2001.10.17のNHK、そのとき歴史は動いた
は、おもしろかった。
アインシュタインが、日本が好きだったこと。
日本の子供から、アインシュタインに贈り物が送られた事
そして、アインシュタインから、日本の子供達に、メッセージが送られていたこと、
感動いたしました。
あの、(特殊)相対性理論が、原子爆弾の元となる理論を含んでいたこと、
アインシュタインが、ユダヤ人で、ナチスから迫害を受けたこと
平和主義者アインシュタインが、あまりのナチスの横暴に、
ウランによる武器の開発を大統領に勧める書類にサインしたこと
そして、そのことが原因で、原子爆弾の開発が始まったこと
その開発はアインシュタインの手を離れ。
そして、その後悔と、反省のもと
アインシュタインは科学者を中心とした、核廃絶運動を始めたこと。
すべての、人類の常識となってほしいことである。
アインシュタインが、遺言で、自分の死後、亡骸(なきがら)を
灰にして、川に流してほしいと言い残し、そして、それは実行された。
そこで、私、落ち無しはふっと、思いつきました。
もしかしたら、アインシュタインは、宗教が、平和の障害となっていることがあるから、
宗教儀式にのっとらず、灰とし川に流してほしいと言ったのではないのかと
乗った。
その話、乗った。
ここに、落ち無しの無宗教運動を始めます。
この運動に「落ち無しのしん無宗教運動」という名を、つけて。
「しん」の意味は、二つ。「新」と「真」
新とは、今までの無宗教と違い、積極性を持たせます。
今までの無宗教は、宗教反対か、宗教信じないのどちらか。
落ち無しのしん無宗教運動は、どの宗教も研究し体験し、どの無宗教も研究し体験し
あくまで、落ち無し、落ちこぼれの無い幸福を目指すと、言う意味で新しい。
この無宗教は、Aの宗教信者も、Bの宗教信者も、Cの無神論無宗教者も、Dの有神論無宗教者も
すべてを受け入れます。あくまで、目的は「落ち無し」「落ちこぼれの無い幸福」
そんなこと可能なのか。
可能です。
わからないことは「わからない」と、宣言する人間にとっては。
わからないことを、どちらかに決め付けるからおかしくなる。
あの世があるとか、あの世がないとか、わからないことはわからないのです。
だから、Aの宗教信者は、Aの宗教を好きな人であり、しらないことはしらないと、宣言するなら
Bの宗教信者と共に、落ち無し・落ちこぼれの無い幸福を目指すことができます。
Cの無宗教者とも、Dの無宗教者とも落ち無しを目指すことができます。
わからないことは、わからないままに置き、やがて、わかりたいと思うことが大切ではないのか。
それこそが、科学的態度ではないのか。
わからなくても、なにかあると、研究したからこそ、アインシュタインの理論は受け入れられ、
わからなくても、なにかあると、研究したからこそ、原子爆弾ができたのではないのか。
わからなくても、なにかあると、パソコンがわからなくても前向きに挑戦するからこそ、
ホームページが作れるようになるのではないのか。
でも、あの世があるか、ないかなんて、死んで戻って来れるわけ無いから
研究のしようがないだって?
だから、落ち無しは、両方思考を勧める。
明日、旅行に行くとする
雨か、天気かわからない。
雨なら、トランプやゲームをしよう。
天気なら、海で泳ぐ予定である。
さぁ、あなたは、どちらの準備をするのか。
私なら、いいや、誰だって、両方の準備をする。
それが、両方思考。
あの世があるか、ないか、わからない。
だから、両方の準備をしようよ。
どちらの、話も、研究しようよ。
どちらにも対応できるように、
落ち無しのしん無宗教運動では、両方思考が欠かせない。
宗教は、人を幸福にし、人を不幸にしてきた。
たとえば、あの、ローマ教会は歴史の中で
権力の道具にされ、
そして、人々の心の支えにもされてきた。
落ち無しは考える。
権力の道具にした部分、そこは、反対である。
人々の心の支えとなった部分、そこは、賛成である。
ユダヤ人のアインシュタインが平和運動を推し進めた。
平和運動には賛成である。
しかし、核兵器と、イスラエルのパレスチナへの横暴、暴力は、
反対である。
テロは反対である。
しかし、アメリカを始めとする西側諸国(日本も含む)や、ソ連を軸とする東側諸国などが
パレスチナなどの、イスラム諸国に対して行なってきた横暴も、反省しなければならないだろう。
灰にして、川や海に流すのはいいなぁ。
今、日本で、仏教などの宗教家は、お葬式などで、膨大なお布施を求める。
墓石や墓地の維持などで、膨大な金額を求める。
しかし、公共団体による焼却と自然に戻す工夫さえ研究されれば
膨大な金額が必要となる宗教儀式は、不要となる。
宗教家は、本当に、働いているのか。
一つは、心の問題解決こそ、宗教家の大切な仕事だろう。
そして、もし、あの世があり、霊があり、霊にまつわる問題があるなら、
本当に、そんな問題を解決する能力を、向上させているのか。
いろんな、なんくせをつけて、ぼったくりのネタにしているのではないのか。
(つまり、宗教上の儀式や話を、いろんな、いいがかりをつけて、
詐欺まがいの膨大な金額を奪い取る方法に使っているのではないのか)
だから、なきがらを灰にして、川に流すのがいいと思う。
宗教が、人を助けるなら、おおいに、やろう。
宗教が、ボランティアを勧めるなら、おおいに、やろう。
宗教が、心を美しくするなら、心を和ませるなら
心を優しくするなら、心を救うなら
おおいに、やろう。おおいに、やろう。
しかし、宗教が、権力を生み、人々の幸福を奪い、自由を奪うなら、
おおいに、反対である。
<落ち無しのしん無宗教運動>でした。