アトラク=ナクア
PC用ゲームソフト/アリスソフト

 

名前に込められた意味
名作の誉れ高いアリスソフトのノベルアドベンチャー「アトラク=ナクア」。
女郎蜘蛛である比良坂初音が人里に下り、とある高校に入り込んだ。そして、彼女は人を喰らうべく動き出す。傷ついた身体を癒すために――
このようなイントロで作品は幕を開ける。

物語の舞台となるのは「県立八重坂(やえさか)高校」。一見何気ない名称であるが、ここには深い意味合いが込められている。
以下、アトラク=ナクアにおけるネーミングについて考察したい。

まず、日本語によるネーミングの重要性とは、文字や単語ひとつひとつに様々な意味が存在するという事実に由来している。
思緒雄二「送り雛は瑠璃色の」(創土社)に、文字・言葉の持つ意味について興味深い表記があるため、p14/パラグラフ2より部分引用する。
「境(サカイ)は坂(サカ)、迫(セコ)、崎(サキ)、底(ソコ)であり、黄泉比良坂(よもつひらさか)が“ヨミ(黄泉)のヒラ(崖)サカ(境)”であることは疑いようがないと思われる。ここにおいて示される“境”とは、顕界たる他と異国をわかつ山坂だけでなく、大海(わだつみ)との境界たる海岸、崎、そして地下へ通じる洞窟をも暗示している。そして、ここにおいては既知と未知、陽と陰、昼と夜、生と死、光と闇、男と女、などの強烈な極関係が想起されるのだ。
 境において蛇が祀られるのは死霊のためであったし、橋の神霊が“橋姫”などとよばれ、境の神を男女二神によって表すことが多いのも、上記の関連性を裏付ける」

これを踏まえて「坂」という文字、そして「八重坂高校」という名称を解釈すれば、以下の通りとなる。

八――蜘蛛の足。つまり初音そのもの。
重――折り重なる蜘蛛の糸、つまり蜘蛛の巣を暗示する。
坂――人と妖の、絶対的な境。境界。

つまり八重坂高校とは「蜘蛛の巣」であり、「人の世界」から隔絶された「妖の世界」である。
作品内では色々な手法で異界である様が描かれているが、これらは「初音の手による結界が作用しているため」と説明されている。

結界を張り巡らせることで八重坂高校を自らの巣とし、人を喰らっていく初音――作品のメインストーリーが、物語の展開する前段階ですでに暗示されていることに気づくだろう。
初音の名字「比良坂」にもこれと同様の意味合いが織り込まれている。

比良坂――八重坂の「坂」と同じく、境を意味する。初音自身が人と妖の狭間に立つ存在であることを暗示している。

初音はもともと妖怪ではなく、人間であった。つまり人と妖の両義性を持っている人物である。
初音自らがいつしかそう名乗るようになったというが、これは彼女が自分の存在を「人ではなく純粋な妖でもない」という意味合いのもとに決めた姓ではないだろうか。恐らく気紛れであっただろう。しかし、そこに彼女の人としての感情が滲み出ているような気がしてならない。

なお終章において、初音が最も力を発揮できる蜘蛛の姿をとらず、あえて人の姿のまま戦うという描写がある。人と妖と、境――その場所に居合わせる三人の存在を考えると象徴的なシーンであり、彼女の内面を考えるにあたって極めて重要な描写であるように思われる。

「作者の意図を織り込んだネーミングは、世界のリアリティを無視している」という意見を耳にしたことがある。名前は世界の歴史や、人物の両親などによってつけられるものであり、作者がねじ曲げてはいけない、という意見だ。
しかし、フィクション、創作の場におけるネーミングとは、現実のそれとは違うことを認識する必要があるだろう。一例を挙げれば、「重要人物の名前を変えれば、物語自体を変えなければならない」と断言するプロ作家たちがいる。
名前の持つ意味を、テーマ、物語、人間性などに反映させることで、作品をより明快に、あるいは深く表現していくことが可能となる技法である。そのために前述のような言葉が生まれるのだ。もちろん、一度決めた名前を容易に変更できない理由はここにある。
アトラク=ナクアのシナリオライターふみゃ氏も、途中で「初音」という名前が他のメーカーの有名なキャラクターと同じだと気づいたが、そのまま変更せずに書いたというエピソードが残っている。

もっとも、アトラク=ナクアにおいてはいくつかの点で意図と世界を上手く結びつけている。
八重坂は、この地に伝説として残っている蜘蛛神が名前の由来となっている可能性が高い。「八重」がその部分であり、学校が高台に位置するから「坂」と続いているのだと推察できる。あるいは蜘蛛神がいたという山奥を人が踏み込んではならない聖地と見なし、ここに関わりを持つ地に「境」=「坂」と名付けている可能性もある。後者は地形に関わらず、周辺のあらゆる土地に当てはめられる考え方だ。
これがシナリオライターの「作品世界のリアリティ」に対する答えだろう。
なお作品終盤に燐という巫女が登場する。彼女の神社と血筋は蜘蛛神に由来するものであり、「八神」の姓が示すとおりである。燐もまた内面に両義性を持った人間なのだが、人としての血がはるかに強いため、初音ほど妖寄りではない。

以上で名称についての簡単な考察を終えることにしたい。
舞台と主人公の名が作品世界を象徴するという、見事なネーミングといえるだろう。それを映して展開する物語もまた秀逸であり、ぜひプレイしてもらいたい傑作である。

(2003/10/09)


後書き
八重坂高校は、シナリオライターふみゃ氏が通っていた学校がモデルになっている、と読んだ記憶があります。実際にあった坂をこのような意味合いで活かすのは興味深いですね。
比良坂というのも、まず「初音」が先にあって、名字は後からつけたというようなコメントを書かれていた気がします。名字の重要度が低そうなニュアンスだったと記憶していますが、なかなかどうして重要ではありませんか。

ところでネットを見ていたりすると
「作者がそこまで考えているわけがない」などの意見も時々ありますが、偶然では決して生み出せない要素の配置というのは間違いなく存在します。そこを読みとる努力をすると、輝きをさらに増す名作は多いので、ぜひ。

よく耳にする不満点について
この作品は「ゲーム」と銘打っていない。あくまでも「ノベルアドベンチャー」。
分岐はあっても結末は決まっている。そこに不満を抱いたプレイヤーの数はかなり多いようですが、あえてこのスタイルを取ったスタッフの意志を考えてみたいところです。
結末がひとつだからこそ、表現できるテーマがある――映画や小説の手法ですね。好みやプレイヤーとしての満足度を横に置き、この手法をとった意図を読みとることができれば、不満も解消されるのではないかと思います。


コメント、感想、魂の叫びetc...何かありましたらお気軽にどうぞ。

indexへ戻る