「甲太郎ってホントによく寝るよな…」
感心、というより呆れの色を隠さない九龍の言葉に、皆守は軽く片眉を上げた。
「睡眠は健康な生活の基本だからな」
皆守らしい答えに、九龍の口から切なげな溜息が零れた。
「それはまあ、否定はしないけどさ。授業サボるのはやめとけよ。特に現国はまずい。ヒナ先生、笑ってたけど微妙に目つきが怖かったぞ?」
九龍が嘆くのも尤もなことで、二人がいつもより遅めの時間に放課後の校舎を歩いているのは、さっきまで雛川に絞られていたからなのだ。
サボった皆守の確保を命じられた九龍は、そのとばっちりを食った形である。
しかし、皆守にも言い分はある。
「あのな…その原因を作ったのは誰だと思ってるんだ?昨日の夜、俺の貴重な睡眠時間をざっくり削ってくれたのは誰だっけな?」
じろりと睨み付けられて、九龍は居心地が悪そうに肩を縮めた。
「う…まぁ、それは、その…でも、俺はちゃんと授業に出たし!」
「好きでそういう生活をしてるお前と一緒にするな」
きっぱりと言い切られ、九龍はうっと言葉に詰まる。
ここのところ、探索依頼が立て込んで、嫌がる皆守を半ば無理矢理引っ張って遺跡に潜ったのは否定出来ない事実である。皆守の呼び出しが回ってきたのも、九龍の稼業を知っている雛川が、その辺りの事情を薄々察しているからなのだ。
ここで下手なことを言えば完全に藪蛇であることは想像に難くない。
あははと笑って、九龍はさりげなく話題を変えた。
「それにしても、甲太郎はよく寝るよな。やっぱりそれの効果なのか?」
火を点けたばかりのパイプをまじまじと見つめる九龍に、皆守は苦笑してそれを差し出した。
「試してみるか?」
「いいのか?」
興味津々といった風の九龍に、皆守は少しばかりの皮肉を混ぜて答えた。
「ああ、それでお前がぐっすり寝てくれれば、俺も今夜はゆっくり出来る」
しかし、皆守のささやかな皮肉は九龍には通じなかった。
「じゃ、遠慮なく」
嬉しそうに、しかし妙に慎重な手つきで受け取ったパイプを銜えて、深く吸い込む。
「……………」
そのまま、九龍は動きを止めた。その顔には、何とも言い難い微妙な表情が浮かんでいる。
嫌がっているという訳ではなさそうだが、何かを探っているような顔つきである。
「どうした?」
「うーん……」
皆守は考え込んだ九龍の指からパイプを取り返して銜えた。
「初心者にはきつかったか?」
「そうじゃないんだけど…」
パイプを取り上げられた事にも気づかぬ風で考え込んでいた九龍は、やがてぽんと手を叩いて頷いた。
「なんかさ、安眠っていうより…嗅ぎ慣れちゃったせいかな?甲太郎!って感じがするんだよなー」
「なんだそりゃ」
「なんか殆ど条件反射っぽいけどさ、俺の中では、ラベンダーって安眠ってイメージじゃなくなってるんだ、多分。なんつーか、包まれてる感じというか、お前が傍にいる時の感じ?だから、吸っても安らぐってよりお前の顔が浮かんでくる」
匂いって結構偉大だよなと笑う九龍に呆れたような溜息を零して、皆守はくるりと背を向けた。
「何を馬鹿言ってるんだか…腹が減った。先に行くぞ」
「あ、こら、置いてくな、甲太郎!」
待てよという九龍の声に反するように、皆守は足を速めた。恐らく赤くなっているであろう顔を、九龍には見られたくなかったのだ。
「今日はお前の奢りだからな」
「ちょっと、待てってば…!勝手に決めるな。寧ろ奢られんきゃいけないのはとばっちり食った俺の方だろ!」
「原因を作ったのは誰だよ?」
「だからってな……」
それは、今は遠い、けれど大切な記憶の一場面。
「以上、報告はそんなところ。……聞こえてるかしら?」
揶揄するように言われて初めて、皆守は自分が意識を飛ばしていたことに気がついた。
「ああ、悪いな。聞いてなかった」
正直にそう謝ると、双樹は見透かしているようにふふっと笑った。
「正直ね。その態度に免じて許してあげる。後でこれを見て確認しておいてね」
差し出された資料を礼と共に受け取ってぱらぱらとめくってみる。
