今年の桜は本当に見事だった。未だ早い時期にもかかわらず、甲州街道沿いにぽつぽつと咲いている桜は満開で、天気の良さも相まって道行く人々の足を軽くしている。見事な花に思わず足を止めてしまう者も居て、夕刻が迫った街道は華やいだ空気に包まれていた。
 そんな中、蓬莱寺京梧はのんびりと少し早い春の気配を楽しみつつ、足を進めていた。
「へへっ、こりゃあ丁度、良い時期に来たもんだな」
 暮れかかった空は鮮やかな色彩に染まりつつあり、その色が花にも映って青空の元で眺めるそれとはまた異なった趣を晒している。
「江戸の町にゃ、桜の名所も多いと聞く。こりゃあ、早々から良いモンが拝めそうだな…」
 強さを求めて諸国を放浪している京梧も、未だ江戸の地を踏んだ事は無かった。故郷を出てからの年月など覚えてはいないが、それなりの場数は踏んだ。その間少しは力を付けたという自負はある。
 しかし、正直、京梧は自分が今居る位置を掴みかねていた。
 自分はどれほど強いのか。
 求める天下無双までは、後幾つ頂を極めればいいのか―――

 その答えを求めるべく、一つの区切りとして京梧は江戸を目指す事にしたのだ。
 この国で一番、人間の集まる所。
 人の数だけ確実に、高みへの道も存在する。
 ある程度自分に自信をつけてきた今、江戸で更に剣の腕を磨くのは悪い狙いじゃない。
 江戸で待つものを考えれば、自然心は浮き立つ。
 未だ見ぬ町、未だ見ぬ世界。そして、未だ見ぬ、しかしどこかに確実に存在するであろう、京梧の『血』を熱く沸騰させる相手。
「ま、桜(はな)よりゃ、そっちの方がありがてェやな」
 この剣の全てを賭けて挑めるものが、きっと江戸(あのまち)にはある。そして必ず、その全てに勝って望む強さを手に入れてみせる。
 それは、京梧自身の為の誓い。
「…なんにせよ、楽しみなこった」
 興奮か、緊張か。
 不意に襲ってきた震えに、京梧は苦笑する。
 期待が大きいのは事実だが、江戸を前にしてこの状態では先が思いやられてしまう。
 がしがしと頭を掻き回して、ふと京梧は視線を巡らせた先に一軒の茶店を発見した。場所柄か、結構混み合っているものの店は広く、座って一息付けそうだった。
「…団子でも食うか」
 そちらへと足を向けた京梧は、ふと先を行く娘の姿に注意を引かれた。
 なにやら風呂敷包みを抱えたすっきりとした姿の娘が、同じ茶屋に入ろうとしている。後ろ姿だけではなんとも言えないが、艶のある髪や、店の入り口でちらりと見せた横顔からはなかなかの美人に見える。それだけでも注意を引くには十分なのだが、京梧の意識に引っ掛かったのはそこではなかった。
 娘の背後に、不穏な気配を漂わせた数人の男がいる。身なりからすれば浪人といったところだが、顔を隠した笠といい、どう見ても堅気とは言い難いその雰囲気といい、見るからに、怪しい。
 そして彼らは、明らかに茶屋へと入っていった娘を意識していた。少し離れた、茶屋の入り口が見える場所から茶屋を窺ってなにやらひそひそと額を付き合わせている。

 年頃の娘と、いかにも何かを企んでいるかのような浪人の集団。

 導き出される答えに、京梧は不謹慎と思いつつも緩む頬を押さえきれなかった。
「こりゃあ、江戸へ入る前に一暴れできそうだな」
 小さく呟いて、少し様子の窺った後、京梧は茶屋へと足を向けた。



 茶屋は結構な盛況で、席はぽつぽつとしか空いていない。問題の娘は、隅の一角に腰を下ろしていた。優しげな雰囲気と、それにかなりの美貌。確かに、かなり人目を引くのは間違いないのだが、どうにもあの浪人達との繋がりがわからなかった。
 美しい娘を狙っているのなら女衒なのかもしれないが、それにしては色に欠ける目で娘を見ていたような印象を受けたのだ。
「まぁ、見てりゃわかるか…」
 娘に声を掛ける事も考えたのだが、わざわざこちらから不安を煽るような事を言って怯えさせるのも考えものだ。
 幸か不幸か、娘は一人で連れもない。浪人達は先程確認した様子では三人。仲間がまだ居るのなら厄介だが、この数なら京梧一人でなんとでもなる。
 このまま着かず離れずの位置で見守りながら、危なくなったら間に入るのが妥当なところか。


