仕事について
(このページは、私の作っている別のサイトのものを転記しており、あくまで、ものまねではなく、同一人物の別サイトの間のコピーです。)
1.導入
平成13年6月16日(土)に、NHK教育テレビにおいて、若者を集めて仕事についての討論会がされていました。
NHK教育の番組は、日ごろ特に拝見するわけではありませんが、ふっと、チャンネルを変える中で、目が行ったと、いうところでしょうか。
その中で、大人がよく、「夢を持て、自分の好きなことをやれ」と、いう話があるが、そういう自分達(大人達)は夢を求めてがんばったのか、好きな仕事をして来たのか、という、疑問がありました。そして、夢がないこと、夢を見つけにくいことや、夢と現実のへだたりの大きさのため夢を口にすることさえできない、若者達の現実というものもあります。夢の実現のための会社に対し、就職活動をし、何社も受けても現実就職できなかったり。だから、自分の考える方向と別の職業を選んだり、あるいは、就職浪人で、アルバイトを続けたり。
特に、身にせまった話ではないので、私自身は、真剣に拝見したわけではないので、内容を詳しく覚えているわけではありませんが、一部で中坊(有名弁護士)さんが、若者に向けて、お話をされていた番組です。中坊さんは、その中で、自分は結果として(弁護士として)いろんな仕事をやったが、結構その時々では、うまく、いかなかった、学業も大企業への就職もできなかったこと、などをおっしゃっていました。また、仕事をする中でその時々の仕事をこなす仲間ができ、それがお互い支えあって大きな仕事を成し遂げていった事をおっしゃっていました。
2.好きな仕事できる?
このサイトの制作者の私自身も、ほんとに好きなことをやっているわけではないのですが、学生生活を卒業後、会社に出てから自分の仕事(自分に合う仕事の種類)を探し、資格の勉強を始めたというところでしょうか。もし、簿記を、高校の頃から、始めていれば、もっと今の仕事に役立つ資格を早くから手に入れ、もっと成功者になっていたかもしれません。自分がやっていて、夢中になれる仕事は、集中力が高まりますが、嫌だなと思いながらの仕事は、本当に非効率的な仕事になりますし、回りへの悪影響も大きい。仕事そのものの質と、人間関係(上下関係含む)の両面から不本意な評価をまねくことになるはずです。
そういう意味で、本当に好きな仕事を見つけることは大切ではありますが、はたして、そんなもの、すべての人がすぐに見つけれるものでしょうか。私も、高校・大学と進んだ学業と別の道を歩んでいますし、社会に出てから自分はこういうことをしてみたいと、おぼろげながら、見えたような見えてないようなそんな感じで、はっきり言えば、まだ、やりたいことは見つかっていないかもしれません。
また、そんなことを考える前に、少しずつ年齢を重ね、家庭を持ち、家族を持てば、自分の希望ややりたいことと関係無しに今の仕事をやめられなくなってきます。なぜなら、会社を変わる転職、ましてや職種を変える転職ともなれば、必ず所得の大幅ダウンを伴うものだから。
「どんどん、会社を変わろう」という風潮はマスコミ(特に雑誌)では、だいぶ以前からあり、一つの会社で定年まで勤めるのは例外になってきているような感のある「世間の常識」となりましたが、実際はまだまだ、中途採用者に対し風当たりは厳しいものがあります。ましてや、転職を多くするものほど(「転職」のことを「履歴に傷がつく」といいます)、冷遇され、差別さえあるという状況だと、私は感じています。そういう意味で、皆そういうことを知っているから、転職すれば所得が減少したり待遇が悪くなったりを覚悟できないから、やめられない。そして、そういう差別や履歴に傷がついたあとの人生のハンディを考えない無謀な者ほど簡単に転職すると、思われている。
そして、会社の要請からも、長く勤めるほど、その会社での経験を生かし、より責任のある、つまり時間をとられる仕事をやっていく必要もあります。若い新社会人としての入社したての頃には求められなかった、大きな責任を果たす必要が出てくるわけです。そうなると、自分は、やりたい仕事は、これだとは、なかなか言えなくなってくるわけです。
それでも、昭和までの高度成長の時代であれば、やりたくない仕事であっても、がんばっていれば、会社も大きくなり自分達の所得もそれなりに、ステップアップして、別の面で、やりがいもあったかもしれません。また、戦後の何もない時代であれば、どんなことでも仕事になったし、どんな仕事でも、人から求められることが多かったと、そういう面もあります。いまは、どうでしょう。すでに、どんな仕事をやろうとしても、必ず大企業が奪い取っていきます。いま、個人経営者つまり、個人商店や個人工場や個人漁業がどんどん減っています。すべて、やめたいからやめているというより、経営が成り立たないからやめている、つまり、この、日本の景気そのものが不振でありかつ、大企業に仕事をとられているという意味において、やめたいからやめているのでなく、やりたいけど、やっていけないからやめている。
