お久しぶりの京主ですが、この話は09年5月発行京主本の後日譚となっております。
一応独立しても読めるかなとは思いますが、その点ご了承下さい。
密かに「ひーちゃん」呼びを封印してみたり、距離のある関係を心がけたり、
色々狙ってみたんですが、思いっきり外してる気が…(爆)
その辺り、ご理解ご了承の上、↓へどうぞ〜





 地上へと一歩踏み出した途端、吹き付けてきた強い風に小蒔は肩を竦めた。地下とのあまりの気温差に、再確認するまでもない当たり前の感想が零れる。
「ほんっとに寒いなぁ…」
 昼間は暖かくてコートが邪魔なほどだったのに、日暮れと共に気温はぐっと下がった。覚悟はしていたのだが、新宿のビル風は容赦なく体温を奪っていく。
 地下鉄に揺られている間は、この街を訪れるのも随分久しぶりだ等とと感慨めいたものを抱いていたのだが、現実は小さな感傷など容赦なく吹き飛ばしていく。のんびりと感慨に耽っていては風邪を引いてしまう。完全に冷え切る前に暖かい場所へ逃げ込もうと足を速めたその時だった。

 ふっと意識の片隅に何かが引っかかる。

 何かに呼ばれるように顔を上げた小蒔は、駅前の雑踏に目を凝らした。二呼吸ほどで、その『何か』を見つけ出した小蒔は今度は別の意味で目を見張った。
「龍麻クン…?」
 何年ぶりになるだろうか、最後に話した時よりも少しだけ髪が伸び、日焼けした顔は随分大人びて見える。けれど、一目で惹きつけられるその存在感はあの頃と変わっていなかった。
 その為にここまで来て、目的地は同じなのだから、その途中で顔を合わせるのは不思議でもなんでもない。タイミングの問題だ。けれど、そのささやかな偶然が嬉しくて小蒔は大きく手を振った。
「たつ……」
 その声が途中で消えたのは、人波が切れ、龍麻の傍らに人影があるのに気づいたからだ。
 龍麻よりかなり小柄の女性で、綺麗に伸ばした髪に似合わない大きな鞄を抱えている。遠目ながらもなかなかの美人だが、少なくとも知った顔ではない。笑顔で話しかける龍麻に、少しはにかんだように応えるのが印象的だった。
 手を挙げてみたものの、小蒔は声を掛けるべきか迷う。邪魔をしては悪いという気持ちがある一方、妙な違和感もあってなんだか見過ごせない気がしたのだ。迷っている間に、人混みを避けるように道端で話していた二人が肩を並べて逆方向へと歩き出す。
「あ…」
 咄嗟に後を追おうと足を踏み出したその時、龍麻がくるりと振り向いてまっすぐに小蒔を見た。
「――――――っ」
 その顔に浮かぶ表情に、小蒔は軽く息を飲んだ。



 『同窓会』は盛会だった。集まる人数自体が多いことや、すっかり有名人になってしまった仲間がいることも考慮して店を一軒貸し切りにしたので、店内は殆ど知った顔で占められている。都合のついた者から順番に集まって盛り上がり始めた為、既に店内には熱気が充満していた。
 その一角に、そこだけ切り離されたように静かな空気を漂わせる空間があった。
 舞薗さやかとそのマネージャーが仕事の打ち合わせをしているのである。多忙な彼女の事情は全員よく知っており、邪魔をしないようにとそこだけは店内の熱気からは切り離されていた。
 それを、少し離れた場所から京一はうっとりと眺めて溜息を吐いた。
「さやかちゃん、相変わらず可愛いなァ…」
 まるで締まりのないその顔に、アン子が呆れ果てたと言いたげに肩を竦める。
「アンタは相変わらず、鼻の下伸びきってるわよね。こそこそ張り付いて眺めちゃって、気持ち悪いったら」
「アン子…人のこと言えるのかよ。お前だってさやかちゃん目当てだろーが!」
「あたしは、舞薗さやかの素顔を求める大衆の声に応じてるだけよッ!」