 そんな風に考えていた京梧の目に。

 ふらりと入ってきた一人の男が映った。


 かなり擦り切れたような道着に、伸びすぎの感のある髪。一見かなり怪しげな風体の男だったが、それは不思議に京梧の目を惹いた。
(ふ…ん。あんな格好(ナリ)だけど、結構若ェな。俺と同じか…そんなもんか?武士じゃあねえだろうな。得体が知れねェが…)

 妙に、気になる。

 男は、ふらふらと何やら覚束ないような足取りで入ってくると、こちらに近づいてくる。そして空いていた席に腰を下ろすなり、突っ伏して動かなくなってしまった。
(おい、おい…行き倒れかよ?)
 一つ離れた席に腰を下ろしていた京梧は、その様子に思わず眉を寄せる。
 京梧の懸念に呼応したかのように、店の奥から親父が飛び出してきて男に声を掛けた。
「おい、あんた!おい!」
 その声に、突っ伏した身体がぴくりと動く。
 どうやら行き倒れではないらしい。突っつかれて身を起こした男は、親父の言葉に一言二言、返事を返している。
「とにかく、居座るんなら何か注文しとくれよ。まったく、どいつもこいつも…」
 ぶつぶつと文句を言いながら奥へ戻る親父を横目に、京梧はふと、先刻の娘の居た席に目をやって驚いた。
(…居ない?)
 入ってきた男に気をとられていた間に出て行ってしまったのか。抱えていた荷物はそのまま席にあるのに、娘の姿だけはない。もしや―――と、舌を鳴らして立ち上がりかけた京梧は、しかしすぐに腰を落ち着ける。
 娘の姿は、すぐ目の前にあったのだ。
「あの…大丈夫ですか?具合が悪いんじゃ…?」
 尋ねる娘に、男はふわりと笑んでみせる。
「私で良かったら、看ましょうか?」
 少し躊躇がちに切り出した娘に、男は小さく頭を下げる。
「…ありがとう」
 その、少し掠れたような声と酷く印象的な笑みは、娘だけではなく、京梧の目をも奪う。
「少し、じっとしてて?」
 にこりと笑って男の額へと手を伸ばす娘の頬は、気のせいか少し赤らんでいるようだった。



「おい、あんた。こっちだ、こっち―――」
 娘が席を立った後、声を掛けたのは、話の流れで二人が同道する事になった事を聞き取った事もあったが、何より京梧自身がこの相手に少しばかり興味を抱いた所為もあった。
 浪人共がやたらと殺気立って店に入ってきた事も気に掛かる。あの娘―――美里藍と名乗っていたが―――と江戸まで同道するのであれば、関わるのは避けられない。それにもし、何か病を抱えているのなら、厄介な足手まといになる可能性もある。
「あんた、江戸に行くのかい?」
 唐突に切り出した京梧に対し、男―――緋勇龍斗という名前は、美里との会話から聞き取っていた―――は小さく首を稼げながらも頷く。
「いきなり訊ねて悪かったな。別に、深い意味はねェんだけどよ、ちょいと話が聞こえちまったんでな」
 そう言ってにっと笑ってみせれば、緋勇は僅かに口元を綻ばせた。
「別に、気にしない」
 その様子に不審を抱かれてない事を読み取って、京梧は緋勇の方へ身体ごと向き直った。
「俺の名前は蓬莱寺京梧。剣(こいつ)一つで流れ旅さ。よろしくな」
「俺は、緋勇龍斗。こちらこそ、よろしく」
 そう言いながら、京梧は不審を抱かれない程度に素早く、相手の風体に視線を走らせた。
 遠目からも決して綺麗ではなかった道着は、近くで見るとやはり旅の汚れで、お世辞にも綺麗とは言えない。顔に掛かる黒髪は明らかに伸ばしすぎだが、隙間から覗く顔は意外なほど整っている。体つきも、京梧よりは一回りは細い。着ている道着はどうも、形だけのもののようだった。
 そして確かに、美里の言っていた通り、見える所には細かい擦り傷が多くついているし、地色もあるのだろうが、顔色も余り良くなかった。
「ま、食えよ。俺の奢りだ」
 そう言って運ばれた団子を勧めると、緋勇は少し戸惑いながらも素直に手を出した。そうして一口囓ると、途端に妙な顔をする。
「…甘い」
「そりゃ、団子が甘くなくてどうするよ?」
 思わず反射的に突っ込んで、その後で京梧は、奇妙な表情の意味に気が付いた。
「お前、団子食うの初めてか?」
 こくりと返ってきた頷きに、京梧は呆れて肩を竦める。
「団子も食ったことねェなんて、今時…」
 しかし、緋勇は京梧の言葉など聞いては居なかった。最初の妙な顔などどこへやら、しっかり一串平らげ、じっと皿に盛られた団子を見ている。
「…別に、食って良いぞ?」
 京梧が思わずそう言えば、緋勇は京梧と団子の皿に交互に目をやる。
「……いいのか?」
「あぁ、やっぱ旅にゃ団子だろ?良いから食えよ」
 途端に緋勇は嬉しそうに団子に手を伸ばす。
(もしかしてこいつ、腹が減って…?)
 思わず京梧がそう考えてしまうほど、団子が皿から消えたのは早かった。
「…美味いな、これ」
 全て平らげた後の、何処か呑気な台詞に、京梧は思わず肩を落としたのだった。





