あとさき




「緋勇、そっちそっち!!いったぞー!」
呼ばれた彼は、こくりと頷いてグラウンドでバウンドするボールを追った。
「へへ、そうはいかねえぜえ、ひーちゃん!!」
龍麻の目前に、真横から来た京一が猛スピードで迫る。
「ここは、ぜってえ通さねえ!」
「・・・どうだかな」
うまくボールをトラップした龍麻はタン、と右を軸足にして、すんでのところで京一の激しいタックルから身を翻した。
「んなろ!」
ちっ、と舌打ちした京一は、俊敏な動きで低く立ち上がった。
そのまま龍麻を猛然と追いかけようと走り出す。
ほかのクラスメイトなど眼中にない、その様子に龍麻は薄く笑った。
「・・・単純」
そうでなくては、面白くない。
今は、体育の時間で男子サッカー紅白戦の真っ最中である。
最初は、「ぐっぱ」で分けた結果、龍麻・京一・醍醐の三人組は同じ赤組であった。
・・・・・が。
京一は嫌がったが、「あの三人がひとつのチームに固まったら、試合にならない」という、他の生徒および体育教師のもっともで切実な意向を受けて、とりあえず三人はじゃんけんをすることになった。
そのため、龍麻は白組。京一と醍醐は赤組である。
現在、得点は2対1。
京一・醍醐の赤組が1点リード中で、ちなみに点はすべて京一と龍麻が叩き出したものだ。
龍麻はドリブルでデイフェンダーを軽々と避け、醍醐の護るゴールへと迫った。
目の前では、GKの醍醐がいつでもボールに反応できるように、真剣な表情で彼を迎えている。
「龍麻・・・今度は止める。いつでもこいっ!」
龍麻の目がすっと細められた。
醍醐はさすがに他のクラスメイトと同じ、というわけにはいかない。
なんとか彼の隙をつくべく、龍麻は視線をゴールにめぐらせた。
そのために、ほとんど隙らしいもののなかった彼も、一瞬だけボールを持つ足の動きが鈍くなる。
そのわずかな瞬間を京一は見逃さなかった。
「貰ったぜ、ひーちゃん!!」
はっとした龍麻が、背後から猛然とタックルを仕掛けてくる京一の気配に気づいた時には遅かった。
(・・・しまっ・・・・・)
「!」
京一の足が、龍麻を思い切り掬い上げて蹴り上げる。
「・・・・え!?」
龍麻の体が目の前でぽんと宙に舞った。
ニメートルほど弾き飛ばされ、そして、グラウンドに叩きつけられる。
自分のスライデイングを龍麻がまともに受けたことに、京一は驚いた。
(・・・うっそ・・・)
・・・・・・普段の彼なら、そのまま左右へかわすか、それとも跳躍してさっくりとかわすはずだったのだ。
しかし醍醐に気をとられていたために、京一の足に思い切り蹴り飛ばされる形になってしまったのである。
「・・・・・・・ひ、ひーちゃ・・・・」
京一は、呆然とグラウンドにスライデイングをした時の姿勢のまま、座り込んでいた。
自分の渾身のタックルに、龍麻が当たったときの衝撃が足首にジインと残っている。
・・・・・つい、熱くなってしまったが、普通のものなら足が即座にこなごなに折れていても全くおかしくない、凄まじい蹴りを繰り出してしまったことに、我に返った京一はやっと気がついた。
「ひーちゃん!!」
試合中だということも、とりあえず敵味方であることもきれいさっぱり忘れて、自分が吹き飛ばした龍麻に彼は勢い込んで駆け寄っていく。
「・・・ひ、ひーちゃん・・・!?だだだ・・・大丈夫かよっつ!!」
グラウンドに転がった龍麻からは、返事はない。
俯いている彼を京一がそろりとあお向けにすると、黒髪で普段隠れている額をぶつけてしまったらしく、すりむいたそこからはうっすらと広範囲に血が滲んでいた。
・・・・・そして、その目は閉じられたままだ。
さすがに京一は青ざめた。
「・・・・お、おい。蓬莱寺、緋勇のやつ・・・だいじょうぶかあ!?」
「どうした、どうした?!」