「それが俺とどう違うってんだ?一緒だろーがッ」
「ふんっ、一緒にしないでよね。ジャーナリズムとアンタのスケベ心は違うっての」
「なんだとーッ!」
 次第に大きくなる声に、傍に居た霧島が慌てて割って入る。
「ま、まあまあ、遠野さん。京一先輩も。落ち着いてください。久しぶりなんですから、もう少し仲良くというか、和やかにというか…」
 平和にいきましょう、と言いたかった霧島は、しかし同時に二人からぎっと睨まれる。
「ちょっと、誰が仲良くよッ!」
「純粋なファンの俺とブン屋根性に染まったこいつを一緒にすんなっ!」
 双方から同時に睨まれて言葉に詰まる霧島に、醍醐が笑って助け船を出した。
「ははは、霧島、ほっといてやれ、こいつらはこれがコミュニケーションなのさ。仲の良いのは相変わらずってとこだ」
「そうなんですか?ならいいんですけど」
 霧島はその言葉にほっとしたように笑ったが、当人達は当然今度は醍醐へと矛先を向ける。
「てめェ醍醐、勝手に決めるな!」
「そうよ、私とこの馬鹿の一体何処が仲が良いのよッ!」
 その抗議に応じたのは、昔と変わらぬ聖女の笑みだった。
「ほら、二人とも。言ってることが同じよ?」
 からかうような笑顔に、それ以上の反論を封じられた二人がようやく黙り込む。そこへ打ち合わせを終えたさやかが顔を出した。
「すみません、久しぶりなのに遅くなってしまって」
 申し訳なさそうなさやかの横で、さやかのマネージャーが更に恐縮しきりと言った風に付け加える。
「プライベートのお邪魔はしたくないんですが、今、届け物を頼んでいる所なんです。それさえ確認して渡せたら僕は退散しますので」
 深々と頭を下げるマネージャーに、京一は笑って片手を振った。
「そんなの気にすんなって。さやかちゃんが忙しいのはみんな知ってるし、他の連中はもう騒いでんだから誰も邪魔なんて思ってねェからよ」
「ええ、よろしかったら一緒にいかがですか?店は貸し切りですから」
一緒にどうぞと勧める美里にアン子が身を乗り出して同調する。
「そうそう、ぱーっとビール辺りで乾杯して、その勢いで、さやかちゃんの、海外公演の噂なんかについても聞きたいな、なんて…」
 揉み手の勢いのアン子だったが、
「アン子、お前な…」
 京一の白い視線に曝されて、最後まで言えずに語尾が萎む。
「遠野。程々にしておけよ」
「アン子ちゃん…」
 醍醐と美里にも揃って諫められ、アン子は溜息を吐いて肩を竦めた。
「わかったわよ。じゃあ新ネタ取材は諦めて、日常生活ネタなんかを少しでいいわ」
「……全然わかってねェだろお前」
 その突っ込みに同調するように、その背後から面白がっているような笑顔がひょいと顔を出した。
「ホント、アン子は相変わらずだねー」
「桜井ちゃん!」
 腕を広げて歓迎を示すアン子に、小蒔が軽い抱擁で応じる。
「でも、そういうところないとらしくないかも。アン子は常に突っ込むところを探してるっていうか、突っ走ってる感じだもんね」
「久しぶりね!それどういう意味よ?まるで私に落ち着きがないみたいじゃない」
 口を尖らせて不満を訴えながらも、アン子は小蒔のために椅子を引いてやる。礼を言って腰を下ろしつつ、小蒔は悪戯っぽく片目を閉じた。
「落ち着きがないんじゃなくて落ち着くつもりがないんでしょ?前にジャーナリストは常にアンテナ張って動いてないとって言ってたし」
「うっ、それはそうなんだけど、なんか落ち着きがないって言われるのも納得いかないんだけどなぁ…」
 不満そうなアン子の気を逸らすように、美里が小蒔に声を掛けた。
「小蒔、お疲れさま。無事に仕事は終わったの?」