「今のところ特に緊急を要するものはないわ。何か気になることがあれば言って」
「あァ、わかった」
そのまま資料を目で追っていた皆守は、ふと生まれた沈黙に顔を上げた。見れば、双樹が何か言いたげにじっと見ている。
「どうした?」
まだ何かあるのかと尋ねると、双樹はちょっと肩を竦めた。
「もしかして、疲れてる?」
意外な質問に、皆守は何度か目を瞬かせた。
「いや…どうしてだ?」
「ここのところ、ずっとこっちにかかりきりだったでしょ?貴方にしては珍しく、サボりも逃げ出しもせずにね。人間、慣れないことをすると疲れるものなんじゃない?」
冗談っぽくそう言われて、皆守は苦笑した。
「仕方ない。こればかりは逃げ出す訳にはいかないからな」
皆守が今関わっているのは、『墓地』に封じられていた生徒や関係者達を本来の生活に戻す為の雑務だった。
本当のことを話す訳にもいかないし、全員をそのまま解放する訳にもいかない。
幸いというべきか、大半の者は何が起きたかをはっきり自覚している訳ではなかった。適当な理由をでっち上げて信じさせ、失った時間をなるべく補える形で元の生活に戻すのが、今の《生徒会》の方針だった。
阿門は、彼らに対して出来うる限りの手は打つのが生徒会の義務であると信じていたし、皆守にとっても他人事ではない。
中には当然、自ら封じた者も混ざっているのだから、正直辛い仕事ではあった。
どんなに手を尽くしたところで、本当の意味での時間は取り戻せないのだから。
しかし、恐らくその辛さは、皆守がきちんと受け止めなければいけないものなのだ。
二度と戻ってはこない人間も、皆守が関わった者の中にはいるのだから。
「そう…ね」
双樹は少し寂しそうに目を伏せた。双樹にも思うところはあるのだろう。彼女の場合は、己の葛藤というよりは、阿門を気遣っての思いが強いのかもしれないが。
皆守は銜えたアロマの煙を深く吸い込んで吐き出し、ふと思い出したように言った。
「そういや、こいつが切れそうなんだ。新しいのを用意してくれると助かる」
「早いわね。前回からまだ一週間にもならないと思うけど」
呆れたように言いながらも、双樹は話題が変わったことに安堵したように笑った。
「そのうち、この香りが身体に染みついちゃうんじゃない?そうしたらわざわざスティックにする必要もなくなるわよ?」
軽い揶揄に、皆守はふんと鼻を鳴らした。
「それはもう言われた。ラベンダー=俺のことなんだそうだ」
双樹はちょっと目を見開き、次いで吹き出した。
「貴方に面と向かってそんなことを言うのは……一人しかいないわね?」
「まぁな」
その人物を思い浮かべたのか、双樹はくすくすと笑いながら、窓の外へ目を転じた。
「今頃、どの辺りにいるのかしらね…」
「あいつのことだから、どうせどっかの遺跡の中ってとこだろ」
「そうね…」
懐かしそうに、そして少し寂しげに空を見上げる双樹に、皆守は小さく息を吐いて付け加えた。
「……心配しなくても、卒業式には顔を出すだろ」
途端に双樹の顔から寂しげな色が消え、人の悪い笑みが浮かび上がる。
「そうね。そうじゃないと貴方も困ることになるもの、ねぇ?」
「………ちっ」
らしくなく気遣った結果がとんだ藪蛇になりそうで、皆守は眉を顰めた。
問題の人物―――今頃何処かの遺跡に潜っているであろう『転校生』―――葉佩九龍は、天香の遺跡が崩壊してから殆ど間を置かず、誰にも告げる事無くこの學園から姿を消した。
彼が『宝探し』を目的として学園に入り込んでいた以上予測できる事態ではあったのだが、それは余りにも唐突すぎた。
九龍のバディ達は当然酷く驚いたし、皆守もその辺りの事情を話せと随分問い詰められたものだ。
知らぬ存ぜぬを押し通しているうちに当の九龍から連絡が入り、そのことでまた一揉めしたのは記憶に新しいことだ。
何か聞かれる度に惚けて話を逸らしているのだが、後ろ暗いところがある分、どうにも分が悪いのは否めない。