「さっきの蓬莱寺のケリ凄かったからなあ・・・・」
「緋勇でこれだったら、絶対オレら死んでるって」
「タンカ、いんじゃねえ?」
他のクラスメイトたちも、なんだなんだと周囲に集まってくる。
その間、ぴくりとも龍麻は動かない。
いつのまにか駆け寄った醍醐が、ひょいと龍麻の上半身を抱えた。
「先生―!一時タイムにしていただけませんか。怪我人が出たようです!」
醍醐が離れていた体育教師にむかって大声で叫んだ。
その声で、教師もようやくグラウンドの異変に気づく。
「・・・おい、どうした?!・・・・・・ターイム、タイムだ!!」
体育教師の声が響く。
厳しい顔をして醍醐が言った。
「こいつが気を失うとはな・・・これは、まずいかも知れん。京一、そっち手伝え」
いくら醍醐でも、身長176センチの鍛え込んでいる男を一人で、しかも長距離抱え上げて運ぶのは辛いものがある。
「・・・おう。とっとと保健室、つれてかねえと・・・・・」
京一は、素直に龍麻の脚側にまわった。
「すいません、ちょっと緋勇君を運んできます」
「すまねー、センセ、んじゃオレら抜けるんで」
龍麻をよいしょっと二人で抱えると、彼らはそのままグラウンドを後にした。



保健室についてからというもの、京一は龍麻に張り付いて離れようとしなかった。
「あんまり、気にするな。見かけよりもこいつは頑丈だからな」
「・・・うっせえ」
やれやれ、と醍醐は僅かに口元を緩める。
京一が龍麻のこととなったらテコでも動かないことは、彼とても承知している。
眉を寄せて考え込む京一の肩をひとつ叩いてから、じゃあ俺は先に戻ると醍醐は告げた。
「先生。それでは緋勇君をお願いします」
わかったわ、と保健の教員は微笑んだ。
醍醐がドアから出て行ったのを見送ると、彼女は京一のほうへ向き直る。
その顔には、苦笑が浮かんでいた。
「あなたは戻らなくていいの?蓬莱寺君」
「・・・もうちょっと、いいスか」
いいけど、彼女は白衣の腕を組んでから、横たわる龍麻をちらりと見た。
「軽い脳震盪だと思うわ。・・・・そんなに心配しなくたって大丈夫よ」
「・・・スイマセン」
京一は、とりあえず頭をぺこりと下げた。
「あら。わざとじゃないんだから、しょうがないでしょ」
そんな彼の、いつにない殊勝な態度に彼女は微笑む。
「・・・っすけど・・・・・・」
京一は話のあいだ中も、とりあえず保健室で寝かされている龍麻の顔をじっと見つめたままだ。
龍麻はすりむいた額にガーゼをあてられ、白いバンソウコウをぺたりと貼られていた。
それが、なんとなく痛々しい。
(よりによって、顔やっちまうとはなあ・・・。)
京一は、ため息をついた。
龍麻はたぶん全く気にも留めないだろうが、京一は違う。
(こんなキレーなカオに、アトなんか残ったら・・・)
ふう、と彼はまたも何度目かのため息をつく。
さすがに頑丈な龍麻の足は、あの蹴りを受けたにも関わらず骨は全く無事だった。
もっとも、打たれたその部分には青黒くアザができていたが、まあそれはすぐに消えるだろう。
けれど、やっぱり痛かったんだろうな、と京一は何度目かのため息をついた。
(・・・・今日は、オレが全部家事やっから、許してくんねえかなあ・・・)
(って、そーゆー問題じゃねっつうの)
(早エとこ、起きてくんねえかな、ひーちゃん)
(あれでパーになっちまったり、しねエよなあ、つーか、そんなん見たくねエっつーか)
などと椅子に座ったまま、京一はつらつらとそんなことを考えていた。
そんな彼を見守っていた彼女が、不意に「あ」と口元を抑えた。
「蓬莱寺君。ちょっと悪いんだけど、お願いがあるの。いい?」
「何スか、センセー」
「私、少し用事があるの。すぐ戻るんだけど、ちょっとでてくるからココお願いね?」
「センセ・・・・まったパン今から買いにいくんスか?ったく狡りいよなあ」
