| 全てを覆うかの様に拡がっている夜の帳の中、一人の男がその闇に紛れる様にひっそりと其処に佇んでいた。とは言え、其の者が身に纏っている薄色の衣と白磁の白さを見せる其の肌のせいで紛れきれていないが、其れは其れで幻想的な雰囲気を醸し出すに十分な状況であった。
男は軽くはふと息を零した。 組んでいる足の膝の部分に顔を埋めるようにして、再度溜息。 最近どうも自分はおかしいと、彼は自身の事を考えていた。 何がどうおかしいかと問われれば、少し返答に困る所である。と言うより、誰にも問われたくないと言うのが本音であるこの感情に、正直自分も戸惑っているのが正しい。 本当に解らない。この感情が何故なのか。 おかしくなり始めた時期は解っている。仲間の一人である九桐と共に王子の稲荷に赴いた時に出くわした、彼等が宿敵『龍閃組』と対峙した其の時からだ。 いや、正しく言うと其の中の一人の男―――凛とした瞳で此方を見詰め、名乗りを上げて「覚えていろ」と告げたあの者―――と逢ってからというべきなのか。 彼の者の言葉を聞き、背を向け歩を進めていた其の刻に。 共に居た九桐に指摘され始めて気が付いた、不覚にも涙を幾筋も零していたあの刻から。 急速に燻りを見せ始めた解らない想いが胸中に渦巻き、彼を苛んでいた。 以降、仲間の前では流石に明るく振舞って見せているし、何かしている間は気も紛れるのがあって忘れていられる事もあるが、今の様に一人佇む時があれば否が応でも思い出し、そして其れは幾度でも彼を苛ませる要因となっていた。 ―――何だ何だ何だって言うんだ一体ッッ!! もう幾度吐いたか解らない声を心の内で悲痛に叫び、伴う様に固くその両の瞳をぎゅっと閉じ、更に強く顔を埋めた、其の時。 「…………殿、緋勇殿ッ」 「どうされたのですか?緋勇殿??」 小声ではあるがはっきりとした声で名を呼ばれ、彼―――緋勇龍斗ははっと現実に引き戻された。 慌てて伏せていた視線を上げると、其処には人々を恐怖に陥れるに十分な表情を模った鬼の面を付けた人物が二人、龍斗の前に跪いており、どちらも其の顔を上げ彼の様子を伺っていた。 感情の昂りに伴って普段と違う《氣》を発しでもしていたのであろうか。 面越しに彼等二人が心配そうに視線を投げ掛けているのが分かり、龍斗は「あぁ、すまない……少し考え事をしていたから」と取り繕いの台詞を呟きながら、腰を掛けていた切り株から立ち上がった。 そうだった。今は……任務の偵察中だった。 ふるりと緩く頭を振る事で、今迄思考の中心にあった物を片隅に追い遣り、気持ちを切り替えようと試みる。 全くこの大事な任務中に考え事に没頭して、配下の者の声にすら気が付けないとは何て有様だろうか。 と、心の内で自嘲する龍斗の口許は其れと同じ形に歪められた。 「緋勇殿……??」 「ん……?あ、あぁ……」 再度声を掛けてくる面の男に、気取られない様に口許の歪みを正し、其れから長く伸びている闇に紛れんばかりの漆黒の前髪を掻き揚げつつ、龍斗は未だ自分の前で傅いている二人に対して、落ち着いた……それでいて威厳のある声で問うた。 「で、首尾はどうだった?」 「は……ッ、今のところ特に怪しい動きは無い模様ですが……油断はならないかと」 「もう少し張ってみますか?」 「いや……一度戻って天戒の指示を仰いだ方がいいだろう。無駄に時間を費やすより、的確に現状を伝え、其れを多方面から分析して次に行動を移した方が効率がいい」 端的に報告を述べ次の指示を自分に仰いでくる彼等に対し、龍斗は右の拳を口許に持っていき瞬時に考えを脳内に巡らせる。 そして己等を統括する主の名を挙げきっぱりと一つの方向性を指し示した。自分の意見に反論の意が無いのを見て取って「戻るぞ」と踵を返した龍斗に、面を付けた二人――下忍達は「はッ」と短く同意の声を落とし、従った。 ―――周囲の木々が起こった風にざわりとざわめき、揺れた。 