双樹は事情を察しているのか、皆守に詰め寄るようなことはなかったが、問い詰められる皆守を面白がっているのを隠そうともしないところが始末に負えない。
格好の玩具になるのも遠慮したい皆守は、事態が悪化する前にと腰を上げた。
「用は済んだろ?じゃあな」
「あら、逃げるの?」
「誰がだ。お前の玩具になってる時間はないだけさ」
「はいはい。でも…九龍から連絡があったら、ちゃんと卒業までに顔を出すように伝えてね」
最後は少しばかり真剣さを帯びた語調に、皆守は片手を上げて了承を伝えるとその場を後にした。
下校時刻を過ぎている為か、学生達の姿もまばらになっている。
一旦部屋に戻り、渡された資料に目を通して小腹が空いた頃にマミーズに行く事にして、皆守は寮へと足を向けた。
赤く染まる空気に慣れた香りを燻らせながら、皆守は九龍のことを考えた。
別れた直後、忙しくなりそうだとメールを寄越して以降、九龍からの連絡はない。
あれほどはっきりと帰ってくると言い切った以上、帰ってくるとは思うのだが、どこぞの遺跡で夢中になりすぎてスケジュールを忘れているというのはありそうな話だった。連絡を取ろうにも、電話は通じないし、メールも読んでいるかどうか不明、何より行った先が何処なのかも知らないのだ。
自然、漏れる吐息は苦いものになる。
「あの馬鹿、連絡の一つも寄越しやがれってんだ」
思わず零れた本音に気づいて、皆守は深く眉を寄せた。
夜毎遺跡に誘われても断り切れなかったあの時のように、この學園から姿を消した今でも九龍の行動に振り回されているような気がしたのだ。
我ながら重症である。
一眠りしてこのもやもやを追っ払うかと自室に戻った皆守は、しかしドアを前にあり得ないものを感じて固まった。
「…………」
誰も居ないはずの室内に、微かな気配を感じる。
人の部屋に上がり込むような相手に心当たりはない。
敵意のようなものは感じないが、他人の部屋に無断で上がり込むような人間にまともな用件があるとも思えない。鍵を開けて侵入したのなら、問答無用で泥棒扱いされても文句は言えないはずである。
少し様子を見るか、手っ取り早く踏み込んで締め上げるか―――
思案しつつパイプの火を消そうとして、しかし皆守はあることに気づいた。
寮の部屋の鍵など片手で開けてしまいかねないスキルを持つ人間には、心当たりがある。
折しも、自分はそいつの事を考えていたのではなかったか。
確信に近いものを持ってノブを回すと、ドアは抵抗無く開いた。
夕陽の色に赤く染まった室内は静かで、侵入者はベットに座っていたのがそのまま突っ伏したような格好で眠っていた。
随分長いこと会ってないような気がしていたのだが、久しぶりに見る九龍は、皆守の記憶の中にあるものと殆ど変わらない。
よく考えればたった二ヶ月程度で変化がないのは当然なのだが、その二ヶ月を長く感じてしまったのは、皆守自身の心の問題だろう。
静けさの中でオレンジの光に染まる部屋は、見慣れているはずなのにまるで別の空間のように見える。その原因は間違いなく、人のベットを占領してくれている存在にあるのだろう。
背後でドアの閉まる音が小さく響き、それに呼ばれるように九龍の瞼がぴくりと動いた。
「…………あれ?甲太郎?」
名を呼ぶ声に鼓動がどくんと跳ねたが、それを表には出さずに皆守は冷静に突っ込んだ。
「人の部屋で何をやってるんだお前は」
九龍は枕に頭を預けたまま、小さく唇を尖らせた。
「居なかったからさ、戻ってきたところを驚かせてやろうと思ってたんだけどな。寝不足が祟ってうとうとしちまった。死ぬほどびびらせてやろうと思ってたのに、残念」
「…相変わらずだな、九ちゃん」
呆れたような皆守の台詞に、
「冗談だよ。手違いで荷物がまだ届いてなくてさ。この格好で校内を彷徨くわけにもいかないんで避難してた。普通に待ってるつもりだったんだけど…これのせいかな?なんか気持ちよくてつい」
そう言いながら鼻を鳴らすと、九龍は犬のような仕草で枕に片頬を埋めた。
