「SILENT HILL2/サイレントヒル2」
PS2用ソフト/KONAMI

 サイトに掲載した(2004年5月)考察をまとめ、加筆訂正を行ったページです。
 パート分けされているのは小分けにして日ごとに掲載していたため。
 私は「PS2版サイレントヒル2」しかプレイしたことがないため、仮に前作や続編で示されている事柄や真相があったとしても、それらは一切把握できていません。ご了承下さい。
 各パートの右下に掲載した日付を明記しています。

更新履歴
2004/05/03〜11:考察を雑記ページ(現Blog:PARADOX NOTE)に分割掲載。
2004/05/25:サイレントヒル2考察ページを作成。
2006/01/16:首吊り死体の部屋他、考察を追記。
2008/06/27:伊藤暢達さんによる三角頭にまつわるテキストを掲載。


あいまいな眠りの中で
夢見るのはあの町
サイレントヒル
いつかまた
二人で行こうと約束しておきながら
私のせいでかなわなかった
私は一人でそこにいる
あの思い出の場所で
あなたを待っている

考察:サイレントヒル2――Part1
 亡き妻、メアリーからの手紙。おぞましい変異に見舞われた街。メアリーとそっくりな女性、マリア。
 謎に満ちた物語において、私は後半に訪れることになる展示館に注目したいと思う。そこで深い穴に飛び込むとき、ゲーム的にダメージや即死の可能性を考えたプレイヤーは多いはずだ。常識的に考えて、底の見えない穴に「飛び降りる」という選択はありえない。しかし、ご存じの通りそれは正解なのだ。なぜだろうか。
 病院の屋上から三角頭に突き落とされた時、ジェイムスは瀕死の状態になった。なのに展示館の穴に飛び降りても傷一つ負わない。「ゲーム的な処理だ。リアリティがない」と、私は一度眉をひそめた。飛び降りるのは自殺行為で、ジェイムスの行動は明らかに奇妙だ。整合性がとれていない。

 ――しかし、私はこの不満から考え方を逆転させることで初めてひとつの可能性に思い至った。「あり得ないことが実現している。ならば、サイレントヒル2の世界そのものが虚構なのではないか」と。

 病院では「精神状態によって虚構と現実の世界が曖昧になる」という医師のメモがあった。様々な患者の病状(余談ながら、一般的な「精神病」というものへの偏見が強まる可能性があるので、社会的にはやや危険があると感じた)。アンジェラやエディはそれに関連づけられる形で精神を病んでいる。アンジェラは父から受けた性的虐待、エディは対人関係への恐れなどが原因と推測できる。
 ならばジェイムスもまた何らかの理由で精神を病んでいるのではないか。プレイヤーは、虚構と現実の世界が曖昧になったジェイムスの視点で世界を見ているのではないか。
 穴に飛び込むという行為が彼の心的世界で行われているとすれば、見た目の落下距離は何の意味も持たない。あるのは「深淵へ飛び降りていく」という行為が自らの心の闇、その奥底へ潜っていくことを意味するという事実だけだ。スパナと一緒に入手できる手紙に、こうあった。
「深淵に見つめられることを恐れる者には、深淵を覗き込むことはできない」
 これは、ジェイムスが己の内面世界に向き合う物語なのだ。

考察:サイレントヒル2――Part2
 彼の心の深奥である展示館の地下は、罪、死体、墓地、刑務所、処刑といった陰惨な要素で占められている。冤罪で処刑された人物のロープを下ろしてやるといった謎解きまである。
 ここに登場する三枚の銘板は、それぞれが登場人物に対応しているように思われる。

 虐げるもの=ジェイムス
 メアリーを疎み、手にかけた。精神的な虐待という意味も込められているか

 飽食豚=エディ
 体型、ピザをがっつくシーン。決戦は豚が吊り下げられた部屋。

 誘う女=マリア? アンジェラ?
 これは考える必要があるだろう。
 ジェイムスを誘うマリア。一方、アンジェラである可能性も。落ちている新聞に、アンジェラが父を刺殺したと思わせる記事がある。凶器は見つかっていないとも。彼女が持っていた包丁にはそれらしき血が付着していた。以上の情報から、彼女は父をベッドに誘っておいて刺殺し、包丁を持ったままサイレントヒルにやってきたという可能性が出てくる。銘板が墓場の三つの墓石に対応していると仮定すれば、マリアではなくアンジェラと解釈するべきだろう。誘う女がアンジェラならば、この三人はいずれも「人を殺した」という罪を背負っていることになる。マリアと仮定した場合には得られない一致だ。

 銘板をはめ込む場所は首吊り台――三人が罪を犯したことを暗示しているのは間違いない。ジェイムスの真実は終盤に提示されるメアリーのビデオと手紙で明らかになる。そしてプレイヤーは、ゲームが始まった時点で彼の精神がすでに異常を来していた事実に気づいてしまうのだ。決して探索行の途中で狂っていったわけではない。