冴え冴えとした月明りが薄らと照らす白い砂利混じりの道を、緩やかな歩調で京梧は歩いていた。 頬に仄かな朱が走っており、進める歩が多少千鳥っている辺りから、酒が入っているという予測が容易に立つ。だが其の瞳は胡乱でない事から、そう酔っていない事もまた容易に知れた。 ざり……と砂利を薄っぺらい草履越しに足裏に感じつつ踏締め、ゆっくりと足を動かし前へ進む。 はぁ……ッ。 我知らず溜息が零れた事に半瞬後に気付き、自嘲めいた笑いを口許に浮かべながら京梧は懐付近で組んでいた腕を解き頭を掻いた。 先日、弁天堂の一件で不埒者達と闘った其の後に。 京梧にとって屈辱以外の何でもない、不覚を取った相手――九桐尚雲と闘う事となり、其の際に彼の者が名乗った名を聞いてから、ずっと疑問に思っている事が一つ胸に在るのだ。 奴は――九桐は自分が『鬼道衆』であると名乗った。 最も出逢ったあの刻から奴が堅気だとは思っていなかったのだから、其処に疑問を抱いている訳ではなくて。 彼が疑問を抱いているのは、九桐と共に居た相手に対して――――――――――。 王子の稲荷神社の前であの刻逢った――緋勇と名乗ったあの者も『鬼道衆』なのだろうか、と。 あの短い刻の間に垣間見、感じた、彼の瞳に宿る『力』強さと《氣》の強さからして、彼の者が常人では無い事は容易に知れ、其れ故に恐らく己の推測に間違いは無いだろうと思う反面、心の奥底何処かで其の考えを否定したがっている思いが自分の内にある事にふと気が付いた其の刻から。 其れを思い出す度に、先の様に知らずの内に溜息を零す日々がここの所続いていた。 何だってんだよなァ……。 心の内で言葉を零しつつ、頭を掻く手を止め、軽く中空に視線を遣る。 刹那。 微かにではあるが、道から少々離れた位置に立ち並んでいた木々の方向から響いた音を耳に捕らえ、京梧は反射的に刀の柄に手を伸ばし視線を瞬時に其方へと転じた。 静かに柄を握り締め、無意識の内に音を立てない様に唾を飲み込む。 音がした方に注意深く視線を投げ、次の音の動きを待ち――――――――――。 次の瞬間に其の場に木々の合間から音を立てて飛び降りて来、姿を見せたその意外な存在が誰であるかを判別するのに刻は其れ程かかりはしなかった。 其処に現れたのは、今しがた迄彼の考えの中心に居た人物――――緋勇龍斗その人であったのだから。 木の枝から地面へと飛び降り、視線を上げた先に居た人物を捉えたと同時に、龍斗は内心舌打ちをした。 よりによって何でこの男に出くわしてしまったのかという、そんな意味合いの籠った其の内なる行動。 今一番龍斗が逢いたくないと思っていた、彼を此処最近ずっと悩ませている男――――蓬莱寺京梧。 其の者が今目の前に存在し、刀の柄に手を掛けてはいるものの何やら呆けた顔で此方を凝視している様に気が付き、龍斗は自分がこの後どう行動するべきかを瞬時に脳内で処理し始めた。 正直な所直ぐに踵を返してこの場から離れたいのが本音ではある。 彼の者が居ない所ですらあれだけ自分は苛まれていたのだから、実際目の前に其の原因たる男が存在するというこの状況下が、龍斗自身にどの様な影響を及ぼすか解ったものでは無かったからだ。 だが、踵を返してこの場から離れるなどという行動を、敵対する『龍閃組』に属するこの男の前で取るのは、敵前逃亡に等しい物かという考えが脳裏を掠め、又、今現在彼は下忍二人を引き連れており、彼等の仮の統率を任されている身として、其れはいただけない行動だと瞬時に判断を下した。 故、龍斗は必死で逃げ出したくなる思いを抑えて、殊更大きな音を立てて飛び降りた其の時のままだった体勢を整えつつ、相手が何か言葉を先に発するより更に先に口を開いた。 「……久しいな、蓬莱寺とか言ったか」 気を付けなければ上擦りそうな声を必死で抑え、普段と変わらない様子を取り繕いながら龍斗は前方の男を見据えて言った。 