「うん、ちょっと遅れるかなと思ってたんだけど、色々タイミング良くってさ。交替間際に何もなかったのがラッキーだった。ごたごたあるとどうしても長引いちゃうからさ」
「警察も今時は大変だからな…ともあれ桜井、ご苦労さん」
 醍醐がねぎらいと共に差し出したジョッキを、小蒔は笑顔で受け取る。
「うん、ありがと醍醐クン」
 そのやりとりを聞いていた京一が、醍醐の脇を軽くつつく。
「なんだ?京一?」
 くいくいと指を曲げて醍醐の注意を引くと、京一は内緒話をするように耳に口を寄せた。
「タイショー、お前未だに『桜井』なのかよ?ちったぁ進展というか、そういうニュースはねェの?」
「京一!な、何を…」
 途端に飛び上がった醍醐に、京一はやっぱりかと言いたげに肩を竦めた。
「お前そういうところは全然変わってねェな…少しは進展があったのかと思ったのによ」
「し、進展とは…」
「大体、お前奥手すぎんだよ。限度ってもんがあるだろうが。もう少し積極的に…ってうわ!」
 何気なく隣に目をやった京一は、今まさに話題に乗せようとした本人の顔を見つけて飛び上がった。
「それ、何の話?」
「さ、桜井…」
 話の中身が中身だけに、実はな、とは言いにくい。もろに赤面している醍醐に振る訳にもいかず、答えに迷った京一だったが、小蒔は委細構わなかった。
「ってか、ちょっといいかな?」
 京一は、何の話かと顔を引きつらせている醍醐に内心溜息を吐いて小蒔に向き直った。
「なんだよ、改まって」
「龍麻クンは今日は一緒じゃないの?」
 意外な名前に、京一は軽く目を瞬かせた。
「あァ。今日は野暮用で別行動。ってか、もう来る頃だと思うんだけどよ。そういや、遅いな」
 首を捻る京一に、小蒔がやっぱり、と眉を寄せた。
「なんだよ、龍麻がどうかしたのか?」
「うん、それがね…」
 小蒔の表情は困惑しているような戸惑っているような、なんとも微妙なものだった。あからさまに安堵した風の醍醐にも気づかないようで、迷うようにゆっくりと言葉を継ぐ。
「ここに来る途中にね、龍麻クンを見かけたの」
「なんだよ、声かけて一緒に来りゃ良かったのに」
「それが…声が掛けづらかったんだよね。…その、知らない子と一緒だったから」
「知らない子?」
「うん、何というか…」
 小蒔にしては珍しい、奥歯に物の挟まったような物言いに、京一は焦れて先を急かした。
「なんだよ、はっきり言え、はっきり」
「はっきり断言できる訳じゃないし、全部見てた訳じゃないんだけど、行き会った女の子に声を掛けてる…みたいに見えたんだよね。こう、お茶しませんか〜みたいな?」
 意外な、というよりもまるで想像出来ない内容に、聞いていたアン子が身を乗り出す。
「なに?それって要するにナンパしてたってこと?」
「あの龍麻が?」
 全員の顔に、揃ってそれはない、と言いたげな色が浮かぶ。しかし一度口にしたことで確信を持ったのか、小蒔の曖昧だった口調に力が籠もった。
「もちろん、断言は出来ないよ、出来ないけどそんな風に見えた。ロングヘアで、可愛いというより、綺麗な感じの子。何か似合わない大きな赤いバック持ってて、それを持とうかって言ってるみたいだった」
「それは…重たそうだから手伝おうとしてたんじゃないの?」
 美里の指摘に、小蒔は納得していない顔で首を捻った。
「うーん、そうかもしれないけど、なんというか雰囲気がね…」
「ただの親切じゃないって感じだったの?」
「うん、そう。なんというか…そう、色っぽいというか。女の子もなんというか、儚げな雰囲気があって、余計に雰囲気出ててさ。空気が違うみたいな」
 龍麻クンには似合わないとは思うんだけど、と付け加えた小蒔に、
「小蒔、そいつは…」
