「……今、何て言った?」
「だから、室井さんにもからあげ食べさせてあげたかったなぁって。俺が、作ってたんすよ。隠し味にはちみつ入れてね。すみれさんは販売専門だから」
室井の様子に少しも気付かず、青島が楽しげに語る。
「……恩田君と二週間も一緒だったのか」
「そりゃだって、張り込みで夫婦やってんだし」
「………………」
黙り込む室井に、ようやく青島も自分が何を言っていたのか気が付いた。
いつもなら室井の眉間に皺が寄り始めたところで止めるのだが、今日は背を向けていたから、それが見えなかったのだ。
青島が女の話をすると、室井は途端に機嫌が悪くなる。
仕事で接する分には何も思わないようだが、必要以上に接したり、興味を持ったりし始めると、すぐに眉間に皺が寄ってしまうのだ。
特に、青島ともっとも付き合いが長く、親しい同僚の恩田すみれの事となると顕著だった。
付き合いの長さ自体は室井と変わらないのだが、本庁の官僚と、同じ署の刑事科の仲間とでは顔を合わせる頻度が違う。十五年間ほぼ毎日傍に居て、一番親密 な関係にある異性となれば、やきもきするのも無理はない。
だが、すみれとの間に恋愛感情が無い事は、室井とてよく知っている筈だ。
仕事帰りによく、食事に行ったりはしていたが、そういった関係になった事は一度も無かった。それどころかすみれには、当初から、室井に惚れた事を見抜か れて、からかわれていたぐらいなのだ。
当然、今の室井との関係も知っている。
だから、室井が気を揉むような事など全く無いのだが、どうもそれでは治まらないらしい。
すみれの話をすると、室井の表情が途端に変わってしまう。その事に気付いてからは、なるべくすみれの話題は控えるようにしていた。
それがいきなり夫婦として一間で一緒に暮らし、しかも息がぴったりで、仲の良さが評判を呼ぶほどだった、となれば室井の心中が穏やかでいられなくなるの も、無理はない。
実際には夫婦を演じると言っても、店に立っている間だけの事で、それも犯人の動向に常に目を光らせながらだ。夜は夜で交替で見張りをしていたから、一緒 に休んだりなどしていない。それに部下の和久も、バイトとして入り込んでいたから、けして二人きりではなかったのだ。
けれどそこまでは室井にわからない事であるし、それに夫婦という言葉には、インパクトがありすぎた。これが自分たちの間では、非常にデリケートな問題と なっているからだ。
室井が以前、広島県警に異動になった時、本庁に帰ってきたら一緒に暮らしたいと告げられ、青島はそれを承諾した。
結婚という言葉こそ使わなかったものの、それはそう約束したも同じだった。室井にとっても、青島にとっても一線を越える行動だったからだ。
だから一緒に暮らす事で、二人は結婚したつもりでいる。
しかし現実的にはそんな事が公に認められる筈も無く、二人の同居はごく一部の人間以外は知らない。
青島は別に部屋を借りていて、書類上はそこで暮らしている事になっているのだ。
関係を公に出来たらどんなにいいかと思うが、二人の職業と、それにまつわる夢の実現を考えれば、対外的には、そう体裁を取り繕うしかなかった。
なので世間の認識では、二人は共に独身で、室井の家に頻繁に泊まるほど仲の良い、立場を超えた友人同士なのである。
法的にも独り身なので、周囲からは婚活の対象として見られてしまう。仕事が出来て、性格も良くて、見た目も悪くないとくれば、そういう目で見られない方 がおかしい。殊に室井は独身官僚なので、縁談の話もたびたび舞い込んでくる。
政治的な意味でも狙われて当然だから、これはもう青島も仕方がないと諦めていた。
室井は何も言わないが、断り切れずに見合いをしたり、図られて、強引に引き合わされてしまった事もあっただろう。つい先日も、そういうハプニングがあっ たばかりだ。
それでも室井の気持ちが自分にあると、青島は信じて疑わない。そうでなければこれまでの間に、有力者の娘とでも結婚していただろう。室井の立場なら、そ うなるのが普通なのだ。
だからここで一緒に暮らしている事そのものが、室井の青島への気持ちを物語っているのだと思っている。
だが、室井の方はそうではない。
青島の気持ちが室井にある事は疑っていないが、それが永遠に続くとは考えていないようなのだ。
女受けが良くて、本人もそれが満更でないから、いつかそちらの方を選ぶ可能性もあると思っている。