龍斗の其の声で漸く呆けから解放され、柄から手を離して「あぁ」と息を零しつつ同意の声を発した蓬莱寺は其の手でぼりぼりと後頭部を掻く。そして何故か嬉しそうに次の句を口にしてきた。 「……覚えて貰えていたみたいで光栄だぜ」 「『覚えとけよ』と言ったのは貴様自身だろう?」 「……ははッ、相違ねェや」 返って来た言葉に冷静に一言をまた返してやれば、愉しそうに笑って其れを認める。 ……変な奴。 ぽつりと内心で呟き龍斗がそんな彼を静かに見遣っていると、 「緋……緋勇殿ッ!?この男は確か……ッ」 「……お前達二人は戻れ、戻って先刻の事を天戒に報告しろ」 今まで黙って事の成り行きを見ていた下忍の一人が、龍斗に向かって口を挟んできた。 だがその台詞を全部聞く前に龍斗は蓬莱寺に向けている視線は其の侭に、部下二人に静かな声音で命令を下した。 「ですが緋勇殿……ッ!」 「案じるな、俺も直ぐに戻る……。少し、この男と話をしたいだけだ」 目の前に敵対する組織に属する男が居て、其処に自分達よりも断然あらゆる面において強いとは言え、同胞を置いて去る事等出来る訳もないらしく、流石に反論の意を込めた言葉を下忍のもう一人が発するが。 天の悪戯な采配か、この様にこの男と相対する羽目になった今、どうせならこの機会に奴に聞いておきたい事が龍斗の中に出来ていた。龍斗はくるりと振り返り、自分を心配してくれている配下二人に真剣な眼差しを向ける。 そして、其の視線を逸らさずにきっぱりと、哀願に似た言葉を投げた。 「俺を信用してくれているならば、……頼む、行ってくれ」 「…………御意」 些か不安を滲ませた声音で、それでも漸く同意を示す単語を呟き、熟練された素早い動きで二人の男が去って行くのを確認し、龍斗は視線を黙って事の成り行きを眺めていた蓬莱寺にへとゆるりと戻した。 今目の前から自分と敵対する組織に属する者が二人、この場を立去ろうとしているのに京梧は其れを追う事すら考え付かなかった。 彼が其の者達以上に最も用事がある人物は目の前に残って居るのだから。 京梧には其の者に確認したい事があった。 其れは先刻まで思い巡らせていた、一つの疑問の答えだ。 「……お前は、『誰』だ?」 抑えた声音で呟いた含みを持った其の問いに、一瞬彼の者は自身の紫紺の瞳を大きく見開いた。 が、直ぐに伏せ、投げ掛けられた問いに対する答えとなる言葉を静かに紡いで返した。 「俺の名は龍斗――――『鬼道衆』が一人、緋勇龍斗……だ」 予測していた通りの緋勇の答えに、京梧は乾いた苦笑いを零すしかなかった。 つい先刻龍斗の一声を聞いて去って行った二人の鬼面の男を見た時点で、先程までの疑問の答えは確定したも同然であったのに。 こうして本人の口から聞いた今でも、「それは違う」と否定したくて、認めたくない気持ちでいる自分が居る事に気が付いたからである。 「逆に、問う。お前は何故『龍閃組』に居る?」 「……さぁな、と言いてェ所だが……」 答えを返した時から逸らそうとせずにずっと見据えていた視線を其の侭に、緋勇が口にしてきた問いに、逃げに似た言葉を返しかけた京梧であったが、ふと言葉尻を変えて次の句を告ぐ形に変える。 そして、少し時を溜めてからぽそりと呟く様に言葉を落とした。 「逢いたい奴が居るんだ……」 「逢いたい、奴……??」 京梧の言葉が意外であったのか、驚きを含んだ口調で問い返す緋勇に肯きだけを返し、京梧はふっと柔らかく笑みを浮かべた。 そう。其れは恐らく『龍閃組』に入る以前から。 京梧の名を呼ぶ者が居るのである。 其れが何処からかは京梧自身にも解らない事で、其れは時に街の雑踏の中から、そしてまたある時には夢の中であったりと様々で。 其の声の主が誰であるかも皆目見当が付かないのである。京梧が雑踏で声に気付いて振り返っても、誰も自分のの方を見て手招きをしている訳でなし。 夢に聴く時でも、其の顔が朧に拡がるもやの向こうでぼやいけていて、どんな奴なのか見えもしない。 