「逆転裁判シリーズ」
GBA用ソフト/CAPCOM

 

考察:法廷パートの視点移動

「複数の人物を描くとき、読者から見た位置関係をむやみに逆転させるのは混乱を招く」
記憶が確かならば、週刊少年ジャンプの新人向け講座にあった注意文である。例えば横からの視点で、向き合う二人の人物を描くとする。
人物Aが左、Bが右。
位置関係の逆転というのは、次以降のコマで唐突にBが左、Aが右という配置を行うことだ。もちろん意図を持って逆転させる場合はあるが、読者を混乱させない工夫が必須となる。
さて、逆転裁判において、裁判シーンの人物配置に違和感を覚えたことはないだろうか。
通常のやりとりではナルホドが左、御剣ら検事が右に配されている。表情豊かに会話を行う両者を思い出してもらいたい。

ゲームを進めると、傍聴人たちからざわめきが起きる場面に出くわす。ここでは法廷全体がカメラに収まる構図をとる。その時、ナルホドたち弁護士サイドの人間は、左を向いた形で「右側に」配されている。御剣ら検事サイドは当然「左側に」立っている。裁判長は正面奥におり、被告人は背中を向けて正面手前に立っていることになる。
正直に言えば、逆転裁判1を初めてプレイした際、私はここでかなり混乱した。理由は一つ、アップで映されたときは左にいたはずのナルホドたちが右に立っていたからだ。
左にいた人物を見て、一瞬「ナルホドに見えないぞ……?」と思ったのは、そもそもナルホドではなくアウチ検事だったのだから当たり前のこと。「何を愚かな」と思われるかもしれないが、私はナルホドが左にいて当然だと信じていたのである。

ゲームと漫画の創作技法を同一視するのはいささか危険を伴うが、静止画をプレイヤーに提示するという部分で、私は人物配置においても共通のテクニックが通じると考える。
ここで「逆転裁判はセオリーを無視し、プレイヤーに混乱をもたらした」と責めることはできるが、私には制作者がこの部分に気づかず製品化したとは考えにくい。ある意図があったと考えるのが自然だろう。

アップでは左に立っているナルホドが、なぜ法廷全体のショットでは右側なのか? この「矛盾」を読み解くために、私たちは発想を「逆転」すればいいのだ。キーワードは「視点」である。

法廷内で右向きのナルホドを見ることができる人物は限られている。そう、裁判長だ。彼ならば弁護士を左、検事を右に見ることができる。
ナルホドと御剣の攻防が行われ、カメラが何度も左右に振られる……これは二人のやりとりを見る裁判長の視点なのだ。証言台の人物を真正面から見られるのも彼だけであり、プレイヤーは裁判長の視点で一連の流れを眺めていることになる。

別の例を挙げよう。裁判中にマヨイが言葉を発する。カメラは彼女をアップで映す。その横顔はどちらを向いていたか。
「左」である。
裁判長が彼女を見たと仮定するならば、マヨイは「右」を向いていなければならない。なぜそうではないのか?
言葉を発したマヨイに目をやったのが、すぐ脇に立つナルホドだからである。法廷の全体像を見れば、マヨイはナルホドよりも奥(裁判長に近いほう)にいる。左向きの彼女を間近で見られるのはナルホドだけなのだ。その位置関係はマヨイの背景からも推察できる。

――逆転裁判の法廷パートにおいて移動する視点は、各キャラクターの視点と一致している。
これは、キャラクターの目から現場を映すことによって臨場感を増すための技法であると考えられる。

もちろん、厳密に言えば当てはまらない視点も存在する。例えば裁判長を正面から見られるのは証言台の人物であるが、会話の流れを見るとそうではないと思われる場面も各所にある。また、裁判長の視点で弁護士の席を見れば、本来ナルホドのアップはもう少し見下ろすような角度で描かれなければならない。
しかしあまりにも厳密にこれらを適用すれば、本来の主役であるプレイヤーが置いてきぼりになる。アップになるナルホドたちはほぼ真横から描かれるから絵になるのであり、裁判長を斜め横からアップにすることと同様、有効な描写であるとは考えにくい。無駄は省かれるべきだろう。

また、「例外的な視点」も存在する。それが法廷全体のショットだ。
この視点で場を見られる人物は存在しない。証人を正面から見た場合、その背後は傍聴席ではなく壁になっているからである。
傍聴人は弁護士、検事らの頭上に設けられた席に座っている。ざわめきを彼らの動きと一緒にカメラに収めることで、プレイヤーは場が動揺していることを実感する。誰かのアップではなく、法廷の「空間」を映すことに意義があるとも言えるだろう。
あのショットは、法廷全体の空気感――雰囲気を表現するために、あえて誰の視点でもない「架空の目」を設けた構図であると考えられる。

以上のことから、逆転裁判の法廷パートにはプレイヤーを楽しませるために視点への工夫が凝らされていると結論することができる。

(2004/03/02)


あとがき
このように自由自在に視点を移動させる手法は、映画や三人称の小説などにも見られます。絵のない小説にカメラワークなど存在するのか? という疑問があるかもしれませんが、存在します。このあたりは余談になりますが、上手い作家の文章を分析してみると(シーンにもよりますが)部屋の手前から奥へパンしたり、架空の目から登場人物の目を借りたカメラ視点に切り替わったり……。
映像を伴ったメディアである本作は、そういった手法に沿ったカメラワークを意識しているのではないかと思います。

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