 結局、緋勇が美里と共に内藤新宿に行くという事だけは確かめて、京梧は茶店を後にした。事情を話して共に行っても良かったのだが、どうにも調子を乱されたのと、浪人共が、思った以上に何か含むものがありそうだったからだ。あの場で挑発に乗ってくるようなら話は簡単だったのだが、どうも思った以上に彼らには何か思惑があるらしい。
 しかし、かなり切羽詰まっていたようでもあったから、恐らくそう長くは待たないで良いだろうと判断して、京梧は茶店から程近い道の曲がり口で足を止めた。
 丁度、良い枝振りの満開の桜があったので、人目を避ける意味も兼ねてその木の上で待つ事にする。
 満開の桜は時折花びらを散らして、樹上からのその景色は幻想的ですらある。それをぼんやりと眺めて、京梧は先刻顔を合わせた男について考えた。

 妙な、男だった。

 いきなりの団子知らずにも驚いたが、その後、茶屋の娘が語った江戸の鬼の話にも、京梧がわざと挑発した浪人共の態度にも、結局緋勇は顔色一つ変えなかったのだ。

 ただ、不思議な笑みを浮かべて頷いているだけで。

 よほど肝が据わっているのか、はたまた何も感じない鈍い人間なのか。

 どちらにせよ、京梧にとって、今までに対峙した事のない種類の人間だった。
「人が多い分、江戸まで出りゃあ、ああいう種類の奴も多いのかねェ。まぁ、江戸は広ぇ。あの浪人どもが馬鹿な考えを改めりゃ、あいつともう会う機会もないんだろうが…」
 そう呟きながらも、京梧は胸の裡ではそれを全く信じてはいなかった。
 何か、確信にも似た予感がする。
 強いて言えば、それは縁とでも呼ぶべきものか。

 果たして、京梧の勘は見事に的中した。



「我らと一緒に来てもらおうか」
「大人しくすれば、痛い思いをしなくてすむぞ」
 台詞まで定石を守っている男らに、樹上から京梧は呆れにも似た視線を送った。
「もう少し、独創性ってモンがねェのかねぇ」
 そう呟くが、当然それは足元で大真面目に『典型的な拐かし』を演じている男達には聞こえない。
「放してくださいっっ!」
 腕を掴まれて悲鳴を上げる美里に、緋勇が立ち上がった。
「その人に、何の用だ?」
 低い問いかけに、しかし浪人共は笑いを返しただけだった。
「我らが何者であろうと、詮索はせぬことだ」
「怪我をしたくなくば、お主も引っ込んでおれ」
 その答えに、緋勇が僅かに身を引く。
 それが、怯えからではなく構えである事に気づいたのか、男達の口元に侮りの笑みが浮かぶ。
「馬鹿め、無手でどうにかできるほど、我らの剣技は甘くはないぞ」
「緋勇さん…っ」
 しかし、様子を窺っていた京梧は緋勇の構えに目を細めた。
(あいつ…武道を?しかし…)
 先刻、茶屋では緋勇はそんな気配は露ほども感じさせなかった。だが、今、浪人を前に構える緋勇からは、あの時見えなかったものを感じる。
 それに気づかなかった自分に舌打ちして、京梧は割って入るべく銜えていた団子の串を刀に手を掛けた男目がけて飛ばした。
「こんな往来の真ん中で、あんまり物騒な真似するんじゃないぜ」
 そう呼びかければ、きょろきょろと辺りを見回す浪人共に対して、緋勇はしっかりと樹上の京梧に視線を投げてきた。

