ハートのジャック
Amakさん作/東方二次創作SS
(Coolier東方創想話より)

 

今回はちょっと異例の考察。Amakさんの二次創作SS「ハートのジャック」です。結論を決めて書いていく形ではなく、「読みながら私が何を考えたか」を追いかける形になっています。もちろん、これが正解である保証はどこにもありません。
本文を引用しながら書いていくので、作品と一緒に読み進めてみて下さい。

> The Queen of Hearts
英詩の歌。調べた人も多いと思いますが、東方紅魔郷とは縁が深いマザーグースです。フランドール戦に「そして誰もいなくなるか?」というアガサ・クリスティの作品をもじったスペルがありますが、あの小説ではマザーグースの歌に沿って殺人劇が繰り広げられるのです。
また、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」には、クライマックスとなる裁判のシーンで「The Queen of Hearts」の一節が登場しています。思えば「鏡の国のアリス」は、咲夜がそうしたように、アリスが鏡の国に飛び込むお話でした。
キャラクターたちや規則性を持った構造が、今作にも通じているように思います。

> 「今は秋ですが」
咲夜のさりげない台詞。しかし重要な伏線である可能性があります。「この事件は、歌の通りにはならない」という可能性です。
キングとジャック=レミリアとフランドール。
この後、レミリアが「クイーン」と呼ぶパチュリー。
歌の登場人物である彼女たちには叶えられない、物語の変容。
「異なる結末の可能性」。
唯一、歌に登場しないジョーカー=咲夜こそがその体現者というわけです。

> 「意地悪なご主人様ね」
> 「あら、クイーン」
地の文が出てきませんが、姿を見せたのはパチュリーです。上記の通り、ここで歌の登場人物が出そろいます。しかしこのクイーンはタルトを作っていない。盗まれたのはタルトではなくクランベリー。始まる時点から歌の内容との食い違いが始まっているということを、「今は秋ですが」よりも強調した伏線と考えていいでしょう。
そしてこのやりとり。

> 「あれでヒントになってるのかしら」
> 「さあ、どうかしら? でも彼女なら何とかするでしょう」
上記の「歌とは一致しない要素」を、咲夜ならば理解し、妹を救ってくれるのではないか――ひっぱたくのではなく――そこまでの意図を盛り込んだ言葉だと受け取ることができます。

> 「拙いジャックの紡ぐ解れた糸では、織れる運命は破滅だけ」
> 「そうね」
> 「じゃあ、どうして?」
> 「私のジョーカーは、裁縫も得意なのよ」
「解れた糸」は、フランドールの破壊者としての運命を表現する言葉です。同時に、その内面にもかかる言葉であるとみていいでしょう。
続いて「裁縫が得意」という部分。これは破れ、乱れているもの――フランドールの心を、傷つけることなく癒してやれるのだという宣言でしょう。ジャックを殴りつけて解決するキングでは、決して導き出せない結末を期待しているのです。
なお、物語を初めて読む段階であっても、ここで何かが閃いた人は多いのではないでしょうか。暗示されていた可能性に光が当たり、具体的な方向性を明かした部分だからです。読者はこの会話によって、物語がポジティヴな結末を迎えることを予感します。「フランドールとの和解」という具体的なエンディングまで予想した人もいるはずです。

> この感覚、恐怖。
> かつて感じたのと全く同じで、全く逆の――
フランドールを発見した瞬間です。
レミリアと同じ、しかし逆である存在。姉妹でありながら、フランドールは狂気を秘めた破壊者です。鏡の中、レミリアの部屋の前にフランドールがいたのは、その隠喩でしょう。

> 左手に籠を、右手にはリバースハートの意匠の杖を持って、少女は楽しげに笑う。
「ハートのジャック」の歌とも繋がる部分です。"リバース"ハートは、彼女の内面を暗示している可能性もあります。

> 「運命を操る――因果を操れるという因果だなんて矛盾、気付かない振りもできなかったわ」
> 「貴女がそれを自覚したから、彼女が発生した」
> 「破壊の運命しか紡げない、歪な私の写し身が、ね」
> 「貴女達は互いが互いの矛盾だから、同時には在り得ないわ」
想像するに、レミリアは本来の因果から逃れている。その代わりにフランドールが生まれた。レミリアから失われた「破壊者としての運命」――それだけを紡ぐ存在が。本来ならレミリアが内包し続けていたはずの要素が独立してしまったということ。
本来ならありえなかったこと。だから「互いが互いの矛盾」となる。

> 回避できない――この世界では。
咲夜とフランドールの戦闘。クランベリートラップ、レーヴァテインが表現されます。
時間を止める能力とは、咲夜の望む世界を作り出すということ。
「世界をも破壊する炎の剣」だけが、静止しなかった。

> 「ファイブカード。私の郷にはそんな役があるんですよ」
フォーオブアカインドの最後に、咲夜が口にする。これも伏線のひとつではないでしょうか。後述します。

> 虹色の円環の門を潜り、存在の許されない禁断の領域へと至る。
二人の「かけっこ」。これだけは原作と大幅に違う表現をされていますが、スペルの並びとこの文章によって、まず恋の迷路であることが分かります。そして加速。スターボウブレイクのことでしょう。スターボウとは、亜光速で進む宇宙船の進行方向上に見えるとされる、同心円状の虹です。
よってこれは二つのスペルを同時に表現しているシーンとなります。最後に「――ブレイク!」とあるのが、ひとつのヒントになっています。