 京一が更に尋ねようとした時、予想外の所から声がかかった。
「すいません、話の腰を折るようで申し訳ないんですが…」
 さやかの傍らで話に入らないようにと一歩引いていたマネージャーが、申し訳なさそうな顔ながらも、譲らない勢いで身を乗り出して小蒔に尋ねる。
「そのバックというのは、赤い下地に黒でMのロゴの入ったものでは?」
「あ、そうそう、そんな感じのだったと思います」
「持ってた娘は、ストレートヘアの小柄で大人しそうな感じでした?」
 小蒔がぽんと手を打って、
「そうそう、まさにぴったり」
 するとマネージャーはほっと笑って頷いた。
「それは多分、僕の頼んだ使いだと思います。取りに行って貰って、ここまで届けてくれるよう頼んでいるので。お友達に道を聞いたか何かで、一緒に居たんじゃないでしょうか?」
 その説明に、一同の顔に納得の色が浮かんだ。
「ああ、それならあり得るな。龍麻らしい」
「そうね、どっかの木刀馬鹿じゃなし、龍麻君がナンパしてるのって想像出来ないし」
「おいアン子、そのどっかの…ってのは誰のことだ、おい」
 ほっと空気が緩む中、
「うーん、それならわかるんだけど…」
 発端の小蒔だけは割り切れないといった風に首を捻る。
「小蒔、何か気になるの?」
 美里の問いかけに、小蒔は、
「実は一瞬、目があったんだよね、龍麻クンと」
「龍麻の方も桜井がいるのに気がついた、ということか?」
「うん、ばっちり目があったから、気づかなかったってコトはないよ。けど、その時に声を掛けて欲しくないって感じで目配せされたんだよね。だから声を掛けられなかったんだ」
そこが納得いかないんだ、と小蒔は腕を組んだ。
「確かに、いつもの龍麻君らしからぬ反応ねぇ…。桜井ちゃんを無視して女の子と連れだってった、ってことでしょ?道案内とかじゃない、スクープの匂いがするわね!」
「そういうコト。それに結局店とは反対の方に行っちゃったし」
 そこまで聞いた京一が、何故か大きな溜息を吐いた。
「で、小蒔、どこで会ったんだ?」
「駅を出たとこ。って、京一、行くの?」
 言いながら立ち上がった京一に、小蒔が驚いて声を上げる。
「龍麻の方から声を掛けて、一緒に歩いていったんだろ?んで、何か妙な空気があった、と」
 頷いた小蒔に、京一は袱紗を取り上げ、眉間に皺を刻んで答えた。
「スクープじゃなくてやばい匂いがぷんぷんしてくるぜ。十中八九、そりゃトラブルだ。色っぽい話なんて可愛いもんじゃねェよ」
 自分も手にしていたジョッキを置いて立ち上がった醍醐は、面白そうに京一に尋ねる。
「なんだ、随分確信があるようだが、それは経験則か?」
 それに京一は目一杯の渋面で答えた。
「まぁな。大体、あいつが自分から声掛ける時はろくなことじゃないんだからよ。大事になる前にさっさと片付けちまうに限る」


 龍麻は、歩きながらこの先採るべき手段について迷っていた。
 幸いなことに、人目を避けて来た中央公園には殆ど人影はない。
 勿論事を荒立てるつもりはないが、人目がないに越したことはない。こちらの事情を知らない目撃者というのがなかなか厄介であるのは経験済みである。鬼だの妖気だのを目の当たりにしてただの夢で済ませてくれる相手は意外に少ないのだ。うっかりするとこちらが犯罪者にされてしまう事態もあり得る。しかしこの様子なら、見られることもなさそうだった。

 問題は、ここからどうするか、である。

「あの…荷物を…届けたいんですけど」
 か細い声に振り返れば、不安げに揺れる瞳がこちらを見ている。
「うん、もう少しで着くから、安心して」
 不安を払拭するような笑顔を浮かべて見せた龍麻に、女性は少し安心したように頷いたが、目光は落ち着かない。
