本日のメニュー→緋勇龍麻

 如月翡翠・1

「ここには来てねぇよ」
 さらりと答える男を、如月は不審を隠さない目つきで眺めた。
 口の端に薄い笑みを貼り付けた男は、しかしその胡散臭い見た目に反して実に手強い。
 生真面目な所のある壬生や、言いたくない事は笑顔で誤魔化す龍麻などは、その様子から隠し事の有無くらいは判別出来るのだが、何せこの男はいつもこの調子だ。秘密の保持者としては、この真の意味でのポーカーフェイスは理想的だろう。短い付き合いではない相手だが、未だにこの男の表情は読み切れない部分がある。
 しかし、それに躊躇していてもはじまらない。
 一つ咳払いして如月は更に言葉を重ねた。
「この近くに来ていたのは確かなんだが」
「ふん……ま、だからってここに顔出すとは限らないだろうが。先生だって色々あるだろうしな」
「それは、そうだが。しかし…」
 言い淀む如月に対し、
「―――どうした?今日は妙に絡むじゃねェか」
 今度ははっきりと人を食った笑みを浮かべる男に、如月の眉が跳ね上がった。
 如月が龍麻を見かけたのはついさっき、繁華街からさほど遠くないこのマンションの入り口でだ。龍麻がこの建物の中に、この部屋以外の目的地があるとは思えない。
「別に、大したことじゃない。丁度龍麻に用があったんだ。下で丁度姿を見かけたと思って来てみたんだが…」
 匂わせた程度では、男はびくともしなかった。
「へぇ?似た奴でも居たかねぇ?」
 恐らく…否、間違いなく探す相手はここにいるという確証があるのに、隙のない男の前では押し切る事も出来ない。
 かといって強硬手段に出ればこの場合、間違いなく逆効果。逃げられてしまう。
 溜息を吐いて如月は譲歩する事にした。
「わかった。僕は帰るが、もし龍麻が寄ったなら、店の方へ顔を出してくれと伝えてくれ。遅くなっても構わないからと」
「ああ、伝えとく」
 顔を出したらなと、わざとらしく付け加える男に、如月は薄く笑んで一歩踏み込んだ。笑みを浮かべたままの男の耳をぐいと引く。
「いいか村雨。これは、貸しにしておく。わかっているとは思うが、安くつくとは思うなよ?」
 押さえた、しかし凄みを籠めた声色でそれだけ告げると、如月は何事もなかったかのように失礼すると言い置いてくるりと身を翻す。
 背中に感じる村雨の慌てる気配に少しだけ溜飲を下げて、如月は後ろ手に扉を閉じた。