考察:サイレントヒル2――Part3
 正気を失いかけているジェイムスは、ゲームの各所で自分の心の闇と向き合っている。

 例えば、マリアが三角頭に殺されるのは、ジェイムスのメアリー殺しを彷彿とさせる。なすすべもなくその光景を見ながら、ジェイムスは「メアリーを病気から助けてやれなかった」「自分がメアリーを殺した」という苦悩を何度も与えられることになる。もちろん二人の死は対応している。牢屋のベッドで二度目の死を迎えるマリアだが、ここでジェイムスは彼女の死体を前にして「……メアリー」と呟く。両者の繋がりとマリアの正体を確定的にしている台詞ではないだろうか。
 三角頭はジェイムスそのものでもある。マリアを殺すのはメアリー殺しをそのままなぞったものだろう。この観点から考えると、三角頭の武器である大鉈を入手するというのは暗示的なイベントだった。

 従って、マリアはジェイムスの願望が生み出した心的存在だと考えられる。メアリーとマリアの顔立ちは同じだが、服装や雰囲気が違う。これこそ願望の裏付けだろう。病気に苦しむことのない、明るく快活なメアリー……ジェイムスはそれを願っていたに違いない。以上のことから、殺されたはずのマリアが再び現れてくることに不自然さはない。最終戦で「あなたの理想である私を受け入れろ」と迫るマリアを倒すことでゲームが終わるのは、ジェイムスが自分の幻想を一度打ち破ることを意味している。この時マリア(メアリー)がベッドを思わせる格子に縛られた姿で登場するのは、病気で寝たきりになっていたことの隠喩だろう。

 一方で、三角頭についても色々な面から考えることができる。

考察:サイレントヒル2――Part4
 三角頭は「裁くもの」の象徴である。
 資料館には三角頭が処刑人として描かれている絵画が登場する。地下に置かれていた大鉈が罪人を殺すための道具であることはいうまでもない。序盤のアパートにもこんなメモが落ちていた。
「あいつは俺を殺そうとしている。裁こうとしている。赤い悪魔だ、怪物だ……」
 ジェイムスはメアリーを殺害してしまい、罪の意識に苛まれた。「自分は罰を受けるべき、裁かれるべき」という思いが三角頭を生んでしまったのだ。理想のメアリーがマリアという形を持って具現化したように。

 Part3で言及した通り、ジェイムスは目の前でマリアを何度も殺される。自分の死がそうであるように、ここで与えられる苦悩もまたジェイムスの願望――すなわち三角頭による裁きだ。「メアリーが死んだ」という結末が繰り返され、彼を苦しめるのである。すでに起きてしまった過去を変えることなど誰にもできはしない。そのため、ゲーム中にマリアを助けることができないのは当然といえる。
 病院でジェイムスが三角頭に突き落とされるシーンがある。展示館の穴と違い落下によるダメージを受けてしまうのだが、これは決して矛盾ではない。穴に飛び込むシーンには「心の深奥へ潜っていく」という意味合いがあった。物理的にあれだけの高さを飛び降りたわけではないため、ジェイムスの身体にダメージはないのである。
 一方の病院で怪我をするのは屋上から物理的な落下をしたためだと考えられる。ジェイムスはいつ命を失ってもおかしくないという危機的な状況に陥る。三角頭は彼に「死」という名の罰を与えようとしたのだ。即死攻撃を仕掛けてくる唯一の敵というのも非常に象徴的な設定である。ジェイムスが断罪の大鉈によって「罪人として処刑される」構図になっているのだ。

 終盤、ジェイムスはそんな自分の内面に決着をつけようとする。
「私は弱かった。だからお前が必要だった。でも、もういいんだ」
 マリアが二体の三角頭に刺殺された後の台詞である。お前というのはマリアではなく、三角頭を指す。
「自分で決着はつける」
 ジェイムスが言い放つと三角頭は後ずさる。圧倒的な残酷さでサイレントヒルに君臨する三角頭が、唯一怖じ気づいたような仕草を見せるのはなぜか。それは、ジェイムスの弱さと願望に生み出された存在が、決意を固めた彼に勝てるはずがないからだ。そうして生みの親に否定され、拠り所を失った三角頭たちは戸惑い恐れる。不死身の断罪者ではなく、ただの怪物に成り下がるのだ。
 逆をいえば、ジェイムスが裁きを望み続ける限り三角頭は絶対に滅びない。ゲーム中、この決戦以外で三角頭が倒せないのはそのためだと考えられる。
 三角頭はジェイムスに倒されるのではなく、槍を使って「自害」する。三角頭が彼の願望であることを考えれば、明らかに意図的なシーンといえる。すなわち、ジェイムスが自身の弱さを克服したという心的勝利の描写なのだ。動かなくなった三角頭を調べると、ジェイムスはこう考える。
「もう私には必要ない。これはただの死体だ」

