最初の印象はおかしな男、だった。
 鬼に囲まれるなど、滅多な人間は体験しないことだろうに、動じた風もなく、その拳一つであっさりとそれを片づけてしまった。その圧倒的な強さに真っ先に頭に浮かんだのは、『危険』の二文字。素性よりも何よりも、この男が敵に回ったらと考えた時、即座に理性は処断を命じた。
 しかし、死んで貰おうという言葉にも男は全く臆することがなかった。逆に、慌てて止めに入った桔梗の言葉に安堵したのは自分の方だった。
 理性が始末すべきだと叫んでいても、感情の方がそれに歯止めをかける。それは、感情を殺すことには慣れている天戒にしては珍しい衝動だった。
 逸る気持ちを押さえ、一緒に来るかと尋ねれば、男はあっさりと頷いた。
 死んでもらおうと言った、天戒の言葉を聞いていないはずもないのに。
 そうして、彼はこの村にやってきた。




「見つけたぞ、龍斗っっ!とっとと俺と…!!」
 派手な音を立てて道場に飛び込んできた風祭を見て、九桐が目を丸くする。
「何事だ?」
 構えていた槍を下ろした九桐に、天戒も刀を下げて風祭に尋ねる。
「どうした、澳継?ここには龍斗は居ないぞ?」
「えっと…すいませんっ!試合ってるみたいだったから龍斗の奴かと思って…」
「龍斗と、手合わせの約束でもしてるのか?」
 面白そうに尋ねる九桐に、風祭は思いっきり顔を顰めて見せた。
「あいつ、勝負するって約束した癖に逃げやがったんだ」
「龍斗が逃げたという事はないだろう?あいつは約束したことには固い奴だ」
「けど、居ないんだから逃げたに決まってるじゃねーか!ったく、あの卑怯者ッッ!」
 言葉は厳しいが、風祭の様子はどう見ても拗ねている風にしか見えない。約束を違えられて怒っているというより、居ないこと自体が不満、と言った風だ。
 傍目から見てもそれがわかりやすい分、九桐の言葉も笑みを含んだものになる。
「お前、ちゃんと時間とか話したのか?」
「えっ、そ、そりゃ…」
 途端にしどろもどろになる風祭に、九桐が吹き出した。
「どうせ、手合わせの約束をしただけなんだろう?お前の気分で約束放棄だと怒られたら龍斗も割が合わないんじゃないか?」
「……そりゃ、まあ、時間とかは言わなかったけど」
 一段と頬を膨らませた風祭に、天戒が笑いながら、
「それでは、龍斗は責められないな」
「あー、どーせ俺が悪いんですっっ!」
「まあ、そう拗ねるな。あいつとの手合わせは俺にも興味深い。一緒に探してやるから。構いませんか、若?」
 そう言って天戒を窺う九桐の目には、隠しきれない興奮が浮かんでいる。短い付き合いではない。こうなってしまえば、いくら手合わせをしたとて上の空だろう。それを良く知っている天戒は、笑って刀を鞘に収めた。
「いいだろう。俺も一緒に探そう」
 その言葉に、九桐が面白そうに片眉を上げた。
「若も、あいつの技に興味がありますか?」
「まあ、な」
 得物を持たない龍斗の技は、しかし武器を使う九桐や天戒をしても掴みきれない鋭さを持っている。速さと、それに『氣』を自在に操り繰り出す様は、多少なりとも武を嗜む者ならば目を離せない類のものがあった。
 三人で揃って道場を出ると、そこへ来合わせた桔梗が目を丸くして声を上げた。
「おや、揃ってどうしたんですか?―――何か、急な御用でも?」
 改まろうとする桔梗を片手で制して、天戒は苦笑しつつ答えた。
「いや、少々鍛錬をな。桔梗、龍斗を見なかったか?」
「下手に隠したって、わかるんだからな!知ってるんならとっとと教えろ」
 拳を掌に打ち付けてやる気満々の風祭の様子に事情を察した桔梗が、力を抜いて笑顔になる。
「ああ、そういうこと。けど坊や、そんなに意気込んでて大丈夫なのかい?空回りして、龍斗に軽くあしらわれちゃ、鍛錬にはならないよ?」