 どうやら、気づかれていたらしい。

「どこ見てるんだ?こっちだ、こっち―――」

 そう言いながら、何故か沸き上がる笑みに京梧は口元を緩めた。



 京梧の読み通り、浪人共の剣は大した事はなく、美里を庇いながらでも、さしたる労を払わずに全員地に這わせる事が出来た。寧ろ、余りにも手応えが無さ過ぎて、京梧は物足りなささえ感じている。確かめようと思った緋勇の技量も計る間もない程のあっけなさだったのだ。
 実際彼らを始末したのは殆ど京梧で、緋勇は美里にとばっちりが行かないように、最小限の動きで彼女を守っていただけだ。
 ただ、細身を生かした鮮やかな体捌きだけは目に焼き付いている。それだけでは全然、力量を計るには足りないのだが、流石に苦痛に呻いて膝を折っている相手に追い打ちをかける気にはなれなかった。
「これからは相手を見て喧嘩を売んだな」
 しかし、多少痛い目を見れば大人しく退散するだろうと思っていた浪人達は、意外なほどのしつこさで縋ってきた。
「このまま、おめおめと引き下がったとあっては、御屋形様に会わす顔がないわッ!」
 そう喚く男に、京梧は眉を寄せる。
「おやかたさま?そういやお前ら、茶屋でも似たような事言ってたな」

 おやかたさま―――御屋形様。

 京梧の受けた印象の通り、浪人達は何か引くに引けない事情を抱えているらしい。その言動から察するに、どうやら主人持ち、といったところか。
「やめとけ―――つっても、聞きそうにゃねェツラだな」
「………」
 じりじりと立ち上がる男達の目に、引く気配はまるでない。
「―――緋勇、完全にノしとくか?」
 京梧の問いに、黙っていた緋勇が口を開きかけた時。