考察:サイレントヒル2――Part5
 サイレントヒルはジェイムスの内面世界だという解釈に基づけば、怪物が闊歩し常に死の危険と隣り合わせであることにも合点がいく。街の人々は姿を消し、あるいは死体となって転がっている。すべてジェイムスの罪悪感、死への願望(メアリーの許へ行きたい)といった心を反映した姿なのである。地下刑務所、および地下墓地にある自分自身の墓標はまさに彼の心の闇の具現といっていいだろう。まだジェイムスの死体が納められておらず、その穴に飛び込んでいくという道筋も自殺願望を思わせる箇所である。
 プレイヤーの操作は「死への誘惑に抗おうとする力」なのかもしれない。
 では、その心的世界であるサイレントヒルに登場する生者たちは、一体どんな存在だったのか。

 特に注目したいのはアンジェラのラストシーンである炎の階段だ。
「……暑いな」とジェイムスは呟く。
 対するアンジェラの言葉はこうだ。
「あなたにも見えるの? 私はいつもそうだった」
 自分以外の人間に炎は見えていない――彼女はそう確信していたのだ。
 ここで初めて、アンジェラだけが常にこの凄絶な光景の中を歩いていたことが明らかになる。
 ジェイムス同様、彼女の過去と内面がそうした世界を作り上げていたのだろう。

 この会話によって「登場人物それぞれが全く違ったサイレントヒルを見ていた」という可能性が提示される。確かに、プレイヤーは炎に包まれたサイレントヒルなど目撃してはいない。だとすれば、プレイヤーはジェイムスを操って「彼の作り出したサイレントヒル」を歩いてきたことになる。炎に包まれた街がない代わりに、そこには死と罪悪、処刑と死体が存在していた。
 当然、この光景はジェイムスにしか見えていない。だから何の武器も持たないローラが無事に街を通り抜けられたのだろう。おぞましい怪物と殺し合いを演じていたのは、そういった精神世界を持つジェイムスだけなのだ。同じく武器を持たないアンジェラが怪物と遭遇したのは、アブストラクトダディに襲われた一度きりだと思われる。
 そしてエディにとっての敵とは怪物ではなく、人間である。ただし彼がこの街で遭遇した人間は、ジェイムスたち、および実際に射殺した数名だけであり、後者はエディが作り出した心的な存在だったのだろう。

 地下深く――つまり心の深奥で、エディは「バカにされる自分」というトラウマと真正面から向き合う。そして彼は引き金にかけた指を動かしてしまった。心の闇を取り払おうと、さらに暗い闇に向かって歩き出してしまったのである。この作品は、ネガティブな方向に向かっていった人物に必ず相応の結末を用意している。ジェイムスに殺されるのは必然なのだ。

 一方のアンジェラだが、父を投影した怪物に襲われていたのは性的虐待のリフレインだと考えられる。炎の階段をジェイムスが目撃できたように、アンジェラと彼の世界はたびたび交差しているようだ。死への願望、葛藤の原因となる人物を殺したという一致がそうさせるのだろうか。
 ジェイムスを拒絶したことから、アンジェラが自分を覆っている闇を取り払えなかったことは明らかだ。エディ同様、残念ながら彼女の迎える結末は幸福なものではない。

 ところで、ジェイムスがローラによって閉じこめられ、怪物に襲われるイベントがある。ジェイムスは恐怖と焦燥から「出せ」と叫ぶが、ローラは走り去ってしまった。彼女は歪んだ邪悪な子供なのだろうか。
 そうではない。
 彼女にしてみれば、単純な意地悪で押し込めただけに違いない。前述した通り、彼女のサイレントヒルに怪物など存在しないのだから。

考察:サイレントヒル2――Part6
 この世界は、すべてジェイムスの病んだ心的空間だった――いくつもの要素がそれを肯定する。ならば、
「ジェイムスの信じていたことや主張していたことはすべて妄想ではないのか?」
 こう考えるプレイヤーは多いに違いない。今回はその検討をするために、メアリーの死期、および物語の発端である「メアリーからの手紙」について考えてみたい。

「メアリーは三年前に病死した」とジェイムスは語る。
 それは事実だろうか。
 偽りの記憶を元に行動していたジェイムス。彼のメアリーに関する言葉は疑ってかからねばならない。
 八歳の誕生日を迎えたばかりのローラが、その日に書かれたメアリーの手紙を持っていた。ローラは精神を病んでおらず、その言い分は信用できる。従って、メアリーは最近まで生きていたと解釈するのが妥当だろう。アンジェラが父を殺してからそう時間が経っていないのと同じように、ジェイムスがメアリーを殺してからそれほどの日数は経過していない。
 三年前にサイレントヒルに来たジェイムスとメアリー。ホテルで見るビデオの後半に、咳き込む彼女が映っている。これは病にかかったばかりの時期なのだろう。ところが、ジェイムスは「三年前に死んだ」という。
 この矛盾に、ゲームが始まったときすでに正常ではなかったジェイムスの精神が再び関係してくる。
 彼はメアリーを殺した時と同じように、辛かった記憶を自ら抹消しているのだ。「メアリーは病気で死んだ」という誤った思い込みだけを記憶し、彼女が三年間苦しんでいたことや、その間に苦悩や葛藤、争いがあったことを忘れてしまっている。

