「ちょっとッ!京一はいないの!?」
 放課後の教室に、いつもの勢いで飛び込んできたアン子に、龍麻はちょっと肩を竦めて答えた。
「今さっき、出ていったとこだよ」
「帰ったの?部活の訳ないわよね?」
「部活の訳ないって…あいつも信用されてないなぁ」
 苦笑いする龍麻に、アン子は逆に聞き返す。
「じゃあ、部活に言ったっていうの?」
「………呼び出されたんだよ。何処に行ったかは知らない」
 そう言ったものの、それでアン子が引き下がらない事も予想出来て、龍麻は小さな溜息を吐いた。
「やっぱり……ホントなのかしら?でも…」
 何やらぶつぶつと呟いていたアン子は、案の定目を輝かせて龍麻に迫った。
「それで、相手の子は?まさか本当に2年の久村由里じゃあないでしょうね!?」
「………アン子、俺は京一じゃないんだから。校内の可愛い子を全部知ってる訳じゃないぞ?」
 それでなくとも、転校生である龍麻には、学年が違うというのは大きな壁なのだ。龍麻の言いたい事を察したアン子は、ぱんと手を合わせた。
「それもそうね、ごめんっ!じゃあ、どっちに行った?」
「さあ…」
 首を傾げる龍麻に、アン子は懇願の表情になる。
「お願い、知ってたら教えて!個人的には非常に不本意なんだけど、あのアホの色恋沙汰は売上には黙って見過ごせない影響があるのよ!勿論、匂わす程度でもろは書かないから!」
 不本意と言いつつも売上を追求して止まない辺り、流石新聞部を一人で担いでいるだけのことはある。
 その勢いに、龍麻は苦笑して人差し指を上へ向けて立てて見せた。
「そう言えば、屋上がどうとかって言ってたよ」
 それだけ聞くと、アン子は素晴らしいスピードで身を翻して駆けだした。ありがとうという声が廊下の端に消えるのを待って、龍麻は窓辺へと歩く。
 下を覗けば、丁度見覚えのある頭が、小柄な背中と共に歩いていくのが見えた。あの様子では体育館裏かと思っていると、その頭がひょいと動いてこちらを見る。
 ぶつかった視線に一瞬躊躇した龍麻に対し、京一はにやりと笑ってちょっと手を上げた。
 自信たっぷりの、不敵な顔。
「なーに考えてんだか…」
 校舎の影に消えていく背中に、龍麻は呆れて呟いた。


「悪ィな、待たせちまって」
 程なく京一はいつもと変わらない調子で帰ってきた。
「血相変えてアン子が来てたよ。会ったか?」
「げっ……」
 思いっきり顔を顰めた京一は、きょろきょろと辺りを見回す。
「一応、出て行ったのとは反対の方を教えておいたけどね。あの勢いだと、戻ってきてでも問いつめそうだったなぁ」
「冗談じゃねぇ。アイツに捕まったが最後、根ほり葉ほり聞かれた上にあることないこと書かれてえらい目にあうんだよ」
 苦り切った京一の顔を、龍麻は逆に面白そうに覗き込んだ。
「へぇ?アン子はお前の記事、売上いいって言ってたけど?真神一の色男クンは、そういうのは嬉しくないわけ?」
「馬鹿言え。あいつにかかったら、俺は極悪非道の女の敵か、馬鹿一直線の道化師か、どっちかにされちまう」
「なんだ、当たってるじゃないか」
 面白そうにくすくすと笑う龍麻をちょっと眺め、京一は深々と溜息を吐いた。
「……俺としては、アン子なんかじゃなく、別に気にして欲しい奴がいるんだけどな?―――お前は、どう思ってんの?俺、さっきの子に付き合って欲しいって言われたんだけど?」
 不意に真顔になった京一に、しかし龍麻は笑みを崩さなかった。
「なーにを言ってるんだか、この馬鹿は。なに?自慢したい訳?それとも、出来たての彼女を紹介してくれんの?」
「………これだもんな。んな訳ねーだろ。ったく、報われねぇったら…」
 がしがしと頭を掻いて、
「ホントに、アン子の十分の一でいいからよ、気にしてくれ頼むから。―――お前さ、俺が告ったの、覚えてるか?」
と、ぼやく京一に龍麻は肩を竦めて答えた。
「冗談を、何時までも覚えてることないだろ?」