 村雨祇孔・1

 扉の向こうに消えていく、いつもより少し強張った背中に、村雨は深々と溜息を吐いた。
 あれはかなり、怒っている。
 次に会う時には何か穴埋めをしないことには、今後如月邸に出入り禁止を食らいかねない。
 時折如月邸で行われる麻雀大会は、村雨にとっても楽しみなものなのだ。それに、秋月の用向きで骨董店の方を訪れる事も珍しい事ではない。如月の機嫌を損ねたままでは、何かと不都合が多いのだ。
「ったく、面倒な事に…おい、先生。こりゃ、高くつくぜぇ?」
 溜息と共に声を掛ければ、奥からすまなそうな笑みを浮かべた龍麻が顔を出した。
「あはは、悪い。なんとか捲けたら良かったんだけど、やっぱ如月相手に半端は駄目だな。村雨んとこが近くで本当に良かった」
 失敗したと舌を出しつつ、手を合わせてごめんと頭を下げる龍麻に、村雨は肩を竦めて返した。
「ま、つけとくから今度まとめて返してくれ。それで?理由はなんなんだ?」
 予告もなくいきなり駆け込んできて、とにかく匿ってくれの一点張り。
 その慌てた様子に驚いてとにかく部屋に上げたのだが、後を追ってきたのが如月と知って、更に驚く羽目になった。勿論、顔に出すような下手は打たなかったが。
「…理由って?」
 途端に明らかに視線を泳がせ、そわそわと落ち着かない様子を見せている癖に、龍麻は言葉の上ではしらばっくれる。しかし、とばっちりを食って要らぬ負債を抱え込んだ村雨は強気だった。
「惚けるのは、なしだぜ?先生が、あの如月から逃げ出さなきゃいけない理由ってのは何だって聞いてんだよ」
「……………」
「あいつのとこの馬鹿高い商品を壊しでもしたのか?」
 違う事は承知で、村雨はわざとそんな事を聞いてみる。龍麻を主と思い定めているふしのある如月は、例え龍麻が店で一番高い物を壊したとしてもそれを咎め立てる事はしないだろう。
「そんなんじゃない」
 案の定、即座に返ってきた否定に村雨はさらりと返した。
「じゃ、なんなんだ?」
「う………」
 言葉に詰まった龍麻は、しかし視線を逸らさない村雨にまいったという風に手を上げた。
「なんと言えばいいか…怒られそうでさ」
「怒られる?」
「うん、まぁ……」
 恐ろしく言いにくそうに言葉を濁す龍麻に、村雨は大体の事情を察した。
「つまり、あれか?如月の奴が血相変えて怒り出すような危ない真似をした、と」
「う…そこまでじゃないけど…」
 詰まりながらも頷いて、龍麻は村雨を窺うように見た。その様子に、村雨はぷっと吹き出す。
「別に、俺ァ説教はしねぇよ。何をしたかは知らねぇが、そこまで口を出す謂われはねぇしな」
「そっか」
 少しほっとしたような龍麻に、村雨は苦笑いを浮かべた。
「まぁ、如月の奴もちっとばかし過保護なとこがあるからな」
「うん……心配してくれるのは有り難いんだけどね」
 如月のお説教は長いんだよと笑う龍麻に、違いないと頷いた村雨はしかし釘を刺すのも忘れなかった。
「ま、あいつの気持ちもわからなくはねぇよ。アンタ時々危なっかしいからな」
「危なっかしい?」
 眉を寄せて首を傾げる龍麻に、
「まぁな」
 と答えて村雨は煙草を銜えた。
 龍麻は、村雨の知る中で最も『強い』部類に入る人間だ。
 およそ荒事とは無縁の見た目を裏切る圧倒的な強さと、出会った時に既に感じた器の大きさ。人当たりがいいかと思えば、変なところで頑固で衝突も辞さない頑なさは村雨のように斜に構えて世の中を見ている人間をも惹きつけるものがある。
 嘗て、この東京を護る為に龍麻の周りに人が集まったのも、彼らが自然と龍麻をリーダーとみなしていたのも、自然な成り行きだったと村雨は思っている。龍麻には、人に彼ならば大丈夫だと思わせる何かがあるのだ。
 しかし、時折―――
 ほんの時折、龍麻の様子がおかしくなることがある。
 特に、何が違うということではなく、態度がおかしいということでもない。
 ただ、あまり飲めない癖に飲みたいと騒いで機嫌良く杯を重ね、結果潰れてしまったり、逆に声を掛けても妙に口を濁して逃げてしまったり。
 何でもない事なのだが、普段そんな風に乱れる事が少ないだけに余計に違和感を感じるのかもしれない。
 現に、今も。
 探るような村雨の視線に居心地悪げに視線を逸らしている龍麻は、いつもの彼ではない。
「ま、人間色々あるだろうけどよ」
 紫煙を吐き出して村雨は付け加えた。
「あんま無茶はすんなよ?アンタになんかあったら、如月を宥めるじゃ済まなくなる」
「……とにかく、助かった。今度酒でも持ってくるから」
「そう急がずに、ゆっくりしてったらどうだ?」
 よほど居心地が悪いのか、そそくさと出ていこうとする龍麻を人の悪い笑みを浮かべて引き留めた村雨はふと眉を寄せた。
「………?おい…」
 この日、龍麻は黒っぽいシャツにGパンという至ってカジュアルな格好だった。そのシャツのプリントが、奇妙に途切れて見えたのだ。
「その、染み…」
「ありがとな、村雨!」
 問い質すより早く、龍麻はぱっと身を翻し、玄関の扉の向こうに消えてしまう。
 取り残された形の村雨は、一瞬追おうとしたのだがすぐに諦め、厳しい表情で窓辺に歩いて下を見下ろす。程なく、マンションの玄関から龍麻が出ていくのが見えた。
「ったく、何をやってんだ…」
 村雨は、基本的に何をしようが龍麻の行動に口を出すつもりはないし、如月のように説教をするつもりもない。
 だが、龍麻自身に実害があるとすれば話は別だ。
 あの染み―――黒っぽいシャツの色に紛れてわからなかったが、あれは血の跡だった。
 あの龍麻が、出血を伴うような事態に遭遇したとすれば―――当然、村雨はそんなものを黙って見ているつもりはなかった。
 村雨も結局の所、龍麻という人間に惹かれている者の一人なのだから。
「重傷じゃねぇ。けど怪我はしてる、か…」
 少し考えて村雨は携帯を手に取った。
 呼び出し音は短く、すぐに相手が出る。
「おう、いきなりで悪ィが、今、何処だ?」