 漂う異質な気配は龍麻にとって慣れたものではあったが、街中に置いておけるものではない。見かけた以上放置は出来ないと声を掛けた相手は、意外にも龍麻自身に縁があると言えなくもなかった。
「私の婚約者、あの舞薗さやかのマネージャーなんです。今度海外公演があるって、頑張ってて…。今日も大事な荷物を預かってきたんです。早く届けないと…」
 既にもう何回も聞かされていた事だったが、龍麻はそれを顔には出さずに少し驚いた風を装って頷いた。
「そうなんだ?じゃあ急がないとね」
「そうなの。さやかちゃんが待ってるから、急がないと。あっ、私の婚約者がマネージャーやってるんですけど…」
 また同じ所に巻き戻される言葉は、繰り返される度にどんどん危うさを増している。
 小柄で華奢な体格と相まって、典型的な『護ってあげたい』タイプの美人なのだが、それを致命的に裏切っているのが、その足下に伸びる昏い影だった。
 陰気を好む鬼が、彼女の影にしっかりと取り憑いているのだ。
 普通の人間には見えないであろうそれは、龍麻には珍しいものではない。不本意ながらその手のモノにはやたらと好かれる体質故に、遭遇するのには慣れていると言ってもいいくらいだ。
 しかし、それがそういうモノに耐性のなさそうな一般人に憑いている、となれば素通りも出来ない。関われば面倒になるとはわかっていても、龍麻は放置すれば早晩暴発するのが必至の時限爆弾を見過ごせるほど非情ではなかったし、軽く探りを入れてみれば、仲間の関係者でもあるらしい。事態が悪化する前に、なんとかしなければならなかった。
 問題は、その手段だった。
 よほど相性が良いのか、時間をかけたのか、鬼は既に彼女の影と殆ど同化してしまっている。
 更に、そういうモノに好かれる龍麻が隣にいることで、状態は悪化してきているようだった。
 本当なら、ここまで来る間に聞き出した彼女の不安の源に協力を願って穏便に引きはがした方がいい。その方が本人への影響も少なくて済む。しかしそうも言ってられないようだった。
「私は…行かないと…」
 譫言のようにそう呟いた彼女の眼差しは既に虚ろだった。定まらない足取りで、それでも何かを求めるように足を踏み出す。
「あの人に…届けにいかないと。あの人の…夢なんだから…」
 延びる影がぞわりと波打つ。
 そこから何かが這い出てこようとしている事に気づいて、龍麻は躊躇いを捨てた。
 迷っている時間はない。
 多少強引だが、今ここで始末をつけないと事態は更に悪化する。
 龍麻は意識して、体内を巡る氣を解放した。
 上着を一枚脱ぎ捨てるように、押さえていたものを外へと放つ。
「何処へ、行くの?」
 彼女の足がぴたりと止まる。
 同時に、影に潜む何かがざわりと蠢いた。
「私は…あの人の所に…」
 繰り返す呟きを遮るように、龍麻は語尾を引き取った。
「そう、行かなきゃいけないんだよね。その前に、やらなきゃいけないことがある。その荷物を、置いていかないと」
「え…?」
 虚ろな表情に、迷いの色が混じる。それに反応するように波打つ影を見据えて、龍麻は更に氣を高めた。
「大事な荷物を頼まれてるんだよね?だから急いで。早くしないと間に合わないかもしれない」
「そう…私、急いでるんです。だから行かないと」
 龍麻はにこりと笑うと、
「けど、急ぐにはその荷物は邪魔だ。わかるよね?だからここに置いていこう。そうすれば楽になるから」
 それを拒むように、一歩下がる彼女と、反発するように更に波打つ影。一つだったものは今や二つに分かれようとしていた。
「嫌…」
「荷物を捨てて。そうすれば、間に合うから」
「いや…わた…しは…」