只かろうじて解るのは、しなやかな体躯に陽に焼けた様子の伺えない白い肌に薄色の衣を纏っている事。 そして、印象に残る艶やかな黒髪。 そんな容姿の人物が京梧の名を……時に明るく、そして時に甘やかに、そしてまたある時には切なげに呼んで来るのだ。 奴は俺の事を知っているのだろうか。 ふとそんな風に京梧が考える様になったのは、一体何時頃の話であったか。 それは恐らくそう遠い以前の話ではなかったはずだ。そしてそう考えたのにも訳がある。 京梧は『誰か』をずっと捜している。 何時からかなんて事は、正直な所覚えていない。気が付いたら、という奴だからして、凄く曖昧な感覚なのは京梧自身重々承知している事で、薄情なと自分でも思わずにおれない事なのだが。 其れが誰なのか……どんな奴なのかすら解らないでいるというのが現状であった。 捜しているというのに、どんな奴か解らない。 それでも、その『誰か』の事を想うだけで、堪らなく切なく愛おしい気持ちが込み上げてくるのが 其れが解っているから。 きっと 其の『誰か』に逢いたくて逢いたくて。 そして其の『誰か』に逢う為に、俺は此処に……「龍閃組」に居ようと。 『龍閃組』の仲間にすら語った事の無い内なるこの想いを、何故敵である男に語る気持ちになったのかは解らないが、少なくとも緋勇ならば其れを笑ったりなどしないだろうという、何の脈絡も無い自信が京梧にはあった。 「……逢いたいとか言っておいて、薄情な話、そいつの顔も声もどんなのか覚えてねェんだけどよ」 へへッと照れを隠す様に小さく笑い、軽く頭を掻いた。 緋勇は微動だにせず、只黙って京梧の独白を聞いている。 「けど……俺にとって凄く大切な、かけがえの無い奴である事に間違いはねェんだ。正直『龍閃組』なんて幕府の狗になるのは御免だったんだが、……だけどよ、其処に居れば逢える気がして……よ」 其処まで言葉を紡いで京梧は再度照れ隠しの様に、今度はははッと大き目に笑いを零した。 だが正面に居る緋勇にふと視線を移すと、彼は俯いて……そして其の身体は微かに震えていた。 「逢いたい奴の為に『龍閃組』に居る」と。 そう告げた蓬莱寺の其の表情が至極優しく、愛おしい者に向けられる物であると解った其の瞬間に。 龍斗の胸の内に瞬時に酷く苦しい感情が込み上げ、ぎゅっと締め付けて来るのが龍斗自身解った。 無意識の内に、身体が震えているのも分かる。 目の前の男が誰の事を愛おしく想っていようと自分には何ら関わり合いの無い、言ってしまえばどうでも良い事であるはずなのに。 何故にこんなに狂おしい程に胸が痛むのだろうか。そして身体が打ち震えるのだろうか。 そんな醜態にも似た様子を相手に悟られたくなくて、何とか言葉を紡ごうと龍斗は口を開いた。 だが。 「……お前の様な男に、其処まで想われている者は……果報者だな」 途切れ途切れに紡ぐ言の葉までもが、震えてしまう。 普通を装いたいのに、装えるはずなのに。其れが叶わない自分の理解できない感情にもどかしさすら感じながら、龍斗はほつりと力無く呟きを落とす。 「…………羨ましいね、そいつが」 「……緋、勇……?」 零した言葉に反応して蓬莱寺が言葉を返した――――――刹那。 突如、禍々しい《氣》が周囲を取り巻いた。 瞬時に二人揃って得体の知れない其の《氣》に対して臨戦態勢を取る。 背を合わせ互いに別の方向を望む。 この《氣》――――ッ?! 龍斗の脳裏に其の考えが掠めた其の時、《氣》の正体が眼前に躍り出てきた。 咄嗟に両の掌を其方へと突き出し、発した自らの《氣》で吹き飛ばしをかけ――――その姿を見て、龍斗は眉根を顰めた。 ―――何だ、こいつ等はッ!? 「おいッ!之もお前ら『鬼道衆』の仕業かッ!?」 「違うッ!之は……違うッ!」 言いながら襲い来る先刻とは別の『異形の者』に技を次々に繰り出しながら、龍斗は冷静に分析しようと試みた。 蓬莱寺に叫び返した様に、この『異形の者』は『鬼道衆』の仕業ではない。 