壬生紅葉・1

 随分と珍しい相手からのコールは、最初から命令調だった。理由なく無茶を言う相手ではないとは承知しているが、一応理由くらいは聞かせて欲しい。そう訴えると返ってきた短い説明は、壬生を動かすには充分なものだった。壬生の位置から考えれば、相手が急いているのも無理はない。
 だが、壬生は特に心配はしなかった。

―――お前なら、間に合う。どうもそんな気がするからな。

 そういう『予感』に置いては、まず外れたことのない相手の言葉なのだ。恐らく、間に合うのだろう。

 果たして、一つ角を曲がった先に求める姿があった。
「あれ…?」
 驚いて立ち止まる相手に、壬生は足を止める事無く近づく。
「………なんで紅葉がいるんだ?」
 不思議そうな龍麻に、壬生は肩を竦めて答えた。
「仕事だよ。この辺りで少しばかり気に掛かる動きがあってね」
 仕事と聞いた途端、僅かに龍麻の眉が動いたのを壬生は見逃さなかった。やはり、との思いが胸を掠めたが、表面には出さずに淡々と続ける。
「あちこちに凝って形を成してなかった陰気が、突然一ヶ所に集まったかと思えば、まるで爆発したかのような勢いで一気に消える。そんな事態がここ―――新宿で起こったとなれば、無視は出来ないからね」
「そんなことが、あったんだ?」
 微妙に視線を逸らす龍麻に、壬生は強い視線を当てて頷いた。
「ついさっき、ね。まさかこんなに早いとは、予定外だったよ。もう少し余裕があるかと思ってたけど、間に合わなかったし」
「間に合わないって…」
「いくら強くても、万全なものなどこの世にはないし、危険な事には変わりないからね。出来うる事なら止めたかった」
「……………」
 黙り込んでしまった龍麻に、しかし壬生は追及の手を緩めてやるつもりは毛頭無かった。
「そう思って如月さんにも頼んでおいたんだが、会わなかったかい?」
「如月に…」
「…?」
「如月に、なんて?」
 窺うような視線を向けてくる龍麻の言いたい事を察して、壬生は少しだけ口元を緩めた。
「龍麻がどうも危ない事に首を突っ込もうとしているから、探すのを手伝って欲しい。そう頼んだ」
「紅葉…」
 少し憤慨し、少し安堵しているかのような声色に壬生は改めて龍麻に強い視線を当てた。
「君が、僕のような仕事をしたいというのなら止めはしない。君の力にもなれると思う。だが好んで危険に足を踏み入れようとするのなら、それは容認出来ないし、傍観するつもりもないよ」