「やっぱり染みついてる。寝アロマは感心しないぞ?」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべて見上げてくる九龍に、何か言い返してやろうと思ったのだが、気の利いた言葉が思いつかない。
無理に構えるのを止めて、皆守は珍しくも己の気持ちを正直に口にした。
「おかえり、九ちゃん」
九龍は目を瞬かせ、それから半身を起こして本当に嬉しそうにふわりと笑った。
「ただいま、甲太郎」
伸ばされた手に誘われるように抱き留めた身体は暖かく、しっかりとした感覚がある。
今更ながらに腕の中にいるのは幻ではないのだと感じて、皆守は少しだけ腕の力を強くした。するとそれを感じ取ったのか、九龍がふっと息を吐いて呟いた。
「…やっぱ、本物の方がいいや」
「なんだそりゃ」
「残り香の中でうたた寝するのも、落ち着いて気持ちよかったけど、本物のがもっと強烈だってことだよ」
まるで抱き枕か何かのように言われて、皆守は苦笑した。
「落ち着くだけか?」
そう言うと、九龍は少し身体を離してにっと笑った。
「そうだな…」
銜えたままだったパイプを皆守の唇から取り上げると、そのまま唇を寄せてくる。
「どきどきも、するかな?」
上がる鼓動を押し隠して難しい表情を作り、出来るだけ憮然と言い切る。
「結構。枕と一緒にされたらこっちも立場がないからな」
「あれ?怒った?」
皆守の反応が気になったのか、九龍は笑みを消して窺うように覗き込んでくる。
言いたいことはそれこそ山のようにあった。
別れた日から殆ど連絡はなかったし、帰ってくるにしてもいきなり人の部屋に上がり込むのは心臓に悪いにも程がある。挙げ句枕と同等に扱われては、文句の一つ二つは言ってやらないと気が済まない。
そう思っていたのに、間近で九龍の顔を見ていると胸はたった一つの感情に埋め尽くされる。
尤も、そんなことは今更なのかもしれない。
それは、あの日別れてからずっと、皆守の胸を占めていた一番大きな思いなのだから。
緊張気味にこちらを見上げてくる顔に手を伸ばし、もう一度しっかりと抱きしめる。
「―――もう少し、考えて行動しろ。泥棒と間違えて蹴り出されたくなけりゃな」
零れた言葉は皮肉混じりの嘆きだったが、九龍はその中の本音を正しく読み取っていた。
「俺も、会いたかった」
真顔で告げられたその言葉に、顔を寄せたのは皆守の方だったが、首を引き寄せ、唇を重ねてきたのは九龍の方が先だった。
深く唇を重ね、舌を絡めても自覚した飢えは消え去ってはくれない。
ベットにゆっくりと倒れ込み、喉元に歯を立てると九龍が微かな声を上げる。
「ん……」
その声に誘われるようにシャツのボタンに手を掛けた皆守は、しかしいきなり響き渡った激しい音に出鼻を挫かれた。
「………なに?あれ」
音の出所は扉の向こうで、その振動は室内の空気を振るわせるほどの大きさである。
ノックというには余りにも乱暴なそれに二人は思わず顔を見合わせたが、その直後に響いた声に、皆守は訪問者の正体を知った。
「居るのはわかってんすよ。とっとと出てきてくれませんかね?」
「……夷澤?」
「センパイ、居るんでしょ?あんま手間かけさせないで下さいよ」
扉越しに響く喧嘩腰の物言いに、九龍は皆守を見上げて呆れたように言った。
「夷澤の奴と喧嘩かなんかしたのか?えらい剣幕だけど」
「…誰の所為だと思ってやがる」
「え、俺?」
きょとんとする九龍に、皆守は苦さを籠めて言葉を継いだ。
「当たり前だ。お前が他の連中に寄越したメールのお陰で、俺がどんな災難に遭ったと思ってる」
九龍は一度目を瞬かせると、ああ、あれかと呟いた。
「あの時はこっちも忙しくてさ。お前なら上手く言っ
といてくれると思ったんだけど…もしかして、迷惑かけちゃったか?」
口ぶりだけは殊勝なもので、申し訳なさげに目を伏せてはいるが、その口元はしっっっかり笑っている。確認するまでもなく、確信犯だろう。
