大坂城

豊臣秀吉期大坂城


『大坂城本丸図』

豊臣秀吉が築いた大坂城

 豊臣秀吉が築いた大坂城は現在の大坂城とほぼ同じ位置にありますが、大坂夏の陣で大半を焼失、その後地中深く埋められ現在はその遺構を見ることは出来ません。
 この図は豊臣秀吉期の大坂城を示しています。縄張りは黒田官兵衛孝高が担当、非常に実戦的なものでした。
大坂城はのちに徳川秀忠期に再建されましたがその天守も焼失。御殿の多くも幕末期に焼失しました。
 現在見られる大阪城は、この徳川期の大坂城の遺構の上に、豊臣秀吉が築いた大坂城の天守を模したものを載せた(それも歴史学的に見てもあまり正確ではない)非常にぞんざいなものとなってしまっています。


判明している名称を追加しました。


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Revised 5/9/2014

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