 きっぱりとした物言いに、龍麻は少し鼻白んだようだった。
「危険って…そんな大げさな」
「大げさじゃないだろう。現に君は怪我をしている」
 途端、龍麻は反射的に一歩下がったが、見越していた壬生はその差を一足で縮めて手を伸ばした。
「…………っ」
 腕を掴んだ途端、顔を顰めた龍麻に壬生の眉間の皺が深くなる。
「龍麻」
 低く抑えた呼びかけに、龍麻の腕から強張りが解けてすとんと肩が落ちる。
「―――どうして紅葉にはわかるかなぁ」
 それが、怪我をしたことではなく、怪我に至った経緯について言っている事はすぐにわかった。
「気に掛けているからだろう」
 さらりと返した答えは、しかし龍麻の気に入るものではなかったらしく、
「絶対気づかせるつもりなかったし、上手くやったと思ったのに…」
 不満げな龍麻に、壬生はちょっと笑った。
「わかるな、という方が無理な相談だけどね」
 龍麻は陽(ひかり)だ。陰(かげ)たる自分がその異変に気づかないなど、あり得ない。
 ただ、龍麻が本気で隠していたいと思えば壬生とて気づくのは不可能だろう。壬生に気づかせてしまう辺りが、龍麻らしからぬところだった。
 その辺りに気づいているのかいないのか、眉間に皺を刻んだまま考え込む龍麻を壬生はさりげない仕草で促した。
「ともかく、その傷は手当てしないといけない。行こう」
「そんな、大した怪我じゃないって…」
 明らかに気乗りしない風の龍麻に、壬生は肩を竦めた。
「素直に行くのなら、桜ヶ丘まで送るよ。けど、何か異論があるのなら、その後北区まで出向いて君の無謀について他の意見を聞いてみるかい?」
 流石に、たった今逃げ出したばかりの相手と顔を合わせるのは気まずいと思ったらしい。龍麻は渋々といった風に頷いた。
「わかったよ、わかったけど…」
 たか子先生に怒られるのはなぁ…
 溜息を吐いた龍麻の渋面に、壬生は思わず口元を崩しつつも出来るだけ厳然と答えた。
「仕方ない。これも無謀のつけだと思って諦めるんだね」

比良坂紗夜

「いらっしゃいませェ〜」
 のんびりとした声が響くのは、桜ヶ丘ではいつもの光景だったが、その後に続いた言葉に比良坂紗夜は顔を上げた。
「あれ?ダーリンだ〜」
「久しぶり、舞子」
 応じる声は紗夜にもなじみ深い人物のものだが、心なしか声のトーンが高い。処理中の案件を手早く片づけて玄関を覗くと、産婦人科には不似合いな二人連れの姿があった。
「龍麻に、壬生さん?」
 思わず声を上げると、気づいた龍麻が笑顔で手を振ってくる。
「紗夜も、元気にやってるか?」
「ええ、何とか…」
 笑顔で言いかけて、紗夜は龍麻とは対照的に無表情で沈黙を守る壬生に気づいて少し表情を改めた。
 壬生が桜ヶ丘を訪ねることは珍しくはないが、龍麻が予告もなく訪れるのは稀な事なのだ。
「龍麻、今日はどうして?」
 途端に笑顔に陰りの見えた龍麻に代わって、壬生が淡々と答える。
「怪我をしてるんだ。手当をお願い出来るかな?」
 誰が、と聞くまでもない。
「こちらへ」
 事情を聞きたい気持ちを抑え込み、紗夜は奥へと二人を案内した。

 長袖のシャツを脱いだ右腕には、ハンカチが巻き付けてあった。傷そのものは肘から手首に近い部分まで引き連れたように続いている。ハンカチで出血を押さえていた部分は傷が深く、紗夜は眉根を寄せながらもてきぱきと傷口を拭き取りながら尋ねた。
「痛む?」
「少しね」
 その答えに紗夜の眉は更に深い角度を描いた。これはなにか、鋭いものに切り裂かれたような傷だ。幸いなことに、筋や骨に達している風ではない。
 その答えに紗夜の眉は更に深い角度を描いた。これはなにか、鋭いものに切り裂かれたような傷だ。幸いなことに、筋や骨に達している風ではない。
 手当をしながら、紗夜は龍麻の顔をさりげなく窺った。
 大人しく手当を受ける龍麻の表情は、穏やかだが何かを隠しているようにどこか硬く、今は廊下で待つ壬生の表情も似たようなものだ。
 処置を終え、きっちりと包帯を巻き終えると、紗夜は真顔で龍麻を見た。
「何処で、これを?」
「…………ちょっと」
「喧嘩…じゃないですよね?」
 刃物の傷ではない。それに恐らく、人間相手の傷でもない。
「うん…」
 言いにくそうに視線を逸らす龍麻に、紗夜は溜息を吐いた。申し訳なさそうというか、叱られている子供のような有様の龍麻に口を開かせるのはどうにも難しい。
 特に、申し訳なさそうな言いにくいような、途方に暮れた顔をされてしまうと。
「わかりました。もう聞きません。けど、一つ約束して」
 目を瞬かせる龍麻に、紗夜はにこりと笑った。
「怪我したら、必ずここに来ること。それで今日の所は勘弁してあげます」
 紗夜の笑顔に龍麻の表情も緩んだが、ふと気づいたように尋ねた。
「怪我って…その、どの辺まで、かな?」
「怪我は怪我。血が出ても打ち身でも怪我って言いますよね」
「え、それは……」
「言いますよね?」
 思い切り愛想良く聞き返した紗夜に、龍麻は引きつり気味の笑みで応じた。
「わかりました。ちゃんと顔出します」
「はい、お願いします」
 そう笑いながらも、紗夜は心の中でそっと付け加えた。
 そう、顔を見れば安心も出来るし。
 別に怪我ではなくてもいい、顔を見せてくれればいいのだ。こちらが心配すると、それを逆に気に掛けてしまう龍麻相手ではおちおち心配も出来ない。
 人に弱味を見せたくない意地っ張りの身を案じるのにも色々苦労があるのだ。
 廊下に出ると、壁に凭れていた壬生が身を起こす。
 苦笑に近い笑みを浮かべて壬生に視線を送ると、壬生はひょいと肩を竦めてみせる。
 壬生には珍しいその仕草は、恐らく怪我をした龍麻をここまで引っ張ってきた壬生の本音だろう。似たような苦労をしていると思うとつい笑みが深くなり、紗夜は思わず口に手を当てて笑い出してしまった。つられたのか、壬生もまた、珍しく声を上げて笑う。
 それを見咎めた龍麻が不審そうな目つきで二人を眺めたが、暫く二人の笑みは止まらなかった。