上の番組の中で、ゲストでしょうか、解説者でしょうか、昔の方が選択範囲が多かった、と、おっしゃっています。確かに、今は、個人の小さな商売ではやっていけないし、大企業へは、入れない(大企業にいる人も、いつ辞めさせられるかわからない)。
やりたい職種そのものの求人がない。いま、もっとも人が求められているのは、すでに経験豊富で優秀なコンピュータの関係の専門家か、人材派遣の会社(業務請負の会社を含む)でしょうか。人材派遣の会社にしても、バイトと同じように、派遣社員を使い捨てのようにしているのが現状ではないでしょうか。派遣会社は儲かり、派遣社員は搾取される。
3.それでも、夢を
それでも、私は夢を持ち続けるべきだと思います。人により、今、現在たずさわっている仕事に生きがいを持つのもいいでしょうし、今の仕事の改善を通して仕事を好きになっていくもいいでしょうし、今の仕事をやりながら、ステップアップとして、学習期間とするのもよいでしょう。ケンタッキーフライドチキンのカーネルおじさんは、定年後に母から教わったフライドチキンの技術をもとにケンタッキーを作ったんですから、いつ、始めてもいいじゃありませんか。
資格の勉強をするもよし(ただし、資格があれば、食っていけるという甘い考えは捨てた方がいい。それが、弁護士の資格であっても、資格取得後も学習と文字以外の勉強・修練も必要)。もし、めっっちゃくっちゃやりたい仕事が見つかったなら、すべてのハンディ(履歴の傷、転職多い人は差別される、中途採用の所得は前の所得を基準にされる、家族を養っていく問題など)を覚悟の上、技術を磨くために安い給料や半ボランティアのように、その道の仕事へ飛び込むのもよし。
それは、夢を達成し、自分の好きな仕事をやっているひとほど、世の中に貢献する度合いが大きなものは、ないのですから。やりがいは、効率的です。やりがいは、集中力が高まります。やりがいは、強い協力関係を呼びます。やりがいはやりがいを呼びます。やりがいは、部下を素直に育てます。やりがいは、大きな仕事をします。
はっきり、私が、感じていることをいいましょう。それは、高度成長の時代であろうと低成長時代であろうと、そんなことに関係なく、好きな仕事をしている人は少ない。好きな仕事をしている人はそれなりに努力をしている、そう感じています。中には、ラッキーで好きなことをしていることもあるでしょう。しかし、そんな人も必ず、人生のどこかで何がしかの苦しみを通らなければならない、そんな気がします。だから、途中、不本意な仕事をすることもあるでしょう。なかなか、人生がうまくいかないこともあるでしょう。それでも、ちょっとずつ、ステップアップするため、今の仕事を一所懸命頑張ろうではありませんか。そう、私は呼びかけます。
4.夢、だけでもだめ
仕事ということを考えた時に、夢だけでもだめではないかと、感じています。
仕事というのは、なんでしょう。たとえば、ギャング映画で、「今夜の仕事は、どこどこの銀行を襲うことだ」と言ったときのしごとでしょうか。ちょっと、まてや、人から物を奪うのが仕事か、詐欺の仕事も仕事か、殺人も仕事か。
確かに、お金などを手に入れるための動作の集合体と言う意味において、仕事といえないこともないのですが、私がここで、お伝えしたい仕事とは、そういうものではないことは言うまでもなく、お判りいただけるのもと思います。
仕事、それは、「世の中に役に立つことをその報酬を得て行われる継続的な一連の動作の全体」なんて、むずかしい言葉を並べてしまいましたが、ようは、犯罪でなく(道義的にも法律的にも)、ボランティアでもない仕事のことです。
仕事は、社会の共存関係の仕組みの一部分を担うことだと、言えます。ひとりの人が、船を作り、さかなを取り、魚を運び、魚を求めていてその見返りに野菜をくれる人を探し、魚を求めている人に渡し、野菜をもらう、そんな一連の作業をひとりの人がやってたら、どんなに非効率なことでしょう。それを、船を作る人(会社)あり、漁業をする人あり、魚を売買するひと(会社)あり、野菜をつくる人あり、野菜を売買するひとあり、それらすべてに、お金という道具をつかう。
この様に、社会の共存関係の仕組みの一部分を担うことだと、言えます。