職権乱用反対、と京一が言うと、彼女は笑った。
「そうよ。だって授業中じゃないと、センセなんか育ち盛りにハジキ出されちゃうじゃない。ちょっとだけだから」
「ヘーヘー。んじゃ、オレここいますから。センセ、早く行ったほうがいーッスよ」
「悪いわね」
ふふ、と彼女は微笑みながら保健室を後にする。
とりのこされた京一は、んー、とノビをして、傍らの龍麻の枕もとまで椅子を寄せた。
「・・・・・オレも、寝ちまおっかな・・・・」
そういいながら、龍麻の枕際に肘をついて頭を抱える。
その途端。
「・・・・行ったか」
京一の耳元で、低く澄んだ声がした。
「・・へ?」
思わずがばっと飛び上がる。
すると。
ぱちりと目を開けた龍麻が、目の前でゆっくりと額を抑えながら顔を顰めていた。
「ひーちゃん!起きたかっ!!」
満面の笑顔で飛びつこうとした京一に、龍麻はすばやく裏拳で応じた。
「・・・・ったく。お返しだ、受け取れバカ」
「!・・・い・・いってえ・・・っ!」
見事、鼻にクリーンヒットする。
京一はそのまま顔を抑えてしゃがみこんだ。
「・・・・お・・おきてたんかよ、ひーちゃん・・・」
「今な」
そのまま、ぱさりと布団を跳ね除けて龍麻が起き上がった。
まったく普段どおりのいつもの彼である。
腕を組み、難しい顔でひとりごとのように龍麻は呟いた。
「しかし、あれしきで気を失うとはな。不覚としか言えないな。しかもお前相手に」
「そりゃどーゆー意味だよ、テメエ・・・」
じろり、と龍麻は京一を睨みつけた。
その視線を真正面から弾きかえす京一に向かい、龍麻はぼそりと言った。
「・・・・・・・・痛かった」
うぐ、と京一が言葉に詰まる。
「思い切り蹴り飛ばしやがって・・・俺だったからいいようなものの、他の奴らならあれで死んでるかも知れないぞ。いや、きっと死んでる・・・・・こんのバカ猿」
うううう、と京一はあとずさった。
もっとも、そうは言うものの。
龍麻は、あの蹴りを京一が一般人にむけて繰り出すことはないだろうと、思ってはいるが。
「えっと、そ、そのう・・・悪い!悪かった!!ゴメン!!マジでゴメン、ゴメンっつ!!」
がばああっと思い切りベッドに手をついて詫びを繰り返す京一の姿に、龍麻は再びじろりとそれを睨みつける。
が、次の瞬間、それは苦笑に変った。
「もういい。お前にコントロールとか、手加減とか、そんなものは端から求めちゃいないからな。俺も注意不足だった。あんなものをよけられないようじゃ、俺自身、本当にまだまだってことだ」
そう言ってベッドから下りた龍麻は、そのまま保健室を出て行こうとする。
あわてて京一は後を追った。
「おいおい、どこいくんだよ、ひーちゃん」
にっと笑った彼は、教室、とだけ告げる。
「さっさと着替えてしまおう。他の奴らが来る前に。どうせ体育が終わったら、あとは昼飯で・・・5.6時限の美術はこないだの課題の続きだけだしな。もうメシ食って帰ろうかなって思うんだが」
「・・・・マジで?」
へ、と京一は目をまるくした。
「お前はどうする?」
「おいおい、めずらしいじゃねえの、優等生の緋勇さん?いったいどーいった風の吹き回しだよ」
「・・・なんとなく、だ」
ニヤリと二人は笑いあった。
とりあえずメモを保健教師あてに残し、二人はそこを出た。
小声で話しながら廊下を歩いていると、古典の教師にさっそく掴まる。
「こら、お前ら、授業中なにやってる」
げ、と内心で焦る京一を尻目にしながら、全く動じもせずにこやかに龍麻は告げた。
「あ、今体育の時間中なんですが、頭を打って転んでしまって。いままで保健室で休んでいたのですけれど、打った箇所が頭ですし・・・気分も悪いので、今から病院へでも行こうかと思ってます」
確かに、三分の二は、本当のことである。
