみ一べつしたい方は 第三章邪馬台国の場所と第四章女王の統属する範囲 をクリックして下さい。 また各ページに、要旨を付しております。要旨のみ、拾い読みしていただいて結構です。 一章 植生からみた邪馬台国の場所 (1)魏志倭人伝に記された植物。 (2)植生図 (3)奈良盆地の植生ではない。 (4)観察記録があつた。 二章 異国を記した日記 (1)朝鮮通信使の日記 (2)『日本往還日記』の抜粋 (3)魏志倭人伝と『日本往還日記』、その航海の比較 (4)類似する構成。 (5)もう一つの紀行日記、『周海日記』 (6)魏志倭人伝を読むにあたって 三章 邪馬台国への道 (1)「郡から邪馬台国への道」 (2)魏志倭人伝の記述は信頼できるか? (3)帯方郡から奴国まで (4)方位には一定の方向に誤差がある (5)里程は異常に過大である (6)距離の推定は誰が行ったか(2001年2月改訂) (7)距離をどのようにして推定したか (8)距離の推定に用いた速度 (9)飯塚市や宇美は不弥国ではない (10)不弥国は津屋崎町あたりである (11)瀬戸内海航路の投馬国 (12)「陸行一月」の解釈 (13)邪馬台国の場所 (14)邪馬台国の場所探しは、なぜ混乱したか 四章 三世紀の倭 邪馬台国の範囲 (1)戸数は信頼できるか (2)畿内および平城京の人口 (3)箸墓築造に動員された地域 (4)上陸地点の国名 (5)植生の疑問 (6)邪馬台国の範囲 女王国の支配地域 (7)倭とよばれる地域 (8)伊都国に治す「一大率」 (9)女王国の境界盡るところ (10)墳丘墓から見た女王国の支配地域 (11)狗奴国の場所 (12)出雲と房総は女王に統属するか? (13)女王の統属する範囲 邪馬台国のイメージ (14)連合国家ではない (15)「宮室」という女王の館 (16)倭国の体制 おわりに |
1998年6月「三章、邪馬台国への道」初稿公開。1999年8月加筆、修正
1999年9月 一、二章を加筆して「魏志倭人伝なぞ解きの旅」として公開
2000年3月 四章を追加
2000年11月 四章に加筆
2000年12月 四章(11・12・13)を加筆
2002年4月 三章(13)邪馬台国の場所書換え
2002年8月 (16)追加
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