 これなら上手くいきそうだとそう思った時、意識の端によく知った気配を感じ取って、龍麻は思わず口の端を緩めた。
 その先頭によく知った、多分怒っているであろう気配を確かめて、龍麻は更に一歩踏み出した。
「それを捨てて、一緒に行こう。そうすれば君の欲しいものをあげる」
「駄目…これは…大切な…」
 せめぎ合う影にとどめを刺すように、龍麻はわざと無防備に構えを解き、片手を差し出して誘いを掛けた。
「―――さあ、さっさと出てこい。お前の欲しいモノはこっちだろう?」
 鞄を抱え込むようにして彼女が膝を折るのと、その影から飛び出した異形が龍麻に襲いかかるのとはほぼ同時だった。
「美里、頼む!」
「はい!」
 その声に呼応するように柔らかい光が彼女を包み込む。それを確かめた時には既に、目の前には見慣れた背中があった。
「うぉりゃああっ!」
 見事な呼吸で踏み込んでの一閃は、その場の穢れを跡形もなく吹き飛ばす。
 同時に、
「龍麻クン!」
「龍麻!無事か!」
 駆け寄ってきた中に小蒔の顔を見つけて、龍麻は思わず苦笑した。小蒔には、気にせずに見たことは忘れて行ってくれ、との意味で目配せしたつもりだったのだが、やはりそういう訳にもいかなかったらしい。折角の再会の時間の邪魔はしたくなかったのだが、けれどこうして駆けつけてくれることにほんのり胸を温められるのも事実だった。
「うん、大丈夫。悪いな、せっかくの『同窓会』なのに、こんなとこまで引っ張り出して」
「気にすることじゃないさ」
 龍麻の笑顔に安堵したように頷く醍醐に対し、アン子はこの先が大事とばかりに身を乗り出した。
「龍麻君が美人をナンパしてるって聞いたからね!悠長に飲んでる場合じゃないって、駆けつけてきたんだけど………やっぱり色気はなし?」
「残念ながら」
 笑いながらの短い答えにがくりと肩を落とすアン子に、醍醐が笑い声を上げる。
「ははは、龍麻に限って、遠野の飯の種にはならんさ」
「ちょっと!それどういう意味よ!」
「しかし、結構な大物に見えたが…?」
 大丈夫なのかと問いかけてきた醍醐に答えるより早く、木刀を仕舞い込んだ京一が仏頂面で口を挟んだ。
「お前な…何やってんだよこんなとこで」
 一人でやれば怒るだろうと予想はしていたが、やはり京一には不快だったらしい。
「何って…一応人助けかな?」
「あのな。ここは中国の奥地じゃないんだぞ?」
「そうは言っても、ほっといたら大変なことになりそうだったんだ。見過ごせないだろ」
「アホ。場所とやり方を考えろ、つってんだよ。あんな派手なやり方があるか。しかもお前構えてなかっただろが」
「仕方ないだろ、これ以上置いといたらホントにやばそうだったんだから。それに…」
 龍麻は小さく肩を竦めて、京一の仏頂面を見返した。
「どうせお前が割り込んでくるって思ったからな」
 構えを解いたのは、何も考えていなかった訳ではない。京一が来たことに気づいたからだ。
 あの状況、あのタイミングなら必ず京一は飛び込んでくる。そう確信していたからだし、事実その通りになった。完璧なタイミングだったのに何の文句があるのか?と視線だけで問えば、
「…お前、それは反則だろが」
 京一は押し黙った後、深い深い溜息を吐いてそう呟く。
「違うのか?大体、俺が自分で片付けたって文句言うんだろう?ならその分譲った方がいいって思っただけだ」
「そりゃそうだけどよ…」
 不満げな京一に、駆けつけるだけになった形の醍醐と小蒔が揃って肩を竦めた。
「相変わらずだな、お前達は」
「だね、仲が良いことで。京一も自分でざっくり斬れたんだから文句言わなくてもいいじゃん」
「だな。終わりよければ全て良し、だ」