「俺を坊やって呼ぶなっ!それに、龍斗なんか俺の敵じゃねぇ!」
「どうだかねぇ…こないだもそんなこと言ってなかったかねぇ?」
 心当たりがあるのか、風祭の顔が一気に赤くなる。
「あ、あれは、油断してたからだっ!今日はそんなに簡単にいくもんか!」
 その発言が既に負けを認めているようなものだが、流石にそれを突っ込むのは酷というものである。九桐が笑いながら助け船を出してやった。
「わかったわかった。で、桔梗。龍斗がどこに行ったか、知らないか?」
「ちょっと前に、屋敷を出ていくところは見たよ。けど、どこに行ったかまでは…」
「どっか、遠出する風だったのか?」
「いや、ふらっと出たって感じだったから、その辺に居ると思うけどね?」
「んだよ、知らねーのか。使えない奴…ぶっ!」
 ふいと横を向いた風祭の横腹に、桔梗の肘がもろに入る。
「ふん、この程度じゃ、結果は見えてるんじゃないかい?」
「てっめぇ、この…」
 桔梗に尚も噛み付こうとした風祭を、今度は天戒が止めた。
「澳継、その勢いは龍斗との手合わせに回した方がいいだろう?」
「ま、そういう事だな。行くぞ、風祭。じゃあな、桔梗。」
 頬を膨らませたままの風祭を引きずるようにして背を向けた九桐に、桔梗は楽しげに声を掛けた。
「ああ、龍斗を見つけたら、あたしも呼んで欲しいね。あんたらの手合わせ、なかなかの見物だから」



「ちくしょー、桔梗の奴…ったく、それもこれも龍斗の奴がうろうろ出歩くのが悪いんだ!」
 収まらない風の風祭を、九桐が面白がってけしかける。
「おう、その意気で是非、龍斗から一本取るんだな」
「言われなくても!」
 その様子を見ていた天戒は、ふっと笑って踵を返した。
「では、俺は山の方を見てくる」
「若?」
「遠出をしていないのなら、村の中か、山の方か滝か…そんなものだろう」
「わかりました、じゃ、俺は滝の方を見てきます。風祭、お前は…」
「村の中をもう一回、見て来いってんだろ?手間かけさせやがって…絶対に、見つけたらのしてやる!」
 文句を言いつつも駆けだした風祭とは反対の、ゆっくりとした足取りで、天戒は山へと分け入った。

 実を言えば、龍斗の居場所に心当たりが無い訳ではない。一度だけ、龍斗を山で見かけたことがあった。

 近道代わりの急な斜面を登り、道の無いような場所を踏み越えて一直線に登れば、不意に目の前が開け、小さな広場に出る。その中央の大きな石の上に、目的の人物は腰を下ろしていた。
 無造作に伸ばされた濡れ羽色の髪に、意志の強さを映した瞳。誰も膝を折った所を見たところがない強さを誇りながらも、その身体は意外なほどに華奢で、無防備に空を見上げて座っている姿からは、戦場に在る姿は想像できなかった。
 近づいても、龍斗は空を見上げているだけでなかなかこちらには気づかない。気配に聡い龍斗にしては、珍しいことである。
「ここにいたのか」
 そう呼びかければ、驚いたような眼差しが向けられる。
「…何か、あったのか?」
 幾分緊張を孕んだ声で尋ねられて、天戒は苦笑した。桔梗といい龍斗といい、自分が外に出ることはそんなに珍しいことではないはずなのに。
「いいや、お前に用があってな」
「俺に?」
 首を傾げる龍斗に、事情を説明してやる。
「澳継が、お前と手合わせをしたいそうだ。尚雲も…俺も、お前らの手合わせには興味があってな。お前を捜していたのだ」
 手合わせと聞いて、龍斗の顔に納得の色が浮かぶ。
「そういえば、約束してたな。それで、こ…いや、一緒に探してくれてたのか?」
「俺も、興味があるからな」
 少し呆れたように、龍斗は小さく笑った。
「…物好きだな」
「物好きとは酷い言い様だな」
「人の手合わせを見て、楽しいか?」