彼等の頭目――九角天戒が創り出す「鬼」とは違った《氣》の性質である事は、常に天戒の元で闘ってきた彼には容易に知れる事だ……だがしかし。 之が『鬼道衆』の創り出したものでないのであれば。 ――――――――之は一体何だと言うのだ!? 其処まで考え、ふと視線を上げた時だった。 「蓬莱寺ッ!!危な――――ッ!!!!」 少し離れた位置で敵と対峙していた蓬莱寺に向けて、彼を背後から奇襲を掛けようとしている敵の存在を知らせる為の怒鳴り声を響かせ。 ――――――――――――次の瞬間、目の前に飛散する鮮やかな赤に目を瞠り。 膨れ上がった龍斗の膨大な《氣》の奔流が、『異形の者』全てを跡形も無く薙ぎ払った。 其れは瞬間の出来事だった。 目の前で自分達の元締めである女性を石にされ、頭に血が上って。 彼を制する声を聞かずに、其の原因たる男に刃を向け斬りかかり。 次の瞬間には身体に熱い衝撃が奔り、目の前が赤く染まり、勢い後ろに吹き飛ばされた自分を、自分の名を呼びながら駆けて来た仲間によって支えられた。 普段からの彼の者のしっかりとした落ち着いた様子からは想像出来ない位に慌てた様が、自分を支えている腕の震えから知ることが出来たが、其の事についてからかいの言葉を告げられる状況下に今当然彼は無く、只、その腕に自分の手を添える事で、其れを少しでも和らげる事が出来ないかと思いつつそうする事すら叶わなかった。 「京梧ッ!京梧、しっかりしろよ!!」 「へへ……ッ、ざまぁ……ねぇや」 何とか無理をして笑みを浮かべつつ、今ひとつ冴えない台詞を零すと同時に口の中に血の味が沸き出て来て言葉を中断せざるを得なくなる。 その様子を見て、京梧を支える長く綺麗な黒髪の青年は、気が動転したかの様な上擦った声で彼の名を呼び、軽く肩を揺すった。 「京梧ッ!?一寸待ってろ、今薬を……ッッ」 「間…に合わね…よ……それ、より……悪ィ」 「……??」 慌てながらも、各自腰に携帯している道具袋から丸薬を取り出そうと片手でごそごそやっている彼を、ぼやけ始めた視界に収めながら、何とか謝罪の言葉を紡ぐと不思議そうな顔をして彼は此方を見遣ってきた。その顔がやはり普段の彼の表情からは考えられない位に焦っているのが可笑しくて、微かに笑みが零れるのを其の侭に言葉を続ける。 「お前護るって言ったくせに……こんなざまで、よ……」 「いいッ!もういいから、喋るな京梧ッ!」 言葉を続ける内に口の中にじわじわと広がりを見せる鉄の味に少し眉根を顰め告げる言葉を遮り、青年が静止の言葉を投げ掛ける。 だが其れを受け入れず、京梧は彼の濡れる頬に震える自分の手を添えて此方へと引き寄せて。 「……………………すまねェ……龍斗」 掠れた声で謝罪を述べ――――――――――そこで意識は途絶えた。 何処か遠くで自分の名を叫ぶ、愛しい者の悲痛な声が聴こえる其れが最期の感覚だった。 目を覚ましてやりたかったけど、其れは叶わぬ願いで――――――――――。 「蓬莱寺ッ!」 敵を薙ぎ払った直後の足で、地面へとくず折れた男の下へ龍斗は足早に駆けた。 くず折れた彼に合わせて自分も地に膝を付き、目線直ぐ其処にある彼の右肩に、ぱっくりと肉を見せている痛々しい傷口がある事を確認する。其処はまだ血が滲み出る事を止めておらず、迂闊に動かすと先刻みたいにまた噴き出て来るのではと思うと、一刻も早い止血が必要だと思われた。 龍斗は自分の衣服の一部を躊躇い無く引き裂いてまず長い布を作り、其れから徐に傷口に吸い付き、念の為にと其処に滲んでいた血を一旦自分の口内に含み込み、そして地面へと吐き捨てた。 先程の『異形の者』達が何であるか分からない以上、この傷口から何が体内へと忍び込むかも知れない。 そう瞬時に考えての対応を数度繰り返し、そろそろ傷口を縛るかと自分の口許に付いた血を親指の腹で拭っていると、微かに蓬莱寺が身動ぎを見せ小さく呻き声を漏らした。 