平成13年8月6日  <そんなに、靖国問題は、大きな大切な問題だったのか>

ニュースステーションで野中広務さんが、いいことをいっていた。

戦争で間接的に死んだ人、犠牲者、などは、祭られていない。

その、目的は、戦没者を祀り、戦争を鼓舞し、つまり、戦争を促進推進するために、

戦争のために、頑張った人を祭るということです。

つまり、戦争を推進するあの、戦前の帝国主義者の考えが、生きているということです。

そういうことを、野中さんがおっしゃっていました。

戦争のために、天皇のために、死んでいけば、神として祭られる、そう、教育されて戦争に向かっていったんです。

だから、そういう靖国神社の歴史を勉強して、総理大臣が靖国神社に参拝してほしくない。

(戦後、一時期、総理大臣が靖国神社に参拝もしたかもしれないが、(=落ち無し))

戦後しばらくは、戦前の考えを改める為に名前を変え(以前は、靖国とは別の名前の神社だった)

戦没者を祭ったが、

教育されて、自分の意思とはいえない状態で戦争に行った人のみを弔うという方針で

B級戦犯は、祭られなかった。(ましてや、A級戦犯は話にもでなかった。)

ところが、戦後しばらくして、B級戦犯が祭られるようになった。

私(野中さん)は、上から教育を受けて、国のためと言われながら死んでいった一般の戦没者と

戦争の責任者そのものとは、別のものであるはずだと考えます。当然のことながら、

A・B級戦犯と、一般の戦没者は別々のものであるはずです。

ところが、いつのまにかB級戦犯がまつられ、1953年にA級戦犯も祭られるようになって

そして、その、A級戦犯の祭られた靖国神社に中曽根総理が参拝した時に、中国や周りの国々から、批判を浴び

問題となったんです。その後、総理大臣が参拝することは、(橋本首相のときに、日をずらして、行った以外は)

ほとんど、なかったんです。そういう、歴史をもっと考えて頂いて、一国を代表する総理大臣が個人的な考えが

どうとか、そんなことで、無責任なことをしてほしくない。(つまり、靖国参拝は反対である。)


というようなことを野中さんがおっしゃってました。

少し野中さんのことを今まで誤解していたところもありました。そんな、真剣に、政治のことを考えていたのかと。

でも、橋本派も、私(otioti(落ち無し))は、賛成できない。

橋本派には、賛成できないが、野中さんの、この日のニュースステーションでの発言は大賛成いたします。

(靖国神社では、戦争に参加して、つまり、武器を持って世界に進出した人は祭られているが、

戦争によって、犠牲となった、空襲や原爆によって、死んでいった人は祭られていない。

そんな、犠牲者も祭られていると勘違いしている人の割合は多いらしい。ニュースステーションより)


A・B級戦犯は、弔う必要があるとしても、別のところで弔ってほしい。


ところで、自民党のベテランの議員の中に、本当に日本(神道)の神を信じ、神事を大切に考えている人が

いるらしい。神を祭れば、日本がよくなり自分もよくなると信じている人が。

御霊、(みたま)、という言葉は、神道の言葉でしょうか、仏教の言葉でしょうか。

落ち無しは、本当に知りません。


A級戦犯と言われていても、死んで神となり、日本を護る神となっている・・・と、信じているのか。


(平成13年8月7日↓)

日本神道が、正しいか、正しくないかは、ここでは言及しないが、

日本神道の掛け声の下、あの、日本帝国の世界(アジア内)侵略戦争が行われたことは確かである。

また、日本神道以外の宗教も戦後は認め、信教の自由も認め、やっていこうというのが

新しい憲法の趣旨のひとつであるはず。

他の宗教を認め、日本神道は、いろんな宗教の中の一つとして、日本国民全員に押し付ける戦前の過ちをやめ

信教の自由を、危うくする考えに反対しよう。

宗教の話はタブーとなっている感がある。ヨーロッパでも、政治と宗教の話はしないことがマナーとなっている

そんな、話を聞いたこともある。

しかし、生きるか死ぬか、死後どうなるか、あの世があるのかないのか、あの世があるなら、あの世とこの世を貫き

両方の世界をどう生きていくのか、そんな、話をしては、いけないような雰囲気がある。

私は、それは(宗教の話をしないことをマナーとすることは)間違いであると思っている。

宗教や、政治の話を真剣にしたら、殺し合いにも発展することがある。

だからこそ、宗教・政治の話をしないことをマナーとするのだろう。

でも、本当に、本当に、ほんとうに、みんなの幸せを考えるなら、宗教や政治の話は避けられない。

日本神道にもいいところはあるが、それがすべてであるとする考えは、間違っている。

この、「間違ってる」の一言は、ある人にとっては、あたりまえのことであり、

ある人にとっては、けしからん、その一言を発した人は死刑だと考えるほどのことである。

べつのひとにとっては、どうでもいいこと。でも、考えようよ。一日二日でわかることではないから、ずっと考えようよ。


靖国問題と、教科書問題は関連している。小泉さんの、靖国参拝に賛成したのが多いのは若い世代であり、

戦争に対する教育が不十分な世代である。考えることをしない世代である。幸せを真剣に考えず、与えられることを

待つ世代である。

まさに、帝国主義は教育によって、つくられる。

それで、いいのか。


(平成13年8月14日↓)

本日は、ある人がある番組で、約束を守らなかったから、がっかりだと、おっしゃる。

結構、名の通った、女性議員である。

そう、13日に小泉首相が参拝した件である。15日に公式参拝しなかった件である。

私は、公約より、本当の幸せを守ってほしい。

あの、戦争の悲惨さを、味わいたくないし、あの戦争の悲惨さ、犯罪性を否定する考えを広めてほしくない。

自分の国を誇ることは大切だが、反省をしたからと言って自分の国を卑下することにはならないと思う。

反省とは、過去の間違いを振り返り、二度と同じ過ちを犯さない決心を心のそこからすることであると思う。

逆に、反省できることこそ、本当の幸せを自分や周りに推し進めることであり、誇れる自分になることだと思う。

戦争へ通じる教育を野放しにし、戦争をすすめる教育を推し進めて、どこが反省といえるのか。

確かに、改革の公約は大切だ。たくさんの反対を打ち破って、公約を果たそうとする小泉首相は、大変だと思う。

だから、私は、その、公約自体が、正しい部分と、間違っていた部分があるんではないですかと、そう、いいたい。

改革の公約は守ってほしい。

そう、15日に参拝してほしかった人も、してほしくなかった人も、一定の距離をとるようになってしまったかも。

でも、改革は、がんばっていただきたい。。

具体的にどこがどうあるべきかは、今はわからないが。