「タイタニック」
映画

まえがき
 何を今さら、と思われるでしょうが「タイタニック」です。以前、とある掲示板でこの作品がけなされていたので、悔しくなって書いてみました。別に、そこに投稿するというわけではないんですけどね。
 ぶっちゃけた話、私はタイタニックという映画が大好きです。この作品が描いたものは何だったのか……テーマや構成から自分なりの捉え方を書き綴ってみます。
 なお、この文章は「別冊宝島/シナリオ入門(シド・フィールド著)」の分析法を参考にして書かれています。映画を色々な視点から見たいという人には、一読をお勧めします。面白いですよ。


 まずはオープニング。タイタニックでは老婆・ローズが過去を回想する(語る)という形をとっている。これは単に変わった始め方で観客の興味を引くという、それだけの理由ではない。後々、映画のテーマに通じる深い意味を持つことになるシーンだ。

 続いて、ローズとジャックの出会い。ローズが海に身を投げようとしている。それを救ったのがジャックである。彼女は自殺の意志を否定するが、実際は彼が現れなければどうなったかわからない。ここで重要なのは、「ローズは自殺を真剣に考えるほど追いつめられた、弱い女性」であるということだ。
 彼女を悩ませていたのは、富豪社会の束縛である。許嫁、社交儀礼……あらゆる締め付けが彼女を追いつめている。そこに現れたジャックは、奔放で逞しく、彼女をリードし新しい体験をさせてくれる。ローズが惹かれていったのも無理はないといえる。
 2人の仲は次第に深くなっていく。

 物語は進み、ある興味深いシーンが出てくる。ローズが母にドレスの紐を締めてもらう場面である。会話もさることながら、ここで注目したいのは、強く締められた紐にローズが顔をしかめるところだろう。ジャックとの出会いで彼女の心は躍ったが、周囲の環境――厳しい束縛は全く変わらずそこにあるという事実を視覚的に表現したシーンである。ドレスは言うまでもなく、富裕階級のメタファーだ。

 時間的に作品のほぼ中間で、劇的な転換点が訪れる。タイタニック号の氷山衝突である。これによって「ジャックとローズが恋に落ちる」前半部分から、「沈みゆく船を舞台にした、ふたりの愛の行方」という後半部分へと物語は進んでいくことになる。

 まさに船が沈もうというときなのに、演奏家たち格好良すぎるぞとか、船長男らしいぞとか……そういう意見は横に置く。ジャックとローズの生き方(行動)と、様々な人間のそれとを対比させているとも考えられるが、ここではあくまでふたりに焦点を合わせたい。
 ボートで脱出するように促されたローズはそれを拒否し、ジャックと運命を共にする道を選ぶ。婚約者にもここで別れを告げることになる。彼女のジャックへの愛を認識させる部分だが、同時に富裕階級への決別と受け取ってもいいだろう。彼女は命を懸けて束縛をうち破ったのだ。

 やがて船は沈没し、ふたりは極寒の海へ投げ出される。ジャックはローズを板切れへ押し上げ、自身は海水に身を晒す。そしてローズを励まし続けた彼は、ついに力尽きるのである。
 ここでローズは彼の手を木切れから引き剥がし、自らの手で海中に沈めてしまう。「ひどい女だ、蘇生くらい試みてもいいじゃないか」と思った人もいるかもしれない。しかし、この行動はテーマと深く結びついた重要なポイントなのである。前述のような疑問を持つ必要は、まったくないといえる。
 ローズはこれまでジャックに支えられていた。彼についていくことで、束縛を打ち破ろうとし、あるいは命を助けられてきた。しかしそれでは結局、人の力に頼るだけの人間でしかない。強く生きろというジャックの教えに背くことになるのだ。
 つまり彼女がジャックを沈めるのは、自分の力で強く生きていくと決意したことの証明なのである。
 その後、救助された彼女がローズ・ドーソンと名乗るのは、死んだジャックへの変わらぬ愛情と、生き続ける意志の表れだと言える。その場所は自由の女神の下、ジャックが目指していた地である。ローズは彼の分まで生きていくと決意していていたのだろう。

