ここまでの記憶しかない、この後どうしたんだろうバイクに乗ったのだろうか。
ドイツからデンマークのコペンハーゲンまでは列車を使っている(左の切符)、ハンブルグの北から対岸のデンマークまで列車ごとフェリーで運ばれた、その列車でアメリカ人の旅行者と同じコンパーメントになった、彼女とは大して話もしなかった様に思う、2人きりだったのに、フェリーが動き始めると、彼女はリュックからパンと缶詰を出し、私に、食べてもいいよ、デッキに出て来るからとコンパートメントを出て行った、缶詰にはなんだらペーストと書いてあるが、私には何だか判らなかった、開けてみるといい匂いだ、パンに塗って食べる、うまい、瞬く間に缶詰は空になってしまった、みんな食べちゃったの、帰って来た彼女は呆れたような、怒ったような顔をしていた。
色々な乗り物をヒッチハイクした、車、バイク、自転車、船、インドじゃ牛車ってのもあった、しかし私にはヒッチハイクというのは向いていない、やはり乗せてもらうからにはそれなりの作法があると思う、私の様に語学力のない者はどうしても沈黙という時間が長くなる、乗る方も、乗せる方も一人ということになると、社交性のある無しが大きくものをいう、私にはそれが欠けているので長時間となると非常に苦痛なものとなる、もっとも大部分が物価の安い所にいたのでヒッチハイクの必要性は少なかったのが助かった。
ある日本人から聞いた話だが、彼はアメリカから帰国するのに港をウロウロして日本行きの船を捜した、韓国、日本と回る貨物船に乗せてもらえる事になったが、韓国まで行ったところで日本から載せる貨物がキャンセル、またアメリカにもどってしまったという、なぜ韓国で降りなかったの、と訊いたら、せっかく日本までタダで帰れるはずだったのに、悔しいだろ、との答えだった、その後どうやってアメリカから出たのかは訊かなかった。
ヨーロッパではほとんどがYH(ユースホステル)を使った、とりわけドイツのユースはきびしかった、朝、何時だったか忘れたが「グーテンモーゲン 々」と無理やり起こされる、その後夕方まで入れない、この格好だから、頼むからいらせてくれと言っても、お前は何しにドイツへ来た、観光、観光ってのは見て歩くもんだ、で追い出された。 ドイツはYH発祥の地(?)と聞いた。