額の真新しいバンソウコウが、さらに信憑性をアップしていた。
いけしゃしゃあと答える龍麻に頷いた教師は、今度は京一へと視線を向ける。
にっこりきっぱり龍麻は言い切った。
「蓬莱寺君は、付き添いです」
品行方正、成績優秀、眉目秀麗。
まさに絵にかいたような優等生の緋勇龍麻にそういわれて、なおも突っ込める教師はそういない。
そうか、と彼は頷いて、あろうことかタクシーの手配までしてやろうかと申し出てくれたのだが、もちろんそれは丁重にお断りをした。
かつかつと足音が遠ざかる。
京一は、ヒュウと口笛を鳴らした。
「お前って・・・」
「普段の行い、だな」
普段マジメにしていれば、こういうときに役立つのさ、と龍麻は笑った。
それからそそくさと体操服から学生服に着替えて、教室の外に出る。
龍麻はどうやら本気で帰宅するつもりらしい。
京一に至っては、かってはサボリの帝王と呼ばれていた男である。
二人でさっさと帰ることに対して、異議は全くなかった。

学園の中は、授業中でほとんどが静まり返っている。
「気分、いいな」
おまえがさぼりたがる気も、まあわからないでもないな、と龍麻は嬉しそうだ。
そういやひーちゃん、さぼったことなんてあんまねえもんな、と京一は笑った。
あたりまえだがまだ他の生徒達は授業中で、ひょいとみると教室はどこも生徒達ですずなりである。
奇妙な開放感が、心地よかった。
「でよ。どーすんだ、ひーちゃん」
京一は龍麻をつついた。
「どうするって、何が。昼メシなら学校出てからでいいだろう?」
「・・・・おでこ」
ぼそっと京一は言った。
「自分で治せるんだから、さっさと治しちまえよ、それ」
うーん、と龍麻はいった。
「・・・・・・・めんどい」
「ひーちゃん!!」
がば、と京一は龍麻に詰め寄るが、詰め寄られた方は至ってのんびりしたものだ。
「こんなの舐めとけば治るって」
「・・・どーやってそこ、舐めるっつーんだよ」
なんならオレが舐めてやろうか、という京一に向けて軽い掌底が飛んだ。
「まあ、いずれにしてもほっとけば治るさ。それにしても、今日はやけに絡むのな」
「・・・そうでもねえよ。なんか、気になんだよな、それ貼ってると」
これな、と龍麻は額のガーゼに手をやった。
「こんなのしょっちゅうだろうが。もっとひどい怪我くらいいくらでもしてるだろうに、俺もおまえも」
そう笑って言い切られると、まさにその通りとしか言いようがないのは事実である。
京一は、少し黙り込んだ。
自然治癒だと、龍麻のカオに疵がのこるかもしれないからヤダ、などと京一からはいえない。
そんな言葉をうっかり吐こうものなら、「女扱いするのか貴様」と袋叩きにされるのがオチである。
んー、と歩きながら頬を抑えてしばらく考え込んでいた京一は、そうだ、と龍麻に向き直った。
「なあ。オレさ、剣道部に薬置いてんだわ。アレ塗ってやるよ.」
アレ、とはもちろんまともな薬ではない。如月骨董品店御用達の素晴らしい効き目のアレな品である。
「部室にか?」
「そ。ちょっと待っててくれよ、とってきてやっからさ」
「・・・いやまあ、それくらい一緒に行くが」
別にかまわんがなあ、こんなの。
そう言って困惑気味の怪我人の手をとると、うおっしゃ、と叫んで京一は部室への道を走り始めた。
「やっぱさ、オレがやっちまったんだから、責任とんねえとな!」
京一に引っ張られながら、龍麻も勢いよく校内を走りぬける。
ふと。
前を行くそんな彼の姿に、暖かなものが沸いてくるのを感じて龍麻は微笑を洩らした。


剣道場は、体育館のすぐ横にある。
体育館の中では、学年の違う男子生徒達がバスケットをやっていた。
だが、まだ授業中のため、運動部室の並ぶこのあたりに人影はない。
かちゃり、と京一は「男子剣道部」とかかれた部室のドアを開けた。
それを見ながら龍麻はしきりに首をひねっている。