「いやいや、お見事」

 ゆっくりとした拍手でそれを制したのは、自らを破戒僧だと名乗る、奇妙な坊主だった。
 本気なのか巫山戯ているのか、どちらとも判断のつきかねる表情で見物させてくれなどと言って道端に座り込んでいた坊主は、ゆっくりと立ち上がって手にしていた槍を担ぎ直した。
「若いのに、なかなか面白い技を使う」
 坊主はそう言ってにっと笑って見せた。
 その笑顔に、なんとも言えぬものを感じた京梧は思わず眉を寄せる。
 なにか、恐ろしく嫌な予感がしたのだ。
 この種類の笑みはろくな事にならないと経験が告げている。
 とっとと逃げ出すに限ると、そう思った京梧は構える浪人達を無視して緋勇を誘って美里共々この場を抜けようとしたのだが…
 厄介な事に、ここでも京梧の勘は当たってしまった。
 あろうことか、坊主はいきなり手合わせを申し込んできたのだ。
「なに…?」
 呆気に取られる京梧に、破戒僧を名乗るに相応しく、坊主はふっと好戦的な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「見た所、君の剣術は押して砕く剛の剣。受けて流す俺の槍術には分が悪い」
「…………」
 黙って目を細める京梧から、坊主は緋勇へと視線を移した。
「そして、そっちの君も」
 緋勇は坊主の視線を受け止めて、ただまっすぐに返している。
「今時、無手の技を使う酔狂な輩がいるとは思わなかったよ。だが、いくら腕が立つと言っても所詮は徒手空拳。俺の懐に入り込むには、この槍の間合いに入らなきゃならん。君達二人の勝機は万に一つもないよ」
 言い切る坊主に、京梧はゆっくりと下げていた刀を腰に構える。
 ここまで言われて、引き下がる訳にはいかなかった。
「俺の名前は九桐。九桐尚雲という。斃す前に君たちの名前だけでも聞いておこうか?」
「蓬莱寺京梧。それが、てめェを斃すヤツの名だ」
 譲らない挑発を眼差しに籠めて坊主―――九桐を見返すと、同じ光をその目に見つけて、ほんの少し京梧は嬉しくなった。
 全くおかしな坊主だが、その求めるものには共感できるのだ。
 京梧と同じ、強さを求めて止まない光が、そこには確かに存在していた。
「そっちの君の名は…?」
 そう訊ねられて、緋勇は眉を寄せて名乗る。
「緋勇龍斗という」
 その名に、九桐が小さく首を傾げ、
「緋勇?何処かで…」
 何か言いかけたが、それを振り切るように首を振った。
「いや、そんなことはどうでもいいな。では―――」
 構える九桐に、京梧も刀を抜く。
「緋勇さん、蓬莱寺さん!」
「下がってろ、美里!」
 一気に緊迫しかけた空気を、しかし緋勇の妙にのんびりとした声が破った。
「その前に、一ついいか?」
 京梧も、槍を構えた九桐も、不安そうな美里も、未だ膝を突いたままの浪人達も、その言葉に緋勇を注視した。
 視線が集まる中、緋勇は腰に結んでいた手甲を着けながら九桐と、そして京梧に交互に視線を向けた。
「江戸というのは…おまえたちのような連中が沢山居るのか?」
 緋勇の言いたい事がわからずに、九桐は首を傾げた。
「おまえたち、とは…?」
「襲われているひとを助けたり、街道でひとに手合わせを申し込んだり…危険の中に居るはずなのに…」
「ちょっと待て。俺とその坊主を一緒にする気か?」
 九桐と一括りにされる事に眉を寄せて京梧が口を挟めば、緋勇は小さく、しかしどこか楽しげに笑った。
「ふたりとも、もの凄く楽しそうに見えるのはどうしてなんだ?」
 その言葉に、京梧が掛け値なしの笑みを返した。
「ああ、楽しいな。強ェ相手とやりあえるってのは、その分確実に俺を強くしてくれる。俺の未だ知らない世界に案内してくれるってことだからな。俺には未だ、手の届かない高みが沢山ある。この坊主はわざわざその為の足がかりになってくれるらしいからな」
 九桐も口元を緩めて応じる。
「残念だな。今日、ここで俺の技の糧になるのはお前達の方だ」
 京梧と九桐の応酬に、緋勇は息を吐いて手首の紐を引き結んだ。
「いいだろう。では俺もこの場で出会った縁を『糧』にさせてもらう」
 そう言って、京梧の横に並んだ緋勇は、小声で京梧に囁いた。
「さっきは任せっぱなしだったから、今度は俺の番だ」
「お前、さっきの聞いただろうが。無手じゃ、あの槍の間合いに入るのは厳しいって…」
 京梧の言葉を、緋勇は肩を竦めて遮った。
「じゃあ、お前は受けて流されるから最初から諦めるのか?」
 その言葉に、不意に京梧は気づいた。
 緋勇の雰囲気が、先程までとは明らかに違う。
 何がそうさせたのか、今の緋勇は酷く楽しげで…そしてまごうことなく感じる『強さ』。
「間合いに入れなければ、入れない場所から出来る事をやるだけだ」
 その言葉に、その身体に満ちていく『氣』に、京梧は想わず目を細めた。

 人の形をした、嵐。

 不意にそんな言葉が頭を過ぎる。
 目の前のこの存在は、間違いなく自分を何か、途方もないものに引き込む人の形をした嵐だ。
 それが証拠に。
「それに、俺達は二人、だろう?」
 そんな言葉であっさりと、京梧の胸を荒らしてくれる。
「そうだな。あの坊主に一つ、礼儀ってモンを教えてやるかッ!」
 九桐も高まる『氣』を感じたのが、一瞬楽しげな笑みを漏らした後、ぐっと唇を引き結んで槍を構える。
「では、いざ尋常に勝負ッッ!」


 この日。

 京梧は生まれて初めて、背中を預けてもいいと信じることになる相手と、共に闘うことに、なる―――