「マスメディアが報じる、ゲームの規制や影響について」


※この文章は2005年3月に執筆し、雑記(現Blog:PARADOX-NOTE)に掲載したものです。


 少し前に報道されたことですが、神奈川県が全国で初めてゲームを「有害図書類」に指定し始めます。対象は暴力や残酷なシーンが多い作品。
 具体的に何が対象になるのか? 神奈川新聞に目を通したところ、紙面で唯一名指しされていたのがカプコンの「バイオハザード」でした。これはほとんど確定事項のようです。十八歳未満は購入禁止になり、店頭でも隔離が義務づけられます。販売や貸与をしてしまうと三十万円以下の罰金が科せられるため、購入時は身分証の提示が必須になりそう。もちろん一般的な店頭デモは不可能になります。
 条例における有害の定義はhttp://www.pref.kanagawa.jp/osirase/seisyonen/jorei/kisoku.htmを参照。

 これを考えれば、かなりの作品が規制対象になりうると考えられます。
「サイレントヒル」は暴力の模倣が容易で描写が陰惨。アウト。「三国無双」は明るくヒロイックな作品ですが、こじつければ十分に規制対象になってしまう。「壺などの器物損壊を肯定的(アイテムを手に入れる)に描き、凶器による大量殺人を英雄的行為と見なしている」……という具合です。包丁などを用いた殺人事件が頻発する昨今、武器で人を殺す作品は規制されてしまうかもしれない。
 格闘ゲームも非常に危うい。人間が戦う作品は模倣が可能。「あれが残忍か?」と突っ込んでも、「気絶している相手を無慈悲に殴る行為が残忍でないとでも?」と返される可能性がある。
 最終的な規制対象は「実際にプレイした審議委員たちの裁量一つで決定」されるとのこと。その時は五月。県が選定したソフトを児童福祉審議会・社会環境部会(会長・上田滋)が審査。知事・松沢成文が有害指定する。実効性を高めるために首都圏の自治体にも同調を呼びかける……ということは、首都圏で人気ゲームが有害図書指定される可能性が十分に考えられるということ。県は「暗中模索でとにかく試してみよう」とコメントしているため、まずは目についた人気作品を規制するという流れ。

 そういえば少し前に「死んだ人間が生き返ると思うか」というアンケートで二割近い子供が「生き返る」と回答した、なんて結果が報道されてましたね。「またもゲームや漫画の影響か!」と騒がれたのは記憶に新しいです、が。
 これねー。
 鵜呑みにできないです。
「“ゲームの中の人間”は生き返るでしょ」といわれたら「……そうね」と答えざるを得ない。おお勇者よ、死んでしまうとは何事だ。
 現実世界の人間、という縛りが質問文に含まれていないわけだからね。
 他にも「医師に死亡と判定された人が蘇生することってあるでしょ」といわれると「……そうね」と頷かざるを得ない。
「仏教には輪廻って思想があるじゃない?」といわれたら「まこと、その通りにございます」と平伏せざるを得ない。
 子供たちがどんな環境で回答したかも重要です。現場の監督役がどんな人で、どんな指示を与えていたかなど。子供は「こいつなら大丈夫だ」と判断すると遊びで回答し始めますからね。あえてネタに走った子もいるに違いありません。真面目に回答したら負けだと。そのうち、ネタ回答に頭を使うことが楽しくなってくるものです。
 上のようにいくらでも「生き返る」という回答に理由をつけられるため、この結果は単純に「二割の子供が自分なりの理論を持って生き返ると回答した、あるいはふざけていた」とも受け止められる。選択した子供に理由を聞いて公表するのがスジだと思うんですよ。生き返ると考えた理由です。そうでないと、「現実と空想の区別がついていない子供が二割いる」という意味で受け取られがち。
 狙ってそうしているなら、マスメディアによる立派なマインドコントロールですけどね。
 ということで、あのアンケートは質問に難あり。結果の解釈にも問題あり。
 意図した結果を得られないアンケートに何の意味があるんだろう。
(もっとも、マスメディアがすべての情報を伝えていない可能性も十分にありますが)

 毎度思うんですけど、TVで「少年犯罪とゲームの関係」を語っている人の多くは、人間の背負ってる過去や環境というものに目を向けてないですよね。ゲームが及ぼす影響以前に、まず「少年がゲームに没頭するに至った背景」を考えているんだろうか? 家庭で、学校でどんな生活を送っているのか。生活のリズムや食生活の事情は。家族関係は。交友関係は。学力、運動能力、揉め事に遭遇したときの能力は。いじめをしていたか、受けていたか。精神状態は。それらの理由・根底は何か。このあたりを徹底的に調べ上げない限り、偏った情報だけで判断を下していることになってしまう。
 すると、マスメディアは「自分に都合のいい情報だけをつまみ食いして論じている」という可能性がどうしても高くなる。

 そうして出来上がるのが「ゲームに没頭すると犯罪に走りやすい」という極論です。
 分かりやすい上に楽ですからね。「ゲームは悪だ」という昔からの見識に乗っかるのは。

 神奈川県の話に戻すと、

残虐シーンを含むゲームは、子供に暴力を正当化する感覚を生じさせるなどの弊害が指摘されており、
県は一年以上前から規制の可能性を検討していた。
(神奈川新聞より)

 これ、やっぱり因果関係が逆だと思うんですよ。
 ゲームをプレイすることで暴力を正当化してしまう、その人間性が問題なのであって、ゲームそのものが問題なのではない。
 全くの無関係とはいいません。一因になっている可能性はあるから。ゲームと暴力の因果関係を研究することも否定しないし、規制に動くのも社会的にある程度やむを得ないのかもしれない。
 ただ、もっと大きな原因が違うところにあるんですよ、と。
 そうした人間性が形作られた原因に目を向けないと根本的な解決にはならないですよ、と。
「主眼は人間に置け」と主張したいわけです。ゲームに置くんじゃなくてね。

「ゲームをやると云々」よりも「ゲームに没頭する理由を持った子は云々」と論じた方が、まだ有意義だと思う。
 TVのコメンテーターの中には「……うーん」という人もチラホラいるんですよ。 こんな台詞を聞いたことがありませんか?

『ゲームが悪影響を及ぼすっていう調査結果が出てるでしょ? 現実と空想だって区別できなくなっていく。教育上、悪いものは規制しないとダメですよ。当然ですね』

 ……ほら。

「現実と空想の区別がつかなくなっている」のは子供じゃなくて、むしろ……

(2005/03/06)



追記:児童生徒の「生と死」のイメージに関する意識調査

 公表されてるんじゃないか? と思って探してみたら、長崎県の公式サイトに資料がありました。「児童生徒の「生と死」のイメージに関する意識調査」で検索するとpdfファイルが見つかります。子供たちがどういう理由で「人間は生き返る」と回答したか、ちゃんと書いてありますね。

 それに対する県教委の考察もありますが、読んでどう判断するかはお任せします。マスメディアがこれをどう報じたかも、ぜひ併せて考えてみて下さい。

(2005/03/09)

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