「じゃ、行こうぜ?龍斗」
 妙に嬉しそうな京梧とは対照的に、龍斗は困惑の色を隠さずに眉を眇めたままだ。
「京梧…本当に行くのか?」
「なんだよ、嫌なのか?」
 そう尋ねると、龍斗は困ったように眉を眇めた。
「別に、嫌って訳じゃないんだが…」
「ならいいじゃねェか。龍斗だって、雨の季節に入ると乾かなくて…って言ってたじゃねェか?折角小鈴が品揃えの良い店教えてくれる、つってんだ。丁度良い」
 そんなに服を見立てるのが面倒かと尋ねれば、龍斗は、眉を寄せてやったことがないと言葉を返す。その言い草が、落ち着いた常からすると妙に子供じみて見えて、京梧はこっそりと笑った。

 切欠は、何気ない会話だった。何かの拍子に話題が天気に及んだ時、龍斗が何気なく漏らした一言に、京梧が渡りに船と乗り、是非新しいのを作れとせっついたのだ。
 常々、龍斗の服装には一言持っていた京梧である。しかし、京梧だけではなく小鈴や、藍までそれに乗ったのは少々驚きだった。
 まぁ、よくよく考えればそれも無理のない話で、龍斗は結構な美人なのだが、自分の格好にはまるで注意を払わない。人の格好やらなにやらにはちゃんと目が届いているのに、自分の事となると呆れるくらい無頓着なのだ。
 洗いざらしの道着に伸ばしすぎの髪でも余り不審を買わないのは本人の人徳だろうが、見ている方としては味気ない事この上ない。
 野郎の格好など歯牙にも掛けない京梧でさえそう思うのだから、小鈴や藍が着飾らせてみたいと思うのは無理のない事かもしれない。小鈴が良い店を知っているからと言いだし、藍が仕立てるからと言って、とんとん拍子に話が決まったのだ。
 ただ、雄慶だけは、人間の価値は格好ではないと説教じみた忠告を寄越したのだが、勿論、誰もそれを聞いたりはしなかった。


「…それとも、俺の見立てじゃ不満なのかよ?」
 少し口を尖らせてそう言えば、慌てたように龍斗が首を振る。
「そんな訳じゃ…ない。けど、迷惑だろう?みんな忙しいのに…」
「美里はいつでもいい、つってたぜ?」
 きっぱりと言い切る京梧に反論を封じられて、龍斗は小さく肩を竦める。
「お前…人の格好を云々するのが、そんなに楽しいか?」
「楽しいぜ?言っただろ?俺は見た目に楽しいのが好きなんだよ」
「あれ、本気だったのか…」
 呆れたような溜息を漏らす龍斗に対して、京梧はにやりと笑って見せた。
「当然。俺ァ冗談は言わねェよ」
「…普段は巫山戯てばかりの癖に」
 複雑に歪む龍斗の顔を見て、京梧は堪えきれずに声を上げて笑った。