緋勇龍麻・1

「送っていくよ」
 そう言う壬生の表情は、未だ笑いの余韻を含んでいる。
「いいよ別に。遠回りになるし、面倒だろ」
 なるべく、何気なく―――と思っていたのに、思い切り低いトーンで響いた声に、俺は思わず顔を顰めた。
 もう充分みっともない所を見せているのだから、せめて八つ当たりという最悪の醜態だけは見せたくない。そう思っていたのに、結局まるで隠せてない。これじゃ、自分の感情も制御出来ない子供だ。
 自己嫌悪の波に沈みそうになるが、紅葉はそれを気にした風もなくさらりと言った。
「いや、どちらかと言うと、送って行く事で僕が安心したいだけだ」
 余裕と、気遣いすら感じさせる物言い。
 紅葉は俺なんかよりずっと大人だ。
 じゃあ、と何とか捻り出して身を翻すと、紅葉は何も言わずに着いてきてくれた。


 別に、無謀をしたい訳じゃなかった。
 俺の周りに良くない『モノ』が集まるのは珍しい事じゃなかったし、少し気を張っていれば、大半は寄ってはこられない。たまに大物が引っ掛かれば、大事にならないうちに始末するのも慣れてる。
 ただ、ほんの少し。
 ほんの少しだけ、油断した。
 人の心の綻びに入り込むそれに、入り込まれたのは本当に不覚としかいいようがない。
 そのうえ―――
《ホントウハ、―――タカッタクセニ》
《ズット、―――シイトオモッテルノニ》
 その瞬間、まとわりついていた負の念は吹き飛ばしてやった。
 人の心に入り込むなんて、礼儀知らずにも程がある。
 けど、そんなものでは気が晴れない。
 油断して心を暴かれたことよりも、突き付けられた中身の方が、ちくちくと心を刺して落ち着けない。
 まるで人の不調を見越してるように増えた『モノ』達にも、腹が立った。だから、ここは一つ纏めて片づけてやろうと思った訳で―――まぁ、半分くらい憂さ晴らしもあったんだけど。
 でもまさか、それを紅葉に気づかれてたなんて、本当に不覚もいいとこだ。
 思った以上に負の念が集まりすぎて怪我をしたのも、如月に見られて追いかけられたのも、村雨に怪我を気づかれたのも、紅葉に見つかって紗夜に心配をかけたのも。
 全部、どう考えても俺自身の、信じられないくらい間の抜けたミス。
 情けない…っていうのを通り越して、どっぷり落ち込んでくる。
「龍麻……」
 紅葉の声に顔を上げたら、そこは何故かマンションの前だった。
「……あれ?」
「何処か、寄り道があるのかい?」
 言われてやっと、危うく家の前を通り過ぎるところだったのに気が付く。
「あはは、呆けてた」
 紅葉は少し目を細め、じっとこっちを見つめてきた。こういう時の紅葉は、何か言いたい事がある事が多い。
 そこまでは予想出来たけど、実際紅葉が言いだした事は、俺が予想もしてなかった事だった。
「龍麻。最近…蓬莱寺はどうしてるのか、知ってるかい?」
「は?京一?」
 予想外の名前に思わず大声を出してしまった俺を、紅葉が呆気に取られたように見ている。
「ああ、ごめん、びっくりして。でもなんで…」
 京一なんだ?って言いかけて、俺は紅葉の言いたかった事に気が付いて口を噤んだ。
「…………」
 黙り込んだ俺に、紅葉がしまったって表情になる。