 本当は、メアリーはつい最近まで生きていた。だが、ジェイムスは精神的な逃避を続けているため、それを記憶の奥底に封印しているのである。ゲーム開始時、一連の真実を全く覚えていないのも、メアリーの死期に三年間のずれがあるのもこのためだろう。
 だがジェイムスは物語が進むにつれて真実を思い出していく。どこかから聞こえてくる彼女の声、落ちている書類、ラジオの音声などはすべてジェイムス自身の記憶が浮かび上がったものと考えて間違いないだろう。何者かがジェイムスに与えたものではない。
 すなわち「思い出す」というのは、ジェイムスが精神的な逃避をやめ、一連の真実を「受け入れた」ことを示している。
 ここでポイントになるのは冒頭の手紙である。

あいまいな眠りの中で
夢見るのはあの町
サイレントヒル
いつかまた
二人で行こうと約束しておきながら
私のせいでかなわなかった
私は一人でそこにいる
あの思い出の場所で
あなたを待っている

 これが手紙の内容である。エンディングで読まれる手紙の冒頭部分でもある。
「死者から手紙など来るはずがない」
 ジェイムスの呟きは真実だ。死者は手紙など出せはしない。
 だが手紙は来た。
 なぜか?

 結論から述べる。この手紙はジェイムスの妄想の産物である。現実には手紙など来ていない。
 実はこの手紙、ゲームを進めて行くにつれて存在が希薄になっていく。まず文字が消える。次に、便箋が消える。最後は封筒までもが完全にアイテム欄から消失するのである。終盤のセーブデータを残してある人は一度確認してもらいたい。ジェイムスの手許に手紙はないはずだ。
 もちろん戦いの中で紛失したのではない。これはジェイムスが真実に迫っていくにつれて「手紙など来ていない」という現実を認めていく過程を表現したものだ。
 エディを殺すのは、彼がメアリーを除いて唯一「人間を殺害する」シーンである。ここで文字が消えるのは、彼女の殺害を想起し、現実に気づき始めたからだろうか。
 次にビデオを見てメアリーを殺した記憶を受け入れたとき、便箋が消える。
 そして手紙が完全に消え失せるのは、二体の三角頭と戦う場面。ジェイムスが現実に向き合う覚悟を固めた、その瞬間だ。

 現実から目を背けつつ「メアリーに会いたい」という願望を具現化させたもの――それがこの手紙の正体である。サイレントヒルに行けば、死んだはずのメアリーに会うことができるかもしれない……オープニングで彼が抱いていた願望は、自分にとって恐ろしく都合のいい妄想の固まりであることに気づかされるだろう。

 しかし、妄想であるにもかかわらず文面は実際の手紙と一致している。
 彼は恐らく、メアリーの病室で本物の手紙を読んだのだろう。殺してしまった後にこれを読んで衝撃を受け、苦悩のあまり現実から逃げ出したのかもしれない。手紙の内容と一連の出来事は、前述の通り心的な逃避活動によって封印されてしまう。
 だからジェイムスが覚えているのは自分にとって都合のいい箇所――メアリーの生存を期待させるあの冒頭部分だけなのである。

 もう一つ、ジェイムスの所有していた手紙が妄想だという証拠を提示したいと思う。
 ホテルの「従業員用エレベータ」だ。ご存じの通り、不自然なほど厳しい重量制限があり、アイテムをひとつでも持っていると動いてくれない。ローラの手紙などの軽いアイテムですら引っかかってしまう。「あり得ない。リアリティがない」とプレイヤーは呟くだろう。
 しかし――メアリーからの手紙だけを持っていた場合、まるで手紙など存在しないかのようにエレベータは動作する。
 私はこれこそ、手紙が架空の存在だという事実に基づいたイベントだと考える。
 同様にメアリーの写真も重量制限に引っかからない。
 ジェイムスがサイレントヒルを訪れるきっかけとなった手紙と写真は、いずれも彼の願望が生み出した代物だったのである。
 これほど重量制限が厳しいエレベータなど当然役に立たないし、リアリティもない。だが、それでいいのだ。ジェイムスの精神世界においてそんな理屈は何の意味も持たない。現実世界のエレベータとは似て非なる存在なのだから。

考察:サイレントヒル2――Part7
 最終回として、作品のエンディング、およびオープニングを検証してみたい。
 ただし私はMaria Endを見たことがなく、そこは知人から聞いた情報を元に書いている。