「………お前なぁ!」
 声を荒げる京一に、龍麻はすっと目を細めた。
「冗談、だろ?」
「違うっつってんのに!俺は本気で…!」
「本気の奴が、告白された記念にってデートの約束して来るのか?」
「それは一回だけって言うから………って、なんでお前が知ってんだよ!」
 怯んだ京一に、龍麻は大げさに溜息を吐いてみせる。
「だろうと思った。お前の場合、全部顔に出てんだよ。デートデートってほくほくした顔してる。それで信じろって言う方が間違ってるとか思わないか?」
「ちょろっと出掛けるだけで、別にちゃんと付き合う訳じゃない!そもそも、お前がちゃんと返事を寄越さないのが悪いんだろうが!」
「人の所為にするな!」
 そう怒鳴った後、龍麻は逆にしみじみと息を吐いた。
「大体…わかんないんだよな、お前」
「はぁ?何がだよ?」
「デート、受けたんだろ?」
「………思い出作りたいって言われたんだよ。無下にするのも悪いだろ?」
「それ、お前も嫌じゃないんだよな?顔、にやけてるし?」
「そりゃあ、可愛い女の子と出歩くのが嫌だって男がいるかよ」
 あっさりと言い切る京一に、龍麻の肩は益々力無く下がる。
「それが、わかんないんだよ。そこまで女の子好きな癖に、なんで――――――俺な訳?」
 京一はちょっと驚いたように龍麻を見たが、じきににっと笑ってひょいと両手を上げた。
「そんなもん、俺にだってわかる訳ないだろーが。俺にわかってんのは、一個だけ。お前じゃなきゃダメなんだよ」
「……そこまで言うなら、デートなんか受けてくるなよ」
「しょーがねぇだろ?付き合ってる奴が居るつったら嘘になるし、片思いやってますつっても信じて貰えないんだからよ」
 そう言って、京一は龍麻の手を掴んだ。
「受けるか、振るか。どっちかはっきりしてくれたら、俺だってふらつきゃしねぇよ」
 上目遣いに龍麻を見ながら、京一は掴んだ指先を口元へと運んでゆく。
「俺としては、『返事』が欲しいんですけどね?緋勇、龍麻さん?」
 濡れた感触に、龍麻は一瞬息を詰める。その感覚が指先から京一にも伝わって、京一はうっすらと笑った。
 しかし、それも一瞬。
 次の瞬間には、龍麻はあっさりと笑ってその手を振りほどいた。
「生憎、俺は『冗談』に付き合う程暇じゃないんだよ。蓬莱寺京一君?」
 そして、何事もなかったかのように鞄を取り上げて、京一を促した。
「帰ろうぜ、腹へった。王華、行くんだろ?」
 そう言って歩き出した背中に、京一は切なさを混ぜた溜息を落とす。
 どうやら、今日も『返事』は貰えないらしい。
 しかし、ここで悩んでも仕方ない。
「待てよ、俺も腹は減ってる!」
 龍麻の背を追いながら、京一は胸の奥の誓いを新たに噛みしめた。
 受け容れる事も、拒否する事も選ばないあの強情な背中を、必ずこちらに振り向かせてみせる。
 するりと逃げられるいつものパターンからすれば、さっきはかなりいい線まで行ったと思うのだが、今ひとつ踏み込みが足らなかったらしい。
 しかし、手強ければ手強い程、手にした時の喜びは、きっと大きい。
 諦めるつもりなどさらさらない京一は、龍麻の隣に追いつくべく足を速めた。
 その足音を聞きながら、龍麻もまた考えていた。
 龍麻の知る中で、間違いなく一、二を争うこの女好きが、一体何処まで本気で迫っているのか。
 見極めを誤って、道化を演じるのは御免被りたい。
 かといって、完全に拒絶するには、自分はこの男の近くに居すぎている。
 居心地の良いこの関係を壊すには、かなりの勇気と気構えがいるのだ。
 だから、龍麻は逃げるつもりだった。逃げて、逃げて、どこまでも躱せたら、それは龍麻の勝ちになる。
 逆に逃げ切れなくなれば、それは京一の勝ちだということになるが、本気ならそれでも龍麻は構わないのだ。
 逃げるか、躱すか。
 どちらにしても、結構それを楽しんでいる自分に気づいて、龍麻は思わず笑みを零したのだった。