「それが優れた技の持ち主なら、な。それに勿論、後で相手になってくれるのだろう?」
「…それ、まさか九桐も?」
「あいつのことだ。当然、申し込まれると思うぞ?」
 それを聞いて、普段はあまり表情の変わることのない龍斗の顔に、珍しく露骨な皺が寄る。その様に、天戒は思わず吹き出した。
「…笑い事じゃない。三人も相手にしていたら、こちらの身がもたない」
 憮然として言う龍斗を、天戒は酷く新鮮な気持ちで見つめた。
 この村では、良くも悪くも天戒は『主』だ。幼なじみで、血縁でもある九桐でさえ、天戒には一歩引いて接している。それは仕方のないことだし、それが天戒にとって日常でもあった。しかし、目の前のこの相手は違う。推測でしかないが、恐らく初めて出会った時から、この相手は天戒を『主』と見てはいない。
 不意にそれを確認したくなって、天戒は水を向けてみた。
「お前は、ここでは結構喋るのだな」
 龍斗は、少し目を見開いて、天戒を見返した。
「…そんなに、俺は無口か?」
「そういうことではない。お前は、屋敷ではあまり俺には話しかけないだろう?」
「そんなつもりはないけど…」
 返す言葉に、一瞬逸らされた眼差し。伏せられた顔。
 それが何よりも雄弁に、龍斗の気持ちを物語っていた。
「…存外、お前は正直だな」
 嫌みではない笑みを晒す天戒に、龍斗は諦めたように息を吐いた。
「気が付いていたのか?」
「お前が、俺を呼ばないことにか?」
 そう言い返してやれば、龍斗の表情に更に諦めが浮かぶ。
「…わかって黙っているとは、お前も人が悪いな」
「人との会話を避ける方が、俺にはもっと人が悪く思えるがな」
 天戒の言葉に、龍斗は真面目な顔になった。
「気づいていたのなら、はっきり言うけど…俺は、お前を主とは呼べない」
 組織を束ねる者としては、咎めずにはおけない言葉を聞いても、不快感は生まれなかった。
 やはり、と思う気持ちと単純にその理由を知りたいという思い。それが、天戒の抱いた感想だった。
「この村に居る以上、俺には忠誠を誓って貰う。それがここの掟であり、村の秘密を護り続ける生命線でもある。それを考えれば、今のは聞き流せない言葉、だが…」
 幾分硬い表情になった龍斗に、天戒は疑問を口にする。
「ならば何故、お前はここにいる?」
 その問いに、龍斗の表情が更に硬く、苦しげなものになる。それを訝しんだ天戒が尋ねるより早く、龍斗の口から掠れた声が漏れた。
「この村で、お前に主として頭を垂れることが出来ない以上、ここにいる資格がないのはわかっている。けれど、俺はここに居たい。この村の人々や、桔梗達や…お前の、助けになりたい。臣下としてではなく、友人として。我が儘な言い分だということは承知の上だ。けれど俺は、形ばかりを取り繕ってお前に膝を折ることは、したくないんだ」
 軽い気持ちで投げた問いに返ってきた、思いも寄らぬ深刻な答えに、天戒も笑みを消した。
 天戒には不安材料を残しておく余裕は、ない。多くの人間の生活を背負っている身には、邪魔になりそうなものは排除する以外の選択肢を選べないのだ。
「俺には、護るべきものが沢山ある。その為になら、俺はいくらでも非情になれる。お前がその妨げになるというのなら、俺はお前を斬らねばならぬ…」
 天戒の言葉に、龍斗は酷く不思議な表情をした。
 悲しんでいるような、苦しんでいるような、けれどどこか納得したような不思議な表情。
「…お前が、それを望むのなら」
 静かに返ってきた答えに、天戒は目を閉じた。
「以前にも、尋ねたことがあったが…お前には、護りたいものはあるか?」
「…ある」
「それと、この村と。選択を迫られた時に、お前はどうするつもりだ?」
 最後のつもりで投げた問いに龍斗が見せたのは、先程とはまた違う、何ともいえない切なげな表情だった。
