彼はバンコクで働いていたので、知り合いの日本人も多かった、我々の事情を知った彼は、いい人がいるから明日紹介してくれると言う、次の日、ホテルを引き払った我々は、彼に連れられ石原さんという駐在員の自宅へ連れて行かれた、彼が我々の事情を石原さんに説明してくれる、ありがたい事に3食昼寝付き洗濯まで付いて居候させてもらえる事になった。
シンガポールといいバンコクの「花屋」での事といい、本当に運がいい、これもインドの神のおかげだろう。
そういえば「花屋」での会計はどうしたのだろうか、払ったとは思えないので、改めてお礼を言う、石原さんを紹介してもらった事で随分と助かっている、以後バンコクに数ヶ月間住めたのもそのおかげだ。
マレーシア国境が閉じられたのは1969年の4月末だと思う、選挙で中国系の人物(名前は忘れた)が当選し、マレー系の人達がそれを不服とし暴れたためだ。
タイから陸路出国というと、マレーシア、カンボジア、ラオス、ビルマ(ミャンマー)があるが、ラオスは上記の理由で考えてもいなかった、ビルマは反対側だし、カンボジアも危ない、そうなると南下してシンガポールしか行き場はない、その直前の出来事だったので非常に焦った、また日本へ帰るチャンスがなくなってしまったのだ。
当時のビエンチャンには、特に私を楽しませる様なものは何も無かった、終日ホテル近辺をウロウロして過ごした、アヌーホテルというホテルを定宿としていた私はそこのコーヒーショップへよく入り浸っていた、そこには海外青年協力隊の人達もよく出入りしていた
ので会う事も多かった。