確かに男女間であっても、周囲に祝福されて、法的に結ばれ、可愛い子供にも恵まれながら、離婚してしまう夫婦などざらにいるから、世間に認められない男 同士の結び付きなどもっと危ういものだろう。
けれど、室井への想いはそんなにたやすく揺らぐものではない。
元々は異性愛者だから、室井に惚れていても、可愛い女の子を見れば心が浮き立つし、性本能を揺さぶられてしまう事は否定できないが、浮気をする気など毛 頭なかった。
これまで出会った誰よりも、心惹かれた相手なのだ。室井が広島に異動になった時も、離れる事は了承出来ても、別れる事は考えられなかった。
もし、室井と別れて女を選ぶ事が出来るのなら、その時にそうなっていただろう。
だが離れていた間、実際に青島が取った行動は、広島に会いに行く事であり、室井が帰ってきた時に一緒に住む家を探す事だった。
それだけで、青島の想いは理解出来そうなものだが、不安や別離の恐れを抱くのは、きっと理屈ではないのだろう。
おそらく室井自身の内に、懸念を抱かせる理由があるのだ。
そしてそれをもっとも掻き立てられるのが、すみれの存在だった。
室井からすれば、青島が選ぶのが一番自然な相手に思えるらしい。
確かに、もしも室井と出会っていなければ、すみれと結ばれる可能性はゼロではなかった。それは否定しない。
しかし、たとえ室井との関係が無かったとしても、そうなる事はなかったのではないかと思える。
あまりにも近くにいすぎて、逆に恋愛感情が湧いて来なくなっているのだ。
この世でもっとも大事な女性で、彼女の幸せを心から願っている。
でもその相手が自分でありたい、他の男に彼女を守らせたくない、という独占欲を抱けない。
おそらくすみれに対する愛情が、家族に対するようなものになってしまっているからだろう。
逆に言えばそういう間柄であるからこそ、夫婦役を演じても自然に息が合うのだ。
室井はそこを取り違えている。
けれど、それを指摘する事は出来ずにいた。
何故なら、室井は心をざわめかせていても、その思いをけして口にしないからだ。
ただ表情や態度によって、こちらがそうと気付くだけなのである。
室井が何も言おうとしないのは、おそらく縛り付けたくないからだろう。
青島を何にも囚われず、いつも自由にさせてやりたいと思っているのだ。
だから、もし青島が女を選びたいと言えば、どんなに気に食わないとしても、室井はそれを黙って受け入れるのだろう。
だが、本当はけしてそうなって欲しくはない。
その相反する思いが、眉間の深い皺となってあらわれてしまう。
青島としてもそんな未来はあり得ないと確信しているし、室井にも余計な不安を抱かせたくないとも思っている。
なのでこれに対しては、青島は自重を心がけていた。
にも関わらず、室井が思い切り顔をしかめるような事を迂闊に口に出してしまった。
青島も夫婦を演じる事になった時、一瞬それを心配したのだが、黙っていればわからないだろうと思い、割り切って仕事に専念したのだ。
あくまでも仕事であって、浮気をする訳ではないのだから。
けれど、室井の方はまるでそういう事実があったかのように、むっつりと黙りこんでいる。
先程までの穏やかな雰囲気は、完全にどこかに消えてしまっていた。
そこに、室井の感情を押し殺した言葉が掛けられる。
「……そういえば、被疑者を確保した時、恩田君と抱き合っていたそうだな」
それも聞いていたのかと、青島は背を向けたまま焦った。
被疑者に拳銃を向けられ、あわやというところに、すみれがバスを暴走させて飛び込んできてくれて、助かったのだ。
すみれ自身もバスで倉庫を突破したあげく、車体を横転させて運転席から這い出てくるという、危機一髪の状況だった。
しかも、すみれも過去の負傷が元で辞職を決意し、親元に帰ろうとしていたところを、青島の危機を知って、引き返して助けに来てくれたのだ。
その驚きと感動、安堵の思いが綯い交ぜになって、衝動のまますみれを抱きしめ、刑事を辞めないでくれ、とかき口説いていた。
現場にパトカーが駆けつけるまで、そうしていたから、この事も報告されていたのだろう。
おそらく、ロマンスの脚色付きで。
続 き
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