「・・・どしたん、ひーちゃん」
「いやあ、おまえ、まだ部室の鍵を取り上げられてなかったんだな、と思って」
「それ、どーゆー意味だよコラ」
「・・・一番練習に出ない部員が主将なんだからなあ、と思ってな」
いや不思議だ、と龍麻はわざとらしく首をぐるりと回した。
「悪イかよ」
「悪いな」
「・・・・・」
それ以上は何も言わず、京一は中へと入る。
きちんと整頓された広めの部室には、なぜか古びた畳がニ枚敷かれてあった。
おおかた柔道場のお下がりでも貰ってきたのだろうと龍麻が尋ねると、そうだと京一が答える。
電気ポットにはお湯が入っており、整頓されたタオルや手ぬぐいが端に積まれていた。ゴム製の竹刀の鍔や、鉄アレイや週刊誌などがちらかっているのはご愛嬌だろう。
聞けば防具類や竹刀は剣道場においてあって、ここでは着替えをするだけらしい。
もっとも、殆どの生徒はそれも剣道場のほうで行っており、どちらかといえばここは、息抜きや、なんとなく集まったりするのに使うといったふうで、あまりひんぱんに使われているとはいえない。
そう京一はひとくさり説明した。
ふうん、と龍麻は部室に興味があるようで、きょろきょろとあたりを見回している。
隣接している剣道場と違い、ここにくるのは彼にとっては初めてのことだった。
「ま、タタミにでも座っといてくれよな」
そういうと、京一は一番奥にある「蓬莱寺」とかかれたロッカーを開けて中を漁り出した。
ロッカーの中のぐちゃりと物が詰まった様子に、龍麻が一言ため息をつく。
「・・・・掃除しろよ」
京一には聞こえていないようであるが。
とりあえず、龍麻はおとなしく京一を待っていた。
しばらくして、あったぜえ、と歓声が上がる。
「あったあった。ひーちゃん、こっちこっち〜」
本当にかまわんのだがなあ、と龍麻は思ったが、ここまでやってきた以上そういうわけにもいかないだろう。
あきらめて京一の方に向き直った。
ここ、と指さされた畳に改めて腰をかけると、コンクリートに膝立ちになった京一が彼の額のガーゼを取った。
「じっとしてくれな・・・・」
そういって、ちょいちょいとスリキズへと薬をすりこむ。
「・・・」
「・・・」
その京一の指先に、龍麻はくすぐったさを憶えた。
なんとか頭をそらそうと身をよじる。
「も・・・・・いい」
「だめだって。きっちり塗っとかねえと」
龍麻の額に、暖かな京一の吐息がかかる。
なんとなく目線を下にをむけたまま、龍麻は再びぼそりといった。
「・・・・・もう、いいから」
「よくねえの。オレがやっちまったんだから・・・ちゃんと治しとかねえとな」
やはりそういわれると、おとなしくせざるを得ない。
「お、そだ。ひーちゃん、足見せてみ」
「足?・・・ああ」
わかった、と龍麻はおとなしく制服のズボンを捲り上げた。
「ふうん。やっぱし・・・けっこう、腫れてんな」
青黒く色の変ってしまった打撲の痕に、京一は見るからにしゅんとした。
まったく、こいつは、と龍麻は苦笑を洩らす。
「すぐに治ると言ってるだろう。いちいち気にしててどうするんだ、こんなの」
しかし、そう言う龍麻のその口調はとても穏やかなもので。
ぽんぽん、と京一の頭を軽くはたいた彼は、さっさと終わらせろと促した。
「・・・・・ん。こんなもんだと思うんだけどよ。・・・・・・・・・あ」
「どうした?」
「ここ。ここの上も、痕んなってる」
「あ・・・本当だな。気づかなかった」
ここ、と京一が指したのは、膝の上くらいまで捲り上げたズボンから、なおも腿の半ばまで、掌大の大きさのアザが広範囲に広がっている箇所である。
体操服でも隠れるか隠れないかの微妙な位置のため、龍麻本人も全く気づいていなかったのだ。
「もーちっと、ズボン上がんねえか?」
「・・・ぎりぎりまで上げてる。これでも」