學園から何も言わずに消えた九龍が、後日付き合いのあった者達に送りつけたメールは短いものだった。
曰く、『詳しい事情は甲太郎に聞いてくれ』。
お陰でその後暫く、皆守は睡眠時間をも削って追求から逃げ回るハードな生活を強いられることになったのだ。
「わかっててやった奴が何言ってやがる」
不機嫌を前面に押し出してそう言うと、九龍の顔からやっと笑みが消えた。
「えーっと、もしかしてなんかあった?」
「あんな風に押しかけてきやがる奴多数で、ろくに寝られなかったんだよ」
相変わらずどんどん叩かれている扉をしゃくってそう言うと、九龍はあっちゃあと頭を抱えた。
「かるーい意趣返しのつもりだったんだけどなぁ」
「お前はわかってねぇんだよ」
九龍のバディたった人間は、多かれ少なかれ九龍に深い拘りを持っている。
その相手が何も言わずにいきなりいなくなったらどうなるか。
自分に非があることを差し引いたとしても、あの騒動に放り込まれたことには苦情を言って有り余るものがある。
「…ゴメンナサイ」
苦い表情に反省したのか、なんとも言えない表情で謝る九龍の頭をくしゃりと撫でると、皆守は身を起こして騒音の収まらない扉に向かった。
「やかましい!」
一声怒鳴りつけてやると、やっと扉を叩く音は止んだ。
扉を開けるとそこには、絵に描いたような仏頂面の夷澤が皆守を睨み付けるように立っていた。
「お前は近所迷惑ってものを知らないのか?」
嫌味を籠めてそう言っても、夷澤の仏頂面は変わらなかった。
「アンタがさっさと出ればいいことじゃないすか。近所迷惑を考えてないのはそっちだと思うんすけど」
そう言い捨てて、夷澤は持っていた包みを突き出した。
「これ、双樹先輩からっす。いい加減、人をパシリにすんの、止めて欲しいんすけどね。大体アンタが…」
本気で嫌そうに言葉を紡いでいた夷澤の顔が何故かいきなり凍り付いた。
その視線が自分ではなく、その背後に向けられていることに気づいて皆守は深い溜息を吐いた。
「あ、夷澤だ。元気でやってたか?」
「く…九龍先輩!なんでここにいるんすか!?それに、なんでそんな…」
ぼんっと音を立てそうな勢いで真っ赤に染まった夷澤の顔に嫌な予感を覚えて振り返ると、ほぼ予想通りの姿がそこにあった。
ここに来るまで何処で仕事をしていたのかは聞いてないが、九龍は赤に青の混じった強烈な色のシャツを着ていた。
目立ちすぎて校内を歩けなかったというのも納得出来るそのシャツの前は殆どはだけていて、とてもこの季節の格好には見えない。
ボタンを外したのは皆守のしたことだが、その格好のまま出てくるのはどうなのか。
皆守は溜息を吐いて九龍の肩を掴み、一応声を潜めて囁いた。
「九ちゃん…その格好をなんとかしろ」
あ、と胸元を見下ろした九龍は、ちらりと硬直している夷澤に視線を走らせ、思案する顔つきになって皆守を見た。
「……まずかったかな?」
「―――今、あれに騒がれるのは非常に鬱陶しい」
九龍が學園を出ていった原因が皆守にあると信じて疑っていない夷澤が、『事実』を知ったら―――あまり考えたくない展開が頭を過ぎる。
「OK、適当に誤魔化そう」
嫌そうな皆守の顔に何かを見たのか、九龍はそう言って笑い、
「ゴメン、ちょっと甲太郎んとこで昼寝してたんだ。仕事先から直に来ちゃったから、ちょっとばったりいっちゃってさ」
そう言いながらさりげなくシャツの前を合わせている。
未だ顔に赤味の残る夷澤が、九龍の首に残る痕に気づかないことを祈りつつ、皆守はパイプに新しいスティックを刺して火を点けた。
夷澤の大声が効いたのか、寮のあちこちからこちらを窺っている人の気配がする。
他の面々が駆けつけてくるのも時間の問題のようだった。
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後編に続きます。近日アップ…予定。
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