In Water「メアリーの願いとは裏腹に命を絶ち、彼女の許へ行こうとする」
 街の中で目撃する「メアリーに会いたいのなら、死ねばいい。あなたが行くのはメアリーとは別の場所かもしれないけれど」という謎の落書き。自殺しようとしていたアンジェラと、彼女の包丁。地下で目撃することになるジェイムス自身の墓標。ジェイムスを殺そうとする怪物たち……すべては「死んでメアリーのもとへ行きたい」という願望に行き着く。あの落書きはまるで第三者が書いたような文面だが、「あなた」は「私」と読み替えてもよい。なぜならこれはジェイムス自身の願望だからだ。
「別の場所」というのは、天国へ行ったであろうメアリーに対し、彼女を殺した自分が地獄に堕ちるだろうという「自覚」である。記憶の底に封印している殺害の事実と罪悪感が無意識のうちに表面化し、落書きの文面を形作っているのだ。
 彼がこれを実行してしまうIn Water Endは、メアリーの本心とジェイムスの行動の対比によって最も悲劇的なエンディングとなっている。

Rebirth「メアリーの死を否定し、呪われた手段で彼女を蘇らせる」
 逆にメアリーが蘇ってくるRebirth Endはどうか。病に倒れ、不幸な死を遂げた彼女が生き返るなら、すべてが良い方向へ動き出すのではないか。
 ――その可能性はゼロだ。
 禍々しい四つのアイテム。呪われたエピソード。死者の気配に満ちた湖と小島。そこで行われる邪悪な儀式。このエンディングではジェイムスがあくまでも自分の願望を形にするために行動している。決してメアリーの幸せを願っての行動ではない。
 どの要素からも、この復活が破滅的な結末を迎えることは明らかである。

Maria「架空の存在であるマリアに執着し、現実から目を背け続ける」
 他のルートで展望台に佇んでいる人物はマリアである。しかし、このエンディングを迎える場合のみメアリーが待っている。意味するところは明らかだろう。 ジェイムスはメアリーを殺してマリアを選ぶ――つまり、自らの願望が具現化したマリアに縋り付き、辛い思い出であるメアリーを完全に否定してしまうのである。
 そうして自分の望むものを手に入れたジェイムスは、果たして幸せになれたのだろうか。
 マリアが咳き込んでゲームが終わるのは、明らかにメアリーの病気に対応している。マリアが病院で体調を崩し、咳き込んで寝そべったのも同じことだ。さらに言えば、彼女は二度目の死を「牢屋に置かれたベッドの上」で迎えた。これは病魔から逃れられなかったメアリーの隠喩である。病院を脱出する寸前で三角頭に殺されてしまうのも、全く同じ理由によるものだと考えられる。
 よって、マリアと一緒に生きていこうとするジェイムスは、病んでいく彼女に再び苦しめられることになる。結末も同じだろう。理想を手にしたはずのジェイムスは、それでも現実の出来事に囚われ続けるのである。彼は恐らく永遠に心的逃避を続けることになり、現実の世界に戻ってくることはない。
 ところで、物語の中盤でマリアとジェイムスが力を合わせて冷蔵庫のドアを開くというイベントが発生する。路地裏でドアの鍵を開けるシーンとともに、足手まといのマリアが活躍する場面のひとつだ。これは二人が支え合って生きていく、明るいエンディングの論拠となるようにも思える。しかし、そうではない。これはMaria  Endではなく、後述するLeave Endに対応したシーンであると考えられる。私はこの二つのシーンを非常に重要なものだと考えている。以下、検討を加えてみたい。
 冷蔵庫を開ける前後、マリアはジェイムスに「私に頼らず、しっかりして欲しい」というような言葉を投げかける。一方、ドアの鍵を開ける場面では「さあどうぞ」といった様子でジェイムスを促す。自分で開けて彼を招き入れることもできるはずだ。しかし彼女はそうしない。まるでジェイムスに「自力で前に進め」と告げているかのように。
 マリアは架空の存在だが、その人格はジェイムスがメアリーを元にして作り上げたものである。メアリーはジェイムスの幸せを願っていた。彼はその生前の思いを知っていたはずだ。会話と葛藤の中で――あるいは彼女の手紙によって。マリアが彼の背中を押すかのような言動をするのは、「ジェイムスに幸せになって欲しい」と願ったメアリーを、彼が無意識のうちにマリアへ投影しているからに他ならない。
 マリアは扉を開く手伝いをする。だが、閉ざされていた扉に手をかけ、前に進むのはあくまでもジェイムスなのだ。共に困難を乗り越えていくはずだったメアリーは、もういないからである。彼が一連の苦難と葛藤を乗り越えて新たな人生を歩んでいくためには、自力で前に進まなければならないのだ。
 死んだメアリーにそれを助けることはできないが、かつての幸せな思い出(愛情と言い換えてもいいだろう)は、ジェイムスが心の扉を開くための力になるのである。これはエンディングで読み上げられる手紙にもしっかりと描かれている。
 ジェイムスがマリアに執着してしまうMaria Endがアンハッピーエンドである理由は、以上の通りである。彼は決してマリアに依存してはならないのだ。
 路地裏のドアと、冷蔵庫のドア。扉を開くという共通点は、確かな意図を持って用意されたシーンであるように思われる。制作スタッフによる心憎い気配りである。

