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靴下よりもコンタクト
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懐かしい光景を見かけた。
道端にコンタクトレンズを落として慌てて探している若者とその仲間たち4、5人…。駅の改札付近でかがみ込んでの協同作業である。
「思えば俺も昔、あの輪の中にいたっけ」などとシミジミした。嘘である。コンタクトを探したことはあるが、シミジミとはしていない。生まれてこのかた、視力の衰えを感じずに暮らしている私は、視力が悪い人の気持ちをまったくといっていいほど理解できないのだ。かつて、あの輪の中に混ざらなければいけない状況に陥った場合、一応義理で探しはするけど、心の中では「たくもー(落としてんじゃねーよ)」と思っていた。
戦後、女性と靴下は強くなったと言われたものだが、昨今はコンタクトの性能が著しく向上しているように思う。よく知らないけど。外れにくくなったのか、それとも使い捨てコンタクトの市場が拡大している影響なのか、こうした紛失&捜索現場をトント見かけなくなったんだもの。しかし、改めて間近にすると、この場面って、ちょっと美しいってことにハタと気づいた。昔の自分の取り組み姿勢は度外視して、正直そう思う。お隣さん同士で醤油や味噌の貸し借りをしなくなった日本人が、その代替として始めたコミュニケーションであったような気がしなくもない。
「もっとマジメにやってればよかったかも…」今更だが、そんなことを思ったりもする。
時を経て、そんな殊勝な気持ちになったりするのは、幾度かの協同作業を経験したからこそか?
ここ最近、日本人がかつて所有していたよさが失われているとよく言われる。トンマな誰かが仕出かした過ちを周囲がフォローしてあげる、そんなスタイルが許される時代ではなくなっているってことなのだろう。トンマであろうが責任が課せられる。加速度的に便利になっている反面、窮屈・不自由な昨今だ。だからこそ、癒しなんぞが戦略的にもてはやされブームになったのかも。でも、精神的に疲れているヒト多数な社会って元気な人まで疲れさすし、やっかいこの上なし。そんな世知辛いこのご時世に、四六時中唸っている自称:できる人が職場にいる。さぞやストレスを貯め込んでいるのだろう。そんなん見ちゃうと「病んでるなぁ」とつくづく思う。まるで泥船に乗っているような今の流れ…いつまでも乗っかってる場合じゃないんだよなぁ、いやマジで。
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