 内藤新宿の、大通りから少し外れた反物屋に、非常に目を惹く二人連れが訪れたのは昼四つを少し過ぎた頃だった。
 構えは小さいが、趣味の良い反物を置いてあると評判を呼んでいる店に、場違いとも言えそうな長身の男が二人訪れたのである。主人は思わず目を丸くするのも無理はない。威勢は良さそうだが、少々元気が良すぎるように見える剣士と、何やら戸惑った風の道着姿の青年。
 どちらも、反物を選ぶのとは無縁の人種に見える。
 首を傾げながらも、客には違いない。主人は愛想の良い笑みを絶やさずに彼らを迎え入れた。
「今日は、どんなものをお探しで?」
 主人の問いに答えたのは、腰に刀を差した男の方だった。
「おぅ、ちょっとな。コイツに似合うのを探してるんだが…」
 顎で指された青年は、何とも言えぬ表情で男を一瞥して、主人に向き直った。
「道着を仕立てようと思って、それに良いのを。丈夫で傷みにくいのを…」
 しかし、青年の言葉は、あっさりと男に遮られた。
「あー、お前、丈夫だったらなんでもいいって言うんじゃねェだろうな?」
「だって、破れたり傷んだりしたら困るだろう?」
「馬鹿、そういう観点で選んでどうするよ?」
「だって…それ以外のどんな基準があるんだ?」
 心底不思議そうに首を傾げる青年に、男は大きく息を吐いて、
「親父、良いから適当に見繕ってくれ。…鮮やかな色がいいな。綺麗な色」
「鮮やかって…お前、一体どういう基準で…」
「だから、野暮はなしって言った筈だぜ?いいから任せとけって」
 自信たっぷりに言い切る男に、青年は小さく眉を寄せ、じきに仕方ないなという風に笑んだ。
「まったく…何がそんなに楽しいんだか」
 伸ばしすぎの感のある髪の為か、どちらかといえば鬱陶しい風に見える青年だったが、そう言って笑うと思わず目を止めてしまうような不思議な華がある。客を選ぶつもりはないが、相手に似合いの品を選ぶ事は、主人にとっては商売上の楽しみでもある。
「では、これなど如何でしょう?」
 主人は、商売向けではない笑みを浮かべて、奥の棚へと手を伸ばした。



「う〜ん、なんかこうイマイチだな」
 目の前に広げられた反物の山を眺めて、京梧は息を吐いた。
 どれもこれも綺麗ではあるのだが、今ひとつ華やかさに欠ける。鮮やかな色物はご禁制だとは言え、あまりに選択肢が少ないのは考えものだ。
「もう、いいだろうに…」
 かと言って、呆れたように言う龍斗に選ばせていたら、本当に地味を極めたものになってしまう。現に、龍斗自身は、黒や白の地のしっかりとしたものしか選んでいない。
 確かに、龍斗に白は似合う。白と黒の組み合わせはすっきりと映える。とても似合うのだが、しかし京梧が見たいのは、もう少し華やかな姿なのだ。
 折角、男にしておくのは勿体ないほどの容貌の持ち主だというのに、勿体ないではないか。
「良くねェよ。折角来たってのに…」
 そう零す京梧に、龍斗は何度目かの溜息を吐いた。
「京梧。似合うものを選んでくれるのはいいが、これではいつまで経っても決まらない。俺は丈夫ならどんなのでも良いから…」
「駄目だって。つまんねェの選んだら、小鈴に文句言われちまわぁ」
 一緒に行くと言うのを何とか言いくるめて置いてきたのだ。ここで引き下がれば何を言われるやらわからない。
 執念すら感じさせる京梧の気迫に、龍斗はとうとう両手を上げた。
「わかったよ、好きにしてくれ。まったく、何が楽しいんだか…」
 苦笑を浮かべて肩を竦める龍斗に、京梧は少し首を傾げた。

 確かに、そうだ。

 何が楽しくて、一々男の格好なんぞ気にしなくてはいけないのか。自慢ではないが、これまでそんなものを気にした事は只の一度もない。断言できる。
 しかし何故か、龍斗の事は気になるのだ。
 初めて会った時からずっと、この相手は京悟の目を惹きつけて止まない。
 そもそも、実家を飛び出してからこっち、京梧は誰かと行動を共にした事は無い。短い間つるんで行動をする事はあっても、一つ所に止まって行動に制約を受けるような事など、今まで一度も無かった事だ。首に縄を掛けられるのは、京梧の尤も嫌うものでもある。
 それを、今―――成り行きと、多少の興味に動かされた事も否定できないが―――是としている最大の理由は、この相手だ。
 誰であれ自分の行動を指図されるのは嫌だが、それを抜きにしても、龍斗に抱いた興味は押さえきれなかったのである。
 そして、行動を共にするようになって―――知れば知るほど、その興味は大きくなっていくような気がする。まるで、乾いた砂が水を吸い込むように。
 一体、どうしてこうもこの相手に興味を抱かされるのか。