Leave「メアリーの願った通り、現実と向き合って生き続ける」
 サイレントヒルは自らの精神世界である。心の扉を開けてそこから出ていくというLeave Endだけが唯一希望を抱かせるエンディングとなっているのは象徴的だ。Rebirth EndとMaria Endの項目でも触れた通り、このエンディングでジェイムスが選んだのはすべてを受け入れて生きるという道。苦悩と葛藤の先にあった愛情に辿り着き、拭いきれない罪を背負って、なお生き続けるのである。対して、他のエンディングは街の中で完結してしまっている。それは「何らかの手段で現実から逃避する」という悲劇だった。すべてを比較すれば内容の違いは明らかだろう。
 関連事項として、三角頭が他の怪物を襲っていたイベントを考えてみたい。この時いずれも強姦するような動作をしていたのはなぜなのか。
 かなり大胆な私見であるが「メアリーとの間に子供をもうけたかったというジェイムスの願望」と仮定してみたい。彼はメアリーとともに家庭を作るという幸せを求めていたのではないか。三角頭はジェイムスを罰する存在である。だとすれば、あの行為もジェイムスの心を苦しめるためのものだったと解釈できる。メアリーが病気にかかったために叶わなかった夢。それを三角頭が歪んだ形で見せつけたのではないだろうか……。
 もし以上の仮説が正しいならば、ローラとともに街を去るLeave Endの後、二人はメアリーが願っていたように本当の親子のような関係を築いていくのだろう。楽な道程ではないかもしれない。だが、その先には幸せな現実が待っているはずだ。
 たとえメアリーがいなくとも。

Opening
 最後にゲームのファーストシークェンスを見直してみよう。
 ジェイムスが公衆トイレで鏡と向き合う、あの場面だ。
 表情には疲れたような陰がある。初めてこれを見るプレイヤーは、彼の困惑と葛藤が描かれているのだと直感するだろう。
 汚く薄暗い公衆トイレという不気味なシチュエーションでこれからの物語を暗示するという意味もあるに違いない。直後に昼の展望台に出るのは、狭さと広さ、暗さと明るさを切り替えてメリハリをつけるという空間技法だ。映画などのメディアでよく使用される創作上のテクニックである。
 しかしそれだけであるとは思えない。
 私はこれを、作品がジェイムスの内面世界を舞台にしていることの暗示だと考える。
 鏡を見つめる――自分自身を見つめるという行為が、すでにサイレントヒル2という作品のテーマを内包しているのである。
 実にさりげなく、見事なシーンだ。賛辞を送りたい。

 

サイレントヒル2考察:完

(2004/05/25)

 


 

(構成上の意図で削除していた項目を、補足として以下に記す)

Rebirth EndとLeave End
 儀式による復活劇は、メアリーが死んだ過去を否定する行為といえる。だが過去を否定しても幸福な未来はやってこない。アンジェラは過去に捕らわれたまま炎に身を沈めた。エディも同じく身を滅ぼした。二人が迎えた結末はジェイムスが辿る可能性でもあったはずだ。それを示したのが「In Water」「Maria」「Rebirth」という三種類のエンディングである。しかしジェイムスには違う道を歩む可能性が残されている。
 メアリーである。
 エンディングで明かされる手紙には、葛藤の果てに辿り着いたジェイムスへの愛情が綴られていた。辛い思い出を乗り越えて生きて欲しいという切実な願いと共に。過去は誰にも変えられない。その事実をメアリーの手紙は違う形で提示してくれている。忘れるのではない。受け入れ、乗り越えなければならないのだ。真実を忘れて街を彷徨うジェイムスは、三角頭――己の罪に向き合った。そして全てを思い出す。手紙に込められたメッセージはこの流れに一致しているのである。
 不治の病に冒されたメアリーは恐怖と絶望に囚われ、ジェイムスと争いもした。だが最後の最後で残酷な運命を受け入れた。そしてなお前向きな愛を失わなかったのだ。死の淵でジェイムスを想うその姿は、アンジェラやエディの死に様とは対照的に描かれていることが分かる。
 忘却と苦悩の果てにメアリーの全てを受け入れて、ついにジェイムスは歩き出す。それがローラと共に街を出るLeave Endである。ジェイムスが全てを思い出し、メアリーの想いを受け入れた瞬間、二人はかつての夫婦に戻るのだ。そこでジェイムスは初めて悪夢を振り払うことができる。アンジェラとエディには叶わなかった「もう一つの可能性」である。
 これがRebirth Endを理解する前提となる。
 禁じられた秘法を手にボートを漕ぐジェイムス――彼はメアリーの尊い願いを呪われた魔術でねじ曲げてしまう。
「ああ……メアリー……」
 彼女の愛を忘れてジェイムスは呟く。自分の願望が形になったメアリーとの再会を夢見て。もうジェイムスの中に「本当のメアリー」はいない。彼女の真意に応える心などどこにも残っていないのだ。蘇ってくる人物は決してメアリーではない。それは彼女の姿を借りた「別の何か」である。
 Rebirth Endは悪夢に彩られた絶望的なエンディングであると結論できる。