「あのな、俺が言いたいのはだな…」
 醍醐らに日頃の苦労を言いだした京一を余所に、龍麻は倒れ伏した女性に付き添う美里に声を掛けた。
「美里、急にごめんな。彼女は?」
「大丈夫、気を失ってるだけよ。体力が落ちてるようだけど、少し休めばよくなるわ」
 そこへ、遅れてさやかとマネージャーが共に駆けつけてきた。地面に横たわる女性の姿を見たマネージャーは顔色を変えて駆け寄る。
「香織…っ!しっかりしろっ!」
 取り乱すマネージャーに、美里が優しく声を掛けた。
「大丈夫ですよ、気を失ってるだけで、怪我もありません。直に目を覚ますと思います」
「え、でも…」
 美里の言葉を補うように、さやかが傍らから言葉を添えた。
「大丈夫です、私にもわかる。少し疲れてるみたいだけど、彼女はすぐに目を覚ますと思います」
「そう、かな…」
 さやかの不思議な力を知るマネージャーは、その言葉に初めて安堵したように力を抜いた。
 それを見ていた龍麻は、落ち着いた頃合いを見計らって声を掛けた。
「貴方が彼女の婚約者ですか?」
「え…あ、はい」
 見るからに生真面目そうな顔立ちと話しぶりに、自分の予想は外れていないと踏んだ龍麻が、にこりと笑って切り出した。
「最近仕事が忙しいそうですね。夜もまともに家に帰ることが出来ないとか」
 マネージャーは何故それをと言いたげに小首を傾げながらも頷いた。
「ええ、少し…海外との折衝とかいろいろありまして」
「お忙しいのは仕方ないかもしれませんが、彼女、心配してますよ」
 人が心に闇を抱くのは同等の強い思いが反転する時だ。
 何かを一途に思えば思うほど、その裏側に出来る闇は濃い。
 たとえば、大切な人が何かに夢中になるのを羨んでしまうように。
 そして制御できない感情は陰の気を呼んでしまう。
「忙しいのは仕方ないかもしれませんが、少しだけ、彼女にも気をつけてあげて下さい」
「はい…ええ、わかりました」
 龍麻の言葉に何か思い当たることがあったのか、マネージャーは神妙に頷いた。
 そのまま彼女に付きそうマネージャーを見やって、京一は目を細め龍麻に尋ねた。
「原因はあれか?」
「うん、婚約者が寝ても覚めても仕事………さやかちゃんにかかりっきりなのがすごく不安だったらしい。でも、自分が一番に理解者だって自負もあってそれを口に出せなかったんだって。その歪みにつけ込まれた、ってとこ。なまじっか我慢強くて情が深いもんだから余計に溜め込んじゃったんじゃないかな」
 そう言うと、龍麻はほっと息を吐いて笑う。
「最悪の事態になる前で良かったよ。あの二人にも、さやかちゃんにもさ。さやかちゃんは自分の仕事にかかった所為で…とか、気にしかねないし」
 京一はまぁな、頷いたものの、眉間の皺は消さずに龍麻をじろりと睨んだ。
「それはわかった。けど、納得はしてねーから」
「なんだよ?不満か?」
「人助け自体にどうこう言う訳じゃねェよ。けど、あんなの目の前で見せつけられるこっちに身にもなれっての!大体鬼をナンパするなんて最悪に趣味が悪いんだよ。前にもああいうのはゴメンだ、って言っただろうが」
 吐き出すような愚痴に、龍麻は一瞬目を見張り、次いで面白そうに口の端を上げた。
「もう慣れただろ?」
「慣れてたまるか。つーか、勝手に慣れさせようとすんな!」
 がぁっと吠えた京一に、艶やかな笑みと共に殺し文句が告げられる。
「俺は、お前が居ると安心して無茶が出来る。頼りにしてるぞ、相棒」
「………っ、お前な…!」
 京一は何か言い返そうと口を開いたものの、何を言っても敵わないことを悟って小さく息を吐いた。
「―――仕方ねェな、付き合ってやるよ。お前を護るって、そう決めたんだからな」