慌てて地面に突っ伏したままの彼の身体を抱き起こし、彼の顎が自分の左肩に乗る様に引っ張り上げる。 「……れ、何、泣いてんだよ……」 「な……ッ、泣いてなんか……ッッ!!」 薄らと開いた視点の定まってないであろう瞳で此方を見、優しく零された其の言葉に反論の声を上げつつも自分の頬に手を添えてみれば、ついさっきまでは感じなかった明らかに濡れた感触が其処に伝わってきて龍斗は思わす頬を赤らめた。 何だって俺は泣いてなんかいるんだッ!! 訳も解らず流れ出る雫に苛立ちを覚え乱暴に手の甲で拭っていると、其の手にそっと暖かな感触が添えられた。 拭う手を止め其の正体を確かめれば、其れはゆっくりと伸ばされてきた蓬莱寺の大きく骨ばった右の手。 優しく龍斗の手を握り締め、そして壊れ物に触れるかの様に優しく涙に濡れる頬にに唇を寄せた。 嫌悪どころか心地好さを感じさせる其の感触に、堪らない程の切なさが龍斗の胸に込み上げて来る。 「……な、にを……ッ」 「泣くな……よ、『龍斗』……」 施される接吻の合間に零した反論の声。 だが其れを遮る様に柔らかく囁かれ、龍斗の唇に蓬莱寺の唇が重ねられた。 刹那、今迄感じてきた以上の狂おしく切ない感情が龍斗の胸中に去来した。 解らない。 自分はこの男と逢いたくないと思うほど、この男を嫌っていたのでは無かったのか。 互いに名乗りを上げたあの刻から、この男の事を考える、其れだけで胸の奥に燻りを見せていた得体の知れない感情が揺さぶられ、時に締め付けられ、狂おしい程に辛くなる。 だから嫌っているのだと思った、そんな風に思うのは嫌っているからだと。 其れ故に逢いたくないと思った。 そうでなくても奴は自分の敵に位置する者だ。 そう思っていたのに。 何故止め処なく零れる雫を留める事が出来ないのだろうか。 何故抱き寄せられた其の腕を振り払う事が敵わないのだろうか。 何故重ねられた其の唇を拒む事も出来るのに、しないでいるのだろうか。 もう龍斗には何が何やら解らなくなっていた。 「切ない」という感情だけが彼の胸中を支配し、彼を苛む。 ――――――――――だが一つだけ言える事が心の内に明確になる。 「ん……『京梧』……ッ」 『俺』はこの男――蓬莱寺京梧の事を本当は――――――――――。 薄らと開けた視界にぼんやりと映り見えた其の景色に、京梧は首を捻りたい衝動に駆られつつ、呆けた頭のままでそのまま眺め遣った。 古惚けた色合のくすんだ茶色をした天井が其処にはあるだけだが、其れは確かに彼の見慣れている彼等の根城ともなっている龍泉寺の天井に相違ないのだけれど。 俺、確か外にいなかったけ…………? 心の内で呟いて。同様に首を捻ってみる。 そう。 確か自分は昨晩夕餉の後、酒を飲む為仲間と別れて。 程々に嗜んでから帰路に着いて……で、其処で確かアイツと――――緋勇龍斗と逢ったんだ。 二・三会話を交わしてる内に何やら緋勇の様子がおかしくなって、そして其処を何やら得体の知れない化物に襲撃を受けて……そして。 ……………………………………。 あれ?と、再度京梧は其処で首を捻った其処へ、明るく元気な大声が降って来た。 「あ〜〜〜ッ!藍ーッ、雄慶クーンッ、やっと京梧が目覚ましたよッ」 ひょいと障子向こうから顔だけを覗かせた短い髪の少女――『龍閃組』の仲間の一人、桜井小鈴――が、上半身だけ起こしている京梧の姿を見て、仲間に報告をする其の声で京梧の思考は一旦中断される。 声を出しながらあと二人の仲間を呼びに行く為に其の場を離れた小鈴の気配が完全に遠のくのを確認してから、再度京梧は記憶を呼び起こそうと首を捻った。 だが幾ら捻っても、化物に襲撃を受け、不意を着かれて傷を負った其れ以降の事が思い出せない。 其の次の記憶は今現在の、この場所で先刻起きた其処まで飛ぶのだ。 …………俺、一体どうやって帰ってきたんだよ。 