さらに、お金を得て、家族をささえているという現実もあります。また、お金という、道具は、とてつもなく便利な道具であるが故に、とてつもなく、魅力的な物でもあります。そこから、お金のための仕事、という考え方をしていらっしゃる方も数多くいらっしゃいます。それも、一面的ではあっても、真実のひとつではあると思います。
しかしながら、そこから、お金を沢山手に入れられる仕事こそ、大切だ、少しのお金しか手に入らない仕事はだめな仕事だという考え方も出てきたときに、ちょっと待てよ、それは、おかしいのでは。
現実を先に申し上げましょう。現実は、(その現実・社会の常識は間違っていると思いますが)お金を持っている人は偉い人と、思われていて、お金を少ししか手に入らない仕事はだめな仕事だという、社会の常識があるということ。それが、現実だとおもう。実際、社会に貢献しているからこそ、医者や弁護士や大企業の経営者はたくさんの報酬を得ていると考えられている。それは、一面において、正しい見方ではある。誰でもができる仕事ではない、特殊な(優秀な)人にしかできない仕事を必要性があってやっている仕事は、確かに、その報酬に見合った価値があることが多い。しかし、現実は、お金のためその地位を利用して甘い汁をすっているという現実もある。優秀な大学を出るには優秀な成績(能力と努力)も必要だが、その、優秀な成績を支え伸ばすために、沢山のお金がかかることも現実である。その意味で、お金を沢山手に入れられる仕事がよい仕事であり、手に入らない仕事はだめな仕事であると。それが、社会の常識、社会の現実である。
その、現実をしっかり、見つめた上で、同時に、お金最優先主義が、どんどんこの社会を不幸にしているという、見つけにくい現実をも指摘しておきたい。それは、「差別」「えこひいき」「利己主義の正当化」という、現実です。(他にもいっぱい有るような気はしている)
この、「差別」は、たとえば、アメリカなど特にすごいと思うんですが、差別を受ける人自身もその差別を受け入れている気がいたします。そして、差別を受けている本人は、当然、「ああ、俺は(私は)だめな人間だ、こんな低報酬で生きているなんて」と、感じるわけです。お金最優先主義そのものが間違っていると考えずに。いま、主婦達が家事労働の価値を訴える動きがあるような気がします。たとえ、お金という、報酬を得ている労働でなくても、非常に価値のある労働であり、会社の仕事以上の価値があると。それは、真実でありましょう、しかし、今の現実は、まだまだ、差別を受けている状態であり、おろそかにされている状態であると私は感じます。さらに、家事労働に限らず、ボランティアのような低報酬で、または、ボランティアで行われている多くの労働にも価値があるものがたくさんあることも、沢山の人が認識するようになれば、どんなにか、すみ易い差別のない社会に近づくことでしょうか。
この、「4.夢だけもだめ」の意味は、「夢の達成・好きな仕事をする幸福」だけでなく、「共存」の幸福も同時に達成しないとだめですよという意味です。夢を自分の自己実現だけでなく、社会貢献や、家族の幸せ、さらには、集団の幸せ日本全体の幸せ、世界の幸せ、そういうことにまで考えてほしいと私は思う。
5.それでも、お金も大切
さらに、さらに、一度、お金以外の大切さを訴えたその後、もう一度、それでもお金の大切さを訴えたい。それは、現実お金なしで暮らしていけないこと、この、日本の繁栄も、お金を求めて沢山の人々が努力してきた結果であること。この、豊かな生活はお金のおかげであること。
ならば、ならば、もう一度、本当に社会に貢献した人ほど、多くの報酬を手に入れる社会を創ってほしい、社会に不当に不幸を与えながら、のうのうと暮らす人を許さない社会を創ってほしい。同時に、多くの報酬を手に入れる人ほど社会の幸せを考え社会の幸せに貢献する人であるという社会の仕組みであってほしい。それは、誰でもない、すべての人が意識して、私を含め、読者であるあなたを含め、みんなで、創っていかねばならないと思う。
理想と現実、どちらも、大切にしたいのが、私の方針。
現実を理想に近づけないと、幸せはやってこない。社会を理想的な社会になるように訴えはする。しかし、身に迫った現実は、やはり、お金のこと。
そこで、前々から、考えていたのは、このホームページにおいて自己実現のコーナーの設置とその中で、現実にどうやったらお金持ちになれるか、どうやったら、出世できるか、ということ。会社であれば、どうやれば、会社が繁栄するかということ。
そういうことも、考えて行きたい。
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