龍麻は腿の半ばまでぎゅうと裾を抑えていたが、もうこれ以上は上にならない。
「そか・・・どーすっかな」
うーんと京一は考え込んだ。
「もういいだろう。ここまでやれば」
「やだ。とりあえず、見つけたとこは、全部やっときてーかんな。・・・・な、ひーちゃん、ちょっとズボン脱いでみそ?」
「・・・・・いや、べつにそこまでしなくても・・・・」
「なんだよ、早くやれよ。とっとと終わらせて、帰ってメシ食おうぜ」
そういわれては、なんとなく龍麻も断り辛い。
「・・・・こうか」
彼は、かちゃ、とベルトをはずして膝のあたりまで脱いだような格好になり、古びた畳の上へと座った。
「おお。さんきゅさんきゅ。・・・・・・うん、塗りやすいな、やっぱし」
そういいながら、普段と全く変らずに、京一は龍麻の白い腿に軟膏を塗りつづける。
――――――その一方で。
剣を握るために、いくぶんかささくれのある堅い指の感触を腿に感じて、龍麻はぎゅっと唇をかみ締めた。
(・・・なんだかなあ・・・)
くすぐったいのと、ほんの少しの羞恥心と。
・・・・・・・そして。
どうも、こんなところを撫でまわされていると、妙な気分になる。
自分の頬に赤味がさしてくるのが、はっきりと判った。
普段はそんな気など全くないのだが、いったん意識してしまうと、なんとなくまともに京一の顔を見ることができない。
(・・・・気のせいだ。気のせい・・・・)
足を必死に覗き込んでいるために、京一には自分の顔が見えない。
その状況に、彼は内心でほっと胸をなでおろしていた。
・・・しかし。
普段はなんだかんだと言ってくるくせに、時折こいつの「アレ」はやっぱり冗談の一種でしかないのだろうかと、最近真剣に龍麻は思う。
いいや、今の状況からして絶対そうだ。そうとしか思えない。
――――――――「アレ」とは、つまり。
「ひーちゃん、なあなあ、ちゅーしていいかっ!?」
「・・・いやだ」(直後八雲)
「うへへ・・いやその、えっと・・・うなじ触らしてみそ?」
「・・・断る」(直後龍星脚)
「ひーちゃん、へへっ好きだぜ!」
「・・・そうか」(といって腰に抱きつこうとしたところを鳳凰)
・ ・・・・等々。
まだまだ、数えきれないくらいに、ある。
散々なついてはくるし、べたべたと甘えてはくる。
―――――くるのだが。
あんまり、というか全然きれいさっぱり「いやらしくない」のである。
つまり、本気でそういうことを望んでいるとは思えない、ということだ。
ふう、と龍麻は心のなかでため息をついた。
京一は、かまってほしいが為に自分にそういうことを仕掛けてくるのだろうと、龍麻は最近ではそう結論付けている。
それなのに。
自分がそういうことを考えてしまうとはどういう了見だ緋勇!!と思わず自らに突っ込んでしまっても、それはそれで仕方のないことだろう。
また一方。
(・・・けっこー、範囲あるよな。やっぱ痛いんだろなあ・・・・・あーあ)
京一は、真剣にせっせと薬を塗っていた。
怪我をさせてしまった、という罪悪感も手伝ってか、珍しいことに邪念は全く抜きである。
そうだったのだが。
(へへ。・・・もーちょっとで終り・・っと)
ふと、なんの気なしにひょいと上を見上げてみると、そこで。
龍麻が頬をすこし赤らめながら、ぎゅっと瞳を瞑っていた。
もちろん、京一に、龍麻が考えていることなどわかるはずもない。
(ひーちゃん痛いんかなー?)
と、そう見て取った京一は、その指先に込める力を少し落とした。
自然、すうっと撫でさするような感じになる。
とたんに、びくりと龍麻の腿が僅かに震えた。
「・・・・ん・・・・」
かすかに洩れた吐息がなんとなく切なげに聞こえて、京一は思わず指先を止めた。
(・・・・ん?)
なにかが、京一の琴線にひっかかった。
(・・・・・オレ、なんか、忘れてる?)