其れを聞きたくとも、仲間はまだ来ないし、記憶が無いなんて言ったらまず間違いなく美里以外の仲間には呆れられるだろう事は簡単に想像が付く。 「そんなになるまで飲むな馬鹿京梧ッ!」 ……とか何とか言われるのがオチである。 其処まで考えて、ふと自分の傷を負った肩口を見てみると、白地に少し黄の混じった布で固く縛ってある。見覚えのある其の布が緋勇の身に着けていた物である事から、止血は彼がしてくれたのであろう。 一瞬処置の後緋勇が送り届けてくれたのかと考えた京梧だったが、 ……『鬼道衆』のアイツが此処知ってる訳ないし。 そう考えが行き着いて再度ごろりと布団の上に転がった時、ふと京梧の口内に香る香が鼻腔を通じて彼の嗅覚を刺激した。 其れは鉄の香――所謂血の味。 「…………??」 一瞬其の香の正体が知れずに脳内に疑問符を浮かべる。 そして半瞬後に其の正体に、其の原因に気が付き、口許を手で覆いながらがばりと物凄い勢いで上体を再度起こした。 そうだ……ッ俺は、そしてアイツは………………ッ!! 覆った手の指先で緩やかに自身の唇をなぞりつつ、思い出した想いを心の内でゆっくりと浸透させる様に反芻する。 今の今迄疑問に思っていた事や訳も解らずに胸中を支配していた感情すらも、其の思い出された想いに 拠って全て符合し、そして京梧は一つの結論を導き出した。 其れは解してみれば至極単純明快な事で。 「……大丈夫、何時の日か必ずまた……『逢える』から」 其の場に居ない彼の大切な想い人に伝える様に、優しく、そして明るく穏かに言葉を紡いだ。 ――――何時の日か必ずまた……『逢える』。 だから其の日を今は待とう―――――― 一寸辛いけど、な、『龍斗』――。 「遅かったじゃねェか、たんたんッ!」 村入り口の大きな木の枝の上から、仲間の一人――風祭澳継の声が降ってきた。 声のする方に視線をやると、少し不機嫌そうな顔をした少年が此方を睨んでいるのが見える。 「ただいま」と軽く言葉を返すと、明らかにむッとした顔付になって枝の上から地上へと身軽に飛び降りて龍斗の前に降り立ち、びしッと龍斗の顔に向かって右の人差し指を突きつけて言葉を発した。 「下忍はとっくに戻ってんのに、お前だけ戻って来ねェから皆何だか心配してたみたいだぜ?後で謝って回るんだなッ!」 「……そだな、悪かった澳継」 一気に自分の言いたい事を捲し立てて、何時もの様に「へんッ」と呟く風祭に思わず困った様な笑みを浮かべつつも、龍斗は彼にまず謝りの言葉をかけた。 唐突な龍斗の其の言葉や態度に一瞬大きく目を見開いて戸惑いを見せた風祭だったが、次の瞬間には明らかにどもりながら反論を投げ掛ける。 「な……なんで俺に謝るんだよッ!俺はこれっぽっちもお前の事なんざ心配してなんか……ッ!!」 「目が赤いぜ?何時もならお前寝てる時間だもんな、この時間。……待っててくれたんだろ?」 「けッ!ただ単に暑くて寝付けなかっただけだからな!勘違いするなよな!!」 「はいはい」 寝静まってる村民達にかなり迷惑な程の大きな足音を響かせながら去って行く少年の後姿を愉しそうに見送りながら、龍斗はそっと下唇を噛み締めた。 僅かに其処に残る鉄の香の残滓と、仄かな温もり。 そして心の内にはっきりと芽生え、解した一つの想い。 「…………何時か、また…きっと……」 ぽつりと零した言葉は誰に聞かれる事も無く白みゆく朝靄に溶けていった。 ――――何時かまたきっと。 いや、必ず。 『逢える』って信じてるから。もう忘れてんじゃねェぞ、な、『京梧』――? |
| あすかながるさまのサイト「Rubbish〜N side」の1000HITを踏み抜いて奪取したSSです〜 『切ないキス』をお願いしたところ、実にうっとりなSSに仕上げてくださいました〜【愛】連打!! 京梧と龍斗のお互いの切なさが重なるようなキスがもう、くらくらでvv 妄想入ったリクがこんな素敵なSSになるとは、もうお見事の一言です〜 あすかさん、本当にありがとうございました!! |