「もう、5年になるだろう?そろそろ帰ってきても言い頃じゃないかと思ったんだけどね」
「さあ…ね。どうかな?アイツ放浪癖あるし」
 そう言ったら、紅葉はそうかと呟いた。さっきのようにあからさまに出てはいないけど、でもやっぱり、何か失敗したって顔。読みにくい顔だって言われるらしいけど、慣れたら結構紅葉の表情は解りやすい。
 今は少し、その顔を見るのが辛かった。
 だから、わざと背を向けて、
「わからないよ。アイツの事は。卒業してこの方、一度も連絡貰ってないし、こっちからじゃ何処にいるのかもわからない」
 本当は一度だけ、劉の奴が連絡くれたけど。
「龍麻………」
「じゃあ、わざわざ送ってくれてありがと」
 何か言いたそうな紅葉を振り返らずに、エレベーターまで早足で歩いた。
 ドアが閉じる瞬間、複雑な表情のままの紅葉と目があった。
 ごめんな、そんな顔させて。
 聞こえる訳もないのに、心の中で謝る。本当はちゃんとフォローしときたいけど、今は頭が上手く働かなかった。
 紅葉はどうして、いきなり京一の名前なんか出したんだろう。
 あいつは、意味のないことなんてしない。
 てっきり、今回のポカを諫められるんだと思ってたのに…
 それとも、何か?
 紅葉は俺のポカミスの原因が京一だってのか?
 何をどう考えたらそういう事になるんだか、さっぱりわからない。
 第一、もう5年も会ってない相手がなんで俺の不調の原因になんてなるんだよ。
 そりゃあ、5年前は違ったけど。
 でも、あの時。
 あの卒業式の日から、俺と京一の間にはなんにもない。
 一緒に行こうって言ってみたり、ここに残れって言ってみたり。正直、アイツの考えてることなんてさっぱり俺には解らなかった。
 俺自身は―――一応あれこれ考えてはいたはずなんだけど、もう、昔の事だし。
 だから、今更京一の事であれこれ悩むなんてそんなことは―――

 ないって言い切れないのが、自分でもよくわからない。

 紅葉は俺自身よりもよっぽど俺の事を良く知ってるから、案外そうなのかもしれない。
 でも、そんなの絶対嘘だ。
 今でも引きずってますなんて、いくらなんでも情けなさ過ぎる―――
 頭の中がぐちゃぐちゃで、気が付いたらとっくに開いてたエレベーターのドアがまた閉じるとこだった。
 慌てて、ボタンを押してドアを開けて。
 廊下に飛び出した途端、頭を一発、ぱかんと殴られたような衝撃に襲われた。
 廊下の、一番向こう。
 俺の部屋の扉に、鳶色の頭が寄りかかっている。
 見覚えのある紫の袱紗はいい加減ぼろぼろで、格好も季節を間違えてるんじゃないかってくらい場違いなコート姿。
 人目も憚らず、ぺったり座り込んで身じろぎもしない。
 5年ぶりに顔を見せた蓬莱寺京一は、俺の部屋の扉に身を預けてすっかり寝入っていた。

遅ればせな緋勇さんです。
とゆーか、これが本筋なのにやっと今頃…遅すぎ(×_×;)
そんでもって、やっとこさ京一が出てきて京主っぽくなってきたところで以下次号!←をい
や、夏の祭典の準備がありまして…
いい加減やらないと間に合わなーい(>_<)
修羅場が開けたら、ちょこちょこ書き直して最後までまとめてアップしたいですはい。