(・・・・・ええと、なんだっけ・・・・・・)
自分の、龍麻の。
今置かれている状況を、普段あまり使おうとしない頭で考えてみる。
(んーっと・・・?)
目の前の彼は、ベルトをはずしてズボンを足首に引っ掛けた、いわば脱いだような状態で。
自分はその内腿を、手当てとはいえ、じかに撫でさすっている。
再び見上げた龍麻の頬には、さっき見た時よりも、さらにいくぶんか赤みが増していた。正直言ってえらく色っぽい。
(・・・・え・・・)
(・・・・・・・これって・・・・・)
京一は、ようやく状況を把握した。
(うわああああああ!)
数秒もたたない間に、彼の頭は沸騰状態になった。
その手の動きが、ぴたりと止まる。
「・・・・・」
「・・・・・」
それに気づいた龍麻が口を開きかけたが、なにも言わない。
彼もいつになく珍しく、耳まで赤くしながらそのまま座り込んでいる。
しん、とした静寂が、二人の上に落ちた。
それを破ったのは,ちいさな龍麻のくしゃみだった。
くしゅん、と鼻を鳴らした彼に、弾かれたように「どわああああ!」と京一が手を離す。
「さ、さむいのか?!ひーちゃん、さみーのかっ!!」
「ま・・・・・・まあ、もう10月だし・・・・それはまあ・・・・・・・」
勢い込んだ京一の声に、ようやく龍麻も口をひらいた。
「そ、そか・・・」
「・・まあ・・・」
奇妙な空気が、流れていた。
「・・・・あ・・京一、その、っと・・・・ありがとう」
口篭もりながらも龍麻が礼を言って、立ち上がりざま脱いでいたズボンを上げようとした時。
「ひーちゃん・・・・」
ズボンを掴んでいた手を握られ、反射的に振り払おうとした龍麻は、京一の視線に気づいた。
「・・・それ」
「・・・え?」
それ、と言われて、彼はそのまま京一の視線の先を見る。
そしてそのまま、固まった。
そこには、己の熱くなった部分があった。
「・・・・あ」
瞬時に、全身の血が頭に上ったようで、龍麻はめまいを覚えた。
常の冷静さはもう、どこかに消し飛んで跡形も残ってはいない。
「ひーちゃん」
京一の、ひどく冷静な声が、突き刺さるようだった。
恥ずかしさのあまり、消えてしまいたい状況というのはこういうものか、と龍麻は思った。
ちがう、ちがうこれは、と何かを言おうとして懸命に頭をめぐらせるものの、何一つ言葉が出てはこない。
言い訳できない状況で下を向いてうなだれると、何故だか視界がぼやけた。
あまりのことに、彼は愕然とした。
ただ、真剣に手当てしていてくれただけの行為で、自身が高ぶりを見せるなどとは。
なんて気持ちの悪いやつだと、思われたことだろう。
(――――――嫌われる。)
もう、嫌われたかもしれない。
京一にほんのすこし触れられただけで、こんなことになろうとは。
龍麻はこんなことを露ほども考えたことはなかったが、だが証拠はあきらかにこうしてあるのだ。
早く早く、ここから出なければ。
「ひーちゃん」
すまん、と短く叫ぶように言って立ち上がろうとした龍麻の背を、京一がどんと押した。
彼は自然しりもちを着くような形になる。
そして、そのままずい、と顔を近づけられて、瞳を覗き込まれた。
視線をそらしたいのに、体が動かない。
京一は、ゆっくりと、優しげとも思われるような口調で龍麻に尋ねた。
「・・・・・気持ちよかった?」
その問いに、ぶんぶんぶん、と思い切り頭を振って拒絶を示す。
何なのだろう、己は。
あさましすぎて、自分で自分がわからない。
「・・・あのさあ・・・その、な」
それだけを搾り出すように言って京一が龍麻の肩を抱いた。
「ひーちゃん・・・オレも・・もうダメだわ。限界」
なにがダメなのか。
それを問おうとした瞬間。
ぐい、と自らの手が京一の昂ぶりに導かれ、ついで荒々しく貪られるように口付けられたことを龍麻は知った。


何故なんだろう、とか。
どうすればいいのか、なんて二人ともよくわからなかった。
わからないままに、どちらからともなく抱き合う。


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