 ローズの回想が終わり、場面は現代に戻ってくる。ここで、あの構成――オープニングが活きてくる。
 彼女は老婆となるまで生きたという事実が、明瞭に語られているのである。ジャックの死に絶望して、自らも命を絶ったりはしていない。彼と船上で出会ったときには自殺寸前まで追い込まれていた弱い女性が、ジャックの教え通り「強く生きた」のである。事故から後の生活ぶりは会話の中に少し出てくる程度であるが、孫の存在や作品全体の構成によってしっかりと表現されている。

 そしてエンディング。彼女が宝石「碧洋のハート」を海へ放り込む。この理由については、複数考えた。
 ひとつは、ジャックとの思い出の品である碧洋のハートを、誰の手にも渡したくなかった――二人だけの思い出にしたかったという考え方。
 もうひとつは、老い、死を間近に控えたローズが、「ジャックと一緒になる」という意味合いを込めて海へ投げたのだという考え方だ。
 前者の要素も入っていると思われるが、考えとしては後者のほうが正しいだろう。論拠はこの後のシーンだ。
 タイタニック号の船室でローズとジャックが、人々の祝福を受けながら口づけを交わす場面が描かれる。これは、死してなおふたりが結ばれることの暗示だろう。セリーヌ・ディオンが歌う主題歌の歌詞も、まさにそれを連想させるものとなっている。なお、このシーンでは、ふたりの衣服にも注目したい。過去に船内パーティに出席した時とは違い、普段着をまとっているのだ。これまでの流れを考えると、非常に面白い描写である。

 タイタニックは、「ひとりの男の愛によって、強く生まれ変わることができた女性の物語」とまとめることができる。
 仮にジャックが生き残っていたなら、ローズが人間として強く成長することもありえなかっただろう。彼の死は必然だったのだ。

(2000/07/12)


追記
 特に重要と思われるポイントを抜き出して書いてみました。描写不足と思うのは、ジャックがなぜローズに惚れたかという点くらい。素晴らしい映画です。
 そういえばずいぶん前に、深夜のテレビ番組で某男性タレント二人が「タイタニックは穴だらけのダメ映画」とバカにしまくっていた。彼らの言い分によると、「処女航海の船が沈没するときに、ネズミの大群が出るわけない。いつ繁殖したんだ」とか、「船が沈むときにローズが言われるままにボートで脱出していれば、ジャックが死ぬこともなかったんじゃないか。わがままを言って行動をともにする、そんなものが愛か」……このへんが「穴」ということらしい。
 どう思われます?

追記2(2001/06/09)
 ジャックがローズに惹かれた理由について。
 現状に苦しみ、それを打破したいと願うローズに、ジャックが共感をおぼえた(助けたいと思った)から、というのが始まりだろう。論拠としては、序盤でジャックが「新天地を求めて」タイタニックに乗船していることが挙げられる。このあたりが、二人の恋愛の共通点となったのだと推測できる。
 作中において、描写不足などではありませんでした。訂正します。

追記3(2001/09/01)TV放送を見て
 碧洋のハートを投げ込むシーンについて、上で二つの要素を挙げた上で「後者の要素が強い」と書いたが、これは両方の要素を強く含んだ行動だと意見を変更。どちらか一方だけで断言するよりもしっくりくる。
 また、ラストシーンではジャックとローズが普段着をまとっていると上で書いたが、見返してみたところローズはドレスを着ていた。普段着を着ていたのはジャックだけです(勘違いしていました……)。
 富裕階級のメタファーとして一度登場しているドレスをまとって、ジャックとキスをするということの意味を考えてみる。
 これはローズが、長い間忌んでいた富裕階級という存在や、そこで生きていた自分の過去などをすべて受け入れていることを暗示する。富裕階級の身分でなければジャックと出会うこともなかった。今の自分もなかった――そういった考え方をも含めているのかもしれない。彼女が生涯を通して抱くに至った心境が表現されているといってもいいだろう。
 視覚的な要素をもって彼女の一生をここに凝縮させた上で、永遠に変わらないジャックとの愛を描いているシーンなのだ。強く生きたローズの心情を、このわずかな時間にも垣間見ることができる。

indexへ戻る