続くレミリアとパチュリーの会話は、暗示的なものを多く含みます。

> 「魔狼を縛る鎖、かしら?」
魔狼とは北欧神話に登場するフェンリルのこと。終末の大戦争(神々の黄昏。ラグナロク)において、主神オーディンをも飲み込む恐るべき存在。あらゆる束縛をものともしない凶暴性が、フランドールと重なり合います。
魔狼を縛る鎖=カゴメカゴメ? 作中にスペルとして登場しないのは「ありえないもの」だからでしょうか。だからフランドールは外界に出てくることができる、という部分までを含んでいるのかもしれません。

> 「月の姫への婚礼の貢物、ね」
こちらは日本のかぐや姫。求婚する皇子たちに要求した貢ぎ物です。
月――恐らくここでは狂気の象徴。月の姫(かぐや姫)=フランドールを現世に留めるというのは、狂気に向かおうとする彼女を救い出すということ。

> 「既に式は編み上げてあるわ。後は在る事を証明するだけ」
=Q.E.D.
フランドールのラストスペルに対応。スペルとしてではなく、証明が終了したとき物語が終わるという形で登場しています。

ここからフランドールの一人称に切り替わります。カタディオプトリックのキャッチボール。

> 「ジャックのいる綻びた世界を、繕って欲しい?」
> 「ええ。あの子の退屈を、癒してあげて欲しい」
> 「キングが癒されたように、かしら?」
> 「――――――ええ。そうね」
レミリアが咲夜に癒されたという過去が示されています。それが奇跡を期待する動機、根拠になっているのです。なお、咲夜もまた内心に孤独を抱えた存在であると、過去のSSで描かれています。互いが互いを癒す関係だと解釈できるでしょう。

ここで少し想像を広げてみました。
「ハートのジャック」の歌に沿って、ジャックの役割に対応しているフランドール。しかし、不意に気づきました。ハートのジャックとは――同時に咲夜ではないか、と。
咲夜はジョーカー。ワイルドカード。どのカードにもなれる存在。
フォーオブアカインドのシーン、ファイブカードを伏線とすれば、「咲夜自身がハートのジャック」であるという推論も可能となります。言葉遊びとしては切り裂きジャックともかかっているのかもしれませんが、それ以上に作品に関わる部分があります。
歌の中で、ジャックはキングにぶたれる。
レミリアがキングであるのと同様に、彼女の鏡像であるフランドールもまた、キングなのでは。そのキングに、ジャックの咲夜が傷つけられる。
歌と一致しない部分も多いため、あくまでも個人的な想像に過ぎませんが――

> 左手に残った手の跡に、右手を重ねて膝を抱える。
恐らくここが「過去を刻む時計」でしょう。
左手に刻まれた咲夜の手の跡は、腕時計を思わせます。それがつけられたのは戦っている最中、つまり過去です。
科学には疎いのですが、最初はスターボウブレイクで光速を越える部分を、時間にも関連づけているのかと思いました(特殊相対性理論)。しかしスペルカードの並びを考えると、この部分以外にありません。

> もちろん、空間操作に関する限り、ネイティブの彼女に敵うわけもないのだけど。
パチュリーの愚痴。ここで、咲夜の能力が空間操作であることが示されています。時間を操る=望む世界を作る、という解釈に基づいた部分でしょう。止まらなかったレーヴァテインの論拠にもなっていると思われます。

>「でも、ご主人様の隠そうとしてるものを、従者の貴女が暴いていいのかしら?」
>「キングは、取り戻してきなさい、と仰いました」
取り戻すのはタルト(作中ではクランベリー)だったはず。この食い違いは何か?
レミリアが指していたのは、自身から生まれた存在そのもの――隠そうとしていたもの=フランドールだと思われます。レミリアが彼女を認められるようになったとき、本当の意味で「取り戻した」ということになるのでしょう。

> 「寂しがりやのハートのジャックは、いつだってハートを見つめているんですよ」
ここでも再びハートという要素が繋がります。
彼女の孤独な心は、きっと癒されたに違いありません。
フランドールが寂しがりやである、と解釈できる部分ですが、「咲夜自身もハートのジャックである」と仮定すれば、「寂しがりやの」が咲夜にもかかってきます。彼女が孤独を抱えていたことを考えれば、不可能な仮定ではありません。裏にそこまでの意図を含んでいるのだと考えれば、咲夜、レミリア、フランドールの三者に共通する心を暗示した台詞ともとれます。
同時に、咲夜はいつでもレミリアやフランドールの「心」を見つめているのだと解釈することが可能になるのです。
本来ならフランドールは生まれず、レミリアも今のような存在ではなかった。レミリアが因果に気づく原因を作ったのは誰か?
この事件において奇跡を起こしたのは?
もちろん、それは彼女たちを癒したジョーカーに違いありません。

あとがき
最後は私なりの飛躍気味の解釈が混じっていますが、あなたは作品をどう解釈しましたか?
パズル的要素とストーリーの面白さが組み合わさったこの作品、もう一度じっくり読み返してもらいたいです。

(2003/12/12)

 


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