深紅のパネル――セーブポイント
 三つのエンディングとは対照的なLeave Endにおいて、街を出る二人が描写されるのは墓地である。ここは街の出入り口であり、ジェイムスと同じ自殺願望を持つアンジェラが立っていた場所である。ここから去ることで幕を下ろす構成は、彼が死の誘惑を完全に振り切ったことの暗示でもあるのだろう。
 三角頭と戦う直前に用意されたセーブポイントは、あの深紅のパネルが規則的に配置されたものだった。これは全体を一つのまとまりと捉えれば「牢獄の格子」に見立てたもの、という推論が可能だ。パネルの間に設けられたスペースこそが縦横の格子という見方である。街の各所に用意されたセーブポイントは、調べた時にジェイムスが「吸い込まれるようだ」という。配色からすれば血の隠喩と考えられ、自殺というキーワードに繋がってくるデザインだ。
 サイレントヒルという街はそれ自体が牢獄である。捕らわれ続けるのか、それとも出て行くのか。囚人――すなわち罪を抱えたジェイムスたちは自分の心にどう決着を付けるのか。それを描いたのが一連の物語である。こうした視点で眺めれば、あの紅のパネルにも意義を見出すことができる。作品世界と私たちの世界を繋ぐものであり、同時に分け隔てるもの(不可侵)であるという事実も牢獄の格子に通じているといえるだろう。サイレントヒル2通常版のパッケージにこの紅い格子が用いられていることからも、街の存在に関連した要素であることが予想される。

首吊り死体の部屋
 天井から吊り下げられた死体の群れ。一人だけ混じっている「冤罪で殺された人物」を特定し、ロープから解放する――そんな謎めいた部屋があった。場所は展示館の地下。前述の通り、ここはジェイムスの心の闇が凝縮された空間だ。彼の深奥には常に罪悪と死があった。
 冤罪者を救う謎解きがこの場所で行われた意義を考えてみたい。
 手がかりとなる死刑囚の手記を見れば、「私は嬉しいよ。これで彼女に会える」という一文に目が留まる。これを言い残した男はもちろん冤罪者ではない。実際に罪を犯し、それを認めた人物だ。
「今は亡き彼女の許へ行ける、だから処刑されても構わない――早く殺してくれ」
 囚人はこう述べているのだ。手記を注意深く読めば分かるようになっているが、実はこの男、「亡き彼女」を自らの手で殺害していたのである。
 二人はサイレントヒルに実在した人物ではない。ジェイムスが自分とメアリーを投影した架空の存在と考えるべきだろう。「死んでメアリーの許へ行きたい」という願望がここでも見て取れる。怪物と死体に溢れたサイレントヒル、そして不死身の断罪者は彼の心を反映したものだった。この手記の内容も全く同じなのである。必然的に、罪人――吊り下げられた死体はジェイムス自身であると結論することができる。殺人の罪で処刑された死体、あるいは「冤罪の人物を除いた全ての死体がそうである」と考えても差し支えない。

 だが、この謎解きは全く別の意味合いを含み持っている。
「私は嬉しい」と言い残して処刑された罪人がジェイムスであるならば、冤罪者とは誰だったのか? この視点に気づいた時、ロープを下ろすという行為に特別な意味を見出すことができる。
 無実の罪で殺された人物は書き残していた。
「私はやっていない。しかし私は殺される」
「死にたくない。誰か助けてくれ……」
 ――冤罪を被った人物とは、メアリー・シェパード・サンダーランドに他ならない。
 この手記にはジェイムスの深奥に秘められた感情が刻み込まれている。あの悲痛なメッセージは「病魔に冒されたメアリー」に対応しているのだ。彼女は何も悪いことなどしていない。しかし身体は病に蝕まれていく。逃れられない死の定め。どうしてこんなことになってしまったのか。
「死にたくない」というメアリーの言葉にジェイムスがどんな苦痛を覚えたかは想像に難くない。何もしてやれない無力さをどれほど歯痒く思ったことか。彼はメアリーを助けたかった。しかしそれは叶わない。苦痛の果てに死を迎えるならば、いっそ自分の手で楽にしてやろう――極限の状況下でそういった気持ちが表面化した結果、ジェイムスは彼女の首を絞めることになる。
 六人の死者が吊り下げられた部屋。心の闇を映し出すサイレントヒルにおいて、あの一刹那、ジェイムスは複雑な心境を具現化させていた。そこには死への誘惑、メアリーの嘆き、そして「妻を救いたかった」という悲痛な願いが同居していたのである。
 だから彼は冤罪者のロープを下ろすのだ。それで死者が蘇るわけではない。過去は決して変えられない。しかし彼女を首吊りのロープから解放したいと願う姿――そこにメアリーへの純粋な想いがあったことは間違いないのである。