 難しい顔になってしまった京梧を選ぶ品に悩んでいると見たのか、店の主人が奥から新たに反物を運んでくる。
「では―――これなど如何でしょう?普段は店には出していないのですが…」
 広げられたのは、鮮やかな紅い布だった。片方に、金糸の刺繍が施してある、華やかなもの。
「こりゃあ…」
 燃えるような紅が、目に鮮やかで美しい。龍斗の白い肌にはよく映えるだろう。
「これ、いいな。イイ感じじゃねェか?」
 手を打つ京梧に対し、龍斗は小さく眉を寄せた。
「これか?けどこれはどう見ても…」
「殿方で選ばれる方もおられますよ」
 龍斗の言葉を先読みしたかのような主人の言葉に、京梧も頷いた。
「だよなァ。似合えば別に良いって。絶対似合う」
「色が少し目を引きますから、普段はあまり出さない品ですが…お似合いになるかと」
 にこにこと笑う主人と、頷く京梧の双方を見比べて、龍斗は困ったような表情のままで、手の中の紅を眺めた。
「これが、か?」
「絶対似合う」
「なんなら、当ててみて下さいまし。どうぞ」
 重ねて言われて、龍斗は諦めたようにそれを主人に差し出した。
「…じゃあ、これも」
「ありがとうございます」
「へへっ、楽しみだな」
 嬉しそうに笑った京梧とは対照的に、主人が品を用意している間も、龍斗の眉間に寄った小さな皺は消えないままだった。


「そんなに嫌なのか?」
 店を出てからも、なんともすっきりとしない顔で歩く龍斗を覗き込んで、京梧は尋ねた。
「別に…」
「別にって顔じゃねェだろ」
 言い切れば、龍斗は目を伏せた。
「色が…」
「色?だから別におかしかねェって。別に、女物って訳じゃねェって親父も言ってたじゃねェか」
「そういうことじゃないよ。ちょっと…思い出したんだ。あのひとも、こんな色の着物だったな…って」
 龍斗の言葉に、京梧は目を細めた。あのひと、の言葉の指し示すものには、京梧にも覚えがある。
「そう言やァ、お葉ちゃんもそうだったな」
 問われれば容易に瞼に蘇る、着物の朱。
 その色彩に、つい先日、吉原で見送った遊女を重ねて浮かぬ顔をしていたのか。
「…だから、嫌なのか?」
 そう尋ねれば、龍斗は口の端を少し上げて首を振った。
「違う。思い出して…少し考えてただけだよ」
「そう、か…」
 あの一件は、京梧の胸にも重いものを残した。関わり合った相手が死者だったなどという経験は初めてだったし、その相手に好感を持っていたのだから尚更、その最期は痛く、悲しいものだった。
 あの記憶は、京梧にとっても生々しく辛いものだ。
「確かに、似たような色だぜ。けど…よ」
 口調を改めれば、伏し目がちだった龍斗の視線が上がる。それを確認して、京梧はゆっくりと続けた。
「色は同じでも、印象が違うな」
「印象?」
 不思議そうな龍斗に、京梧は笑って続けた。
「ああ、印象。お葉ちゃんの色は―――まぁ、今にして思えばってことかもしれねェが―――どことなく寂しそうだった気がすんだよ。けど、お前は違う」
「………」
「お前が身につけてると、『生きてる』色だって思うんだよな」
 清冽な白も、濡れたような髪の色を映した黒も似合うのだが、『赤』はそのまま、燃える命の象徴のような印象がある。戦いの場に身を置いて、何かを求めるかのように拳を振るう龍斗には『赤』がよく似合うのではないか。
 そう、京梧は思ったのだ。
「そう…か?」
「ああ、俺はそう思うぜ?」
 京梧の言葉に、龍斗は少し笑って、そして目を伏せた。
「なあ…お葉さん、あれで…良かったんだよな?」
 あの一件以来、龍斗はお葉の事を口にしなかった。京梧が、供養の手配などに動くのには付き合ってくれたのだが、お葉の事に関して口を開いたのは初めての事だ。その声が少し掠れているのに気づいて、京梧は眉を寄せた。
 ずっと、あの時の事を悩んでいたのかと思えば、眉間に皺も出来るというものだ。今まで口に出さなかった龍斗に、怒りにも似た感情すら覚える。
 ちゃんと、言えばいいのに―――言って、欲しいのに。
「死んだ後ですら、あんな風に苦しんで…俺達は少しでも、お葉さんを助けることが出来たのか…」
「今頃、何言ってんだ」
 一度は自らの闇に落ちた者が、自ら生前の思いを取り戻して逝ったのだ。その死を悼みこそすれ、悔やむ事などない。
 きっぱりと言い切れば、龍斗は少し驚いたように目を見開いて、そしてようやく笑った。
「そうか…そう、だよな」
「いいか、うだうだ悩んだりするんじゃねェよ。悩むんだったら、言え。ちゃんと聞いてやるから。隠し事なんてすんな」
 思わず強くなった語調に龍斗が目を丸くするが、溢れだした言葉は止まらなかった。
「京梧…」
「ったく、頼むからもう少し自覚しろ。お葉ちゃんを助けたのは、他でもない、お前だろうが」
 そう言いながら、自らの胸にも蘇る気持ちがある事に京梧は気づいた。
 自分の居場所を信じ、しかし最期にそれを見失って苦しんでいたお葉と。
 自分の居場所など、考えた事もなかった自分と。
 まだ、彼女が死霊であることなど知らなかった頃に聞いた言葉は、その後の真相とも相まって、京梧の胸に酷く真摯に響いたのだ。

