中村天風先生の本の中で感謝の大切さを説くある話が載っていた。

昔、江戸時代、一人の小僧が節句の花を売り歩いていた。

一人の魚屋が「その、花をくれ」

「買ってくれりゃいつでもやるよ」

山からただで取ってきたのに金を取るのかと、魚屋

ただで、取ってきたら、ただなら、魚屋の魚もただだろうと小僧

つまり、魚屋は問屋から、買ってきたとしても、問屋は猟師が

海からただで採ってきた魚を手に入れたんだから、

もともと、ただだろうと。

この、話、私はよくわからない。

この話から、もともとすべてのものは無言で命を犠牲にして

なんの、苦情も言わないのに、人間はありがたいと思わない・・・

と、続いている。感謝は大切だと説いている。

なにが、わからないって

小僧が悪い見本なのか、魚屋が悪い見本なのかが、わからないんです。

ご存知の方、教えてください。

ちなみに、この話が書かれている本とは、

日本経営合理化協会刊の「君に成功を贈る 中村天風述」

ISBN4-89101-020-7

26ページ

たぶん、魚屋(悪者)が、ただでふんだくろうとしたことに

小僧が説得力のある話をしたと、そういう設定だろうと思う。

実際、ただで、ものをふんだくったり

人の命さえ奪う自由が人間にはある。

しかし、その自由を自由のままに、行使すると

社会の助け合いの仕組みがなりたたない。

お金を払うとは、ここまで、その商品やサービスを

運んでくれたり、与えてくれたことに対する感謝の表明であると言える。

お金を払うという、社会の仕組みに従ってこそ、

ものやサービスを与え合うことができる。

それは、労力に対して、お金を払い、

運んでくれたこと、作ってくれた事、骨をおってくれたこと、

サービス・奉仕をしてくれたこと、それらに対してお金を払う。

なんでも、ただで、手に入れようとしたり、

ただが当然だと思った人間に感謝はない。

ましてや、人の命さえ奪うような最悪の人間には、

与え合いの社会への感謝など、想像もできないだろう。

人間、一番大切なのは、いかにしたら、幸福になれるかですが、

感謝もせず、奪うばかりの人間が、ひとに好かれるわけもないし

助け合いの社会の助け合いに参加できるわけもない。

せいぜい、社会の暗い部分が本音だと自分に言い聞かせて

幸せなふりをして、生きていくぐらいのことだろう。

助け合いにない人が、幸せになれるわけがない。

奪うだけの人に、与える人がいるわけがない。

いるとしたら、その人に、恐怖を感じているか、

その演技で、何かの得をする人ぐらいだろう。

(お金を得して、幸福を逃す人だと思う)



さてさて、感謝といえば、NHKで、こんな話がありました。

過去、卒業したOB・OGが、小学校を訪問して、

自分の個性ある授業をするという、そういう番組で、

その日はお寺か、どこかの住職さんの授業

感謝について、「どうやったら、感謝はよく伝わると思う?」

実験

生徒に、あなたは、この中で感謝している人はいますか

はい、A君です。

なぜですか、はい、友達としていつも遊んでくれるからです。

わかりました。では、どうやったら、感謝が伝わるか実験です。

生徒に寝ころばって横向きで、A君に、感謝を送ってくださいと指示

送っていますか、はい、ではA君感謝は伝わってきましたか

いいえ、なんかえらそうですね、

では、どうやったら感謝は伝わりますか

こうやります、その生徒は正座をして、A君を真正面に

手を合わせ、真剣な面持ちで深々と頭を下げた

A君もその友人の姿を見て、正座をして相対した

A君、感謝は伝わりましたか、はい、伝わってきた気がします。

みんな、感謝は、強く思ってさえいれば

形なんてどうでもいいと思ってませんでしたか?

はい、思っていました。

でも、この実験でわかるように、

感謝は、どんなに、つよく思っていても

形が、いい加減だと、それは、伝わらないんです

うまく、伝わらないということは、感謝していないと同じなんですよ

そんな、番組でした。

形も大切なんです。




だからというわけではないが、

労力に対し、お金を払う、その形も大切だと思うし、

与えられたことに、礼儀をもって対応すること

大切だとおもう

お金の話をすると、不潔だと思う人がいらっしゃるが

お金が不潔なのではなく、

お金を使う側、奪う側が不潔なこころであることが多い、

気がする

そういうことだと思う。

しかし、世の中のすべての経済活動が不潔なわけではない

経済活動の多くは、実は助け合いの一環だ

労力を、貢献を、与えることにより

報酬を得る、それがないと、生活ができない。

それが、助け合いの社会の仕組みだ。

その、仕組みにも感謝。

助け合いの中に、奪い合いもある。

たしかに、ある。

奪い合いは、法律で禁止されていることはもとより

道徳的に理不尽なものもやはり、なくしていくべきである。

だからといって、助け合いがなくなるわけではない。

奪い合いが理不尽だからといって

すべての経済活動、すべてのお金のやりとり

それらが、不潔なわけではない。

あくまで、不潔でない部分を

あくまで、不潔でない部分を

広く世に、アピールをし

つまり、経済活動を心から、助け合いとして

賛同しよう。

生活に必要だから心はいやだが、仕方なく仕事をするのでなく、

心から、清い活動のひとつとして、経済活動を行おう。

こころをこめて、仕事をし、

感謝をしながらお金をいただこう。

サービスや商品の購入時も

感謝をしながら、お金を払おう。

最後に、不潔だと感じた人がいるかもしれない。

しかし、与える側として

長期に亘って(わたって)与えようと思えば

深く調べ、深くいいものを与えようと思えば

報酬なしに、与えられない。

与える側も、お金と感謝というこころの報酬が必要だ。

奪うばかりの人間に、与えたくはない