「護りたいものは、ある。いや、あった、のか…けれど今の俺には、それをどうすることも出来ない。取り戻すことも、確かめることも。自分が進んでいる道が、それに辿り着けるのか否かも、今の俺にはわからない。だからなおのこと、今目の前にある大切なものを、護り抜けるつよさが欲しい」
「龍斗…」
「ほんとうに、護りきれるのなら…」
 そう言って龍斗は、宙に視線を彷徨わせた。
 まるで、標を失った迷い子のように、行き場のない悲しみを追うかのように。彼の持つ圧倒的な存在感は消え、まるで宙に舞い、地に落ちる前に消える淡雪のように存在そのものが希薄になったかのように、『氣』が弱くなる。
 普段の落ち着いた龍麻からは想像も出来ないような儚くさえあるその姿に、天戒は思わず手を伸ばした。あり得ないことだが、龍斗がそのまま宙にかき消えてしまうのではないかという錯覚に襲われたのだ。
「龍、斗っっ…!」
 いきなり腕を掴まれて、龍斗が驚いたように天戒に視線を戻す。戻ってきた確かな存在感にも安堵できず、天戒はその手を握りしめたまま息を吐いた。
「こ…いや、どうしたんだ?」
「お前という奴は…」
 消えるかもしれないと思った瞬間、思い知らされた恐怖が何よりも自分の心情を物語っている。出会った時と同じ、理性ではなく感情が、強く天戒を支配していた。伝わってくる確かな温もりに、思わず笑みすら浮かんでくる。
「お前は本当に、不思議な奴だな」
 いきなり笑い出してそう言った天戒に、龍斗がはっきりと眉を寄せる。
「いきなり、なにを…」
「尚雲は言うまでもないが、桔梗や、澳継や…村の者にまで、お前は馴染んでしまっているだろう?」
 何かと行動を共にしている桔梗達だけではなく、基本的には排他的で余所者には頑なな村の者でさえ、この存在には不思議に気を許している節がある。それは、きっと龍斗自身に理由があるのだ。外界に対して疑いや悪意を持つことに慣れてしまったこの村の者をすら、和ませるような包み込む不思議な魅力。
「そうか?」
 しかし、天戒の言葉に対して龍斗は眉を寄せたままだった。
「桔梗もそうだが、澳継もあれでなかなかに気難しいところがある。それが、文句を言いながらも自分で他人を捜し回るようになるとは、な。それも出会って間もない人間をだ」
「…しょっちゅう、馬鹿にされてる気がするんだけど?」
「澳継は、気に入らない人間には近づきもしない」
 天戒は、そう言って龍斗に笑いかけた。
「構わぬ。お前にはお前の事情があるのだろう。もとよりこの村は、徳川に遺恨のある人間ならその過去を問いはしない」
 その言葉に、小さく寄せられた眉には気づかない振りで。
「…それに、お前は我らに害をなす存在にはならないだろう?」
 そう言えば、龍斗は一瞬息を詰めて天戒を見つめ、次の瞬間ふわりと微笑んだ。
「…ありがとう」
 向けられた花のような笑顔に、何故か跳ね上がった鼓動を何とか押し殺して、天戒は付け加えた。
「それと…皆の前では嵐王辺りが怒るだろうから困るがな、誰も居ないときは姓ではなく名を呼んで話してもいいのではないか?…友人、なのだろう?」
 先程から、不自然に切られる呼びかけが気になっていたからの言葉。それに対する返事は、更に柔らかくなった笑みと、小さな呼びかけだった。
「…ありがとう、天戒」
「さて、行くか。澳継が痺れを切らしている」
 そう言って、さりげなく掴んだままだった手を離して歩き出せば、草を踏む音が付いてくる。
 氏も素性も関係ない。それはこの村の全ての者に言えることだ。ただ―――名を呼ばれるだけで心が和む存在は初めて、だった。
 奇妙に浮き立つ心が連れてくるものは、吉か凶か。
 それはまだ、天戒には見定めることの出来ないものだった。