 自分の、居場所。

 それを考えた時に、真っ先に頭に浮かんだもの。

 ただ、強さだけを求めているのに、それは今も変わっていないはずなのに、何故か自分の居場所を思った時に浮かんだのは、傍らの存在だった。
 確かに龍斗は強い。
 しかし、それは京梧にとって倒したいと思う類の強さではない。
 求める強さへの道に、龍斗の存在は関係している筈もないと思うのに――――――

 それでも、一番最初に浮かんだのは、龍斗の顔だったのだ。



「京梧?」
 不思議そうに顔を覗き込まれて、京梧ははっと我に返った。
「あー、なんでもねェよ。とにかく、あんまりボケた事は言うなってことだ」
「何言ってるんだ。お葉さんを助けたのは、京梧だろうに」
「馬鹿、お前が桔梗に彼女はそんな事を望まないって噛み付いたからだろうが」
「京梧だって言ってたじゃないか」
 二人は、一瞬睨み合い―――直後、ぷっと吹き出した。
「あーあ、ったく…」
「お互い様、だな」
 くすくすと笑う龍斗の顔を眺めて、京梧は密かに息を吐いた。
「…ちゃんと、言えよ?これからは」
「―――わかった」
「俺は、いつも隣にいるんだからよ」
 言ってから、流石に恥ずかしい言葉だったのに気づいて焦るが、龍斗は綺麗に笑ってうんと頷いた。それをまともに見れなくて、京梧は慌てて視線を逸らす。
「さ、行こうぜ。藍を待たせてるし、小鈴も来る、つってたからな」
 そう言えば、龍斗が呆れたような表情になる。
「京梧が色々悩むから、待たせる羽目になったんじゃないか」
「あの店の親父が、最初ッから全部出してたら、悩むような羽目にはならなかったんだよっ」
 珍しく大きな声を上げて文句を言う龍斗に、京梧は胸に残る不思議な熱を無視して負けじと大きな声を上げた。
「よーし、じゃあ、竜泉寺まで競争なッ!」
「あ、ちょっと待て、京梧っっ!」
 そのまま駆け出せば、背後から聞こえる焦ったような声が妙に嬉しい。
 緩む頬を隠さずに、京梧は走る速さを上げた。

宝瀬さまにいただいた↑のイラストはこちら