※「サイレントヒル・クロニクル」という書籍において、パネルはジェイムスの記憶の断片であり、その数は三角頭の登場数に一致しているという記述があったそうだ。九枚のパネルが揃ったセーブポイントは記憶の大部分が回復したことを示すとのことだが、これらは私自身が読んで確認した情報ではないため、現時点では参考として挙げるに留めておきたい。

※映画版サイレントヒルの感想をBlogに記載した。

(2006/01/16)


伊藤暢達さんによる、三角頭にまつわるテキスト
 以下のテキストは、サイレントヒル2でクリーチャーのデザイン等を手がけられた伊藤暢達さんの許可を得て掲載させていただいたものです。元はmixi内にある伊藤暢達さんの公認コミュニティに掲載(2007年02月21日)されていたテキストであり、本稿はそれに若干の加筆修正がされたものとなっています。
 当ページへの転載を認めてくださった伊藤さん、コミュニティ管理人のRAZYさんに心からお礼を申し上げます。


サイレントヒル2は元々1とは別物にする方向で進んでおり、というのは、続編だからと言って続きを描かなくても良いのではないか?と、企画段階で話は進みました。
で、ゲーム中通して出てくる敵を出そうという流れになり、ただのストーカー風の敵というよりは、もっとストーリーに食い込んでくるような何かを。
元々は、ストーリーのアイデア出しの時に提案した僕の物の中に、傘小僧風の三角シルエット(水中でジェイムスが見る人影として思い描いたもの)があったので、それを処刑人風にアレンジして。
当初、「1」のクリーチャーと違い過ぎるのであまり反応は良くなかったのですが、奇抜なシルエットでも、上手く演出すればインパクトが出せると思っていましたし、そこら辺は全て責任持って一人でやる事で何とか認めてもらう事に。
結局、他のクリーチャーデザインの路線も「1」と全く別にして、ストーリーに沿うような物で統一しました。


「2」はサイレントヒルというよりは、ジェイムスストーリーと言った方がしっくりする物ですし、ジェイムスが対峙する敵がただの化け物っていうのも薄っぺらいので、単純な善悪を表現するんではなくて、信じる物が異なる故の争いのような、簡単にカテゴライズできない設定にしようと。他のクリーチャーとも一線を画すような。

そして、三角頭はもう一つのジェイムスというのは決めていたので、デモシーンでそれを動き等で匂わせる感じに。
ジェイムスがクローゼットから覗く場面では、最初、三角頭が何かよくわからない印象を与えたかったので、あのような演出に。


三角頭が初め鉈を持っている理由。
歴史館では槍を持っているし、マリア処刑のシーンでも同じで、本来はあの姿です。
しかし、もう一つのジェイムスを匂わせる為、鉈を”ハサミ”のパーツに見立てることに。
よく見れば握りの部分は無いものの、回転軸(?)に当たる パーツがあるのがわかると思いますが、ジェイムスが処刑室で見つけるのは、三角頭の物ではなく、もう一つの鉈ということです。
(ゲーム中では、制作の都合上、三角頭の物を使いまわしてますが)


最後の対峙で自害する箇所。あれはジェイムスが語っているように、もう一つの自分は必要無くなった為。銃すら効かない存在を倒せる訳もないですし、自害する方がジェイムスには合っていると思うので。(水死エンドへの伏線という意味もあります)
僕の中では、ジェイムスストーリーは水死エンドなのですが、あれが自然な流れだと思ったので。自殺を肯定する気はさらさら無いですが。

蛇足ですが、三角頭のポリゴンモデル。肩幅がちょっと広いのと、若干腕が長いのを覗けば、ジェイムスのそれと体格を全く同じに合わせてあります。
また、これは完全に僕の中での設定なのですが、”ジェイムス”が意味する”ヤコブ”から、有名な画家達が度々題材にした「天使と格闘するヤコブ」に重ね合わせて、俺的”大天使”なイメージも含めてデザインしています。

「袋」の三角頭は深い意味ありません。御遊びです。
ただ本編と差別化する為に兜のデザインを若干変更してあります。
デイビット・リンチ「エレファントマン」のマスクからヒント得ました。


※「袋」……DVD「ART OF SILENTHILL」に収録されている動画。第5回文化庁メディア芸術祭・デジタルアート(ノンインタラクティブ)部門において、審査委員会推薦作品に選ばれている。 (推薦作品一覧ページ参照)

(2008/06/27)


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