共存と幸福
アメリカからきた、最近よく聞く言葉に、「個人責任」と言う言葉がある。
一方、昔日本が戦争を起こして、みなから非難された時代に日本でよく聞いた言葉に、「連帯責任」という言葉がある。個人責任は確かに大切、でも、冷たくありませんか。わたしも、このホームページを作るにあたって、たくさんのひとや、たくさんのサイト、たくさんの見本、
その他、本や、友人や多くのひと、ものに、助けられて作りつつあります。一番大切なのは、かっこよさではありません、というのが、落ち無しの主張。
一番大切なのは、幸福、それも、自分だけでなく・・・・「連帯責任」という言葉は、軍隊で、上の者が、下の者に命令するときに非常に、役に立つ言葉である。それは、軍隊の中の小隊ごとに規律のとれた行動を求めるとき、役に立つ。一人の自分勝手な行動は、たとえ、本人は良いと思った行動でも小隊全員の生死に関わる。ゆえに、小隊内部で、お互いを牽制しあって、自分勝手な行動をしないように、教育しあうために、連帯責任という言葉は欠かせない。が、同時に、この言葉により上司が部下をいたぶる道具として、非常に便利な言葉として、使われる。もし、ひとりひとりの、自由や尊厳がその言葉によって、害されるなら、つまりその言葉を使って、押し付けや理不尽な命令がされるなら、その言葉は、ないほうがいい。「連帯責任」という言葉は、捨てましょう。でも、そうじゃない、「愛する人の幸せの責任の一部は、自分にある」という意味の連帯の責任なら、それは、大切なことだと思う。それが、落ち無しの主張。
小さな夫婦二人の家族に、一人の愛の種、子供が生まれたとき、その子の幸せの責任は親にある。小さな小さなその子供に、どれくらいの責任能力があるといえるのか。やがて、子供が大きくなる。その子がもし、健康を害するほどの脂肪体、つまり、太っていて、それが原因の病気になったとき、その責任は誰にあるか。そして、病気がひどくなって、その世話を親が見なくてはならなくなったなんて、ひどいことが起きたときに、その責任は誰にある。NHKのためして合点という番組で、健康のためのいろんな話が、あるいは、あるある大辞典という番組はあんまり、見てないんですが、いろんな野菜の効能とかそんな、話はでませんか。健康とは逆に、忍耐が弱かったり、きれる人の食生活が時間的に不定期、内容的に偏食(好き嫌い)など、問題があるという話を聞いたことありませんか。野菜が大切、栄養のバランスが大切、好き嫌い・偏食は健康に悪い、等々それは、今に始まった話でなく、昔から、誰もが知っていた事実ではないでしょうか。好きな肉ばかり食べても許し、すきなお菓子ばかり食べ、肝心なごはんを定期的に十分とるということがなくなっても、何もいわない、それが、太りすぎで病気になった子供に対する親の無責任ではないでしょうか。個人責任は、あります。その子ども自身の責任が。でも、子供の頃から、偏食をしない、定期的に食事をするという、しつけを十分しなかった親の責任もある。
その、責任を果たさなかった結果、自分自身にもその子の病気の世話と言う不幸がやってくる。逆もある。子供が、偏食を止めなかったゆえに親も偏った食事を作ることを続け、親自身の病気の原因になり、親が病気になったり。多くの成人病は、食生活を原因のひとつとする。緑内障という、一見食生活と関係ない病気も、偏食などの積み重ねが原因となることがあるらしい。ほんとかうそか知らないけど。なにしろ、野菜にその原因を避ける成分があるらしい。ほんとかうそか知らないけど。家族の話をしましたが、それは、会社と言う組織でも同じだと思う。トップの責任は確かに大きいが、トップが重大な法律違反を法律違反であることを知りながら、会社ぐるみでやっちまえと言ったとき、部下はそのまま、法律違反を犯すのか。部下が非効率な仕事をしていた時に、それを部下だけの責任にして、非効率なあなたは辞めてもらいますと言ってやめさせることが果たして、許されていいのか。トップの教育責任ということを強く訴えている人に、船井幸雄という人がいらっしゃる。船井さんの言うように、トップの教育の責任はあると私は思う。その責任を果たさず一方的に従業員をやめさせる会社は、
- まず、社内の他の従業員がやる気をなくし、
- 次に、社員募集に応じる人の質が落ちる。これは世間に知られるとかより、会社につきがなくなると言う意味で。
- そして、新しく入ってきた社員に、元からいた従業員がうわさその他の手段により情報提供される。それは、感情がともなって、伝えられる。つまり、会社への恨みとして、言い聞かされる。
- 会社に変に媚を売る人と、やたらめったら会社に反発する人とわかれ、社内の協力関係がなくなる。
- ますます、会社全体が非効率になる。
なんて、好き勝手なことをつらつらと、書いちゃいました。言いたいことは自分だけの責任でなく、すべては、人にも影響を与えるということ。自分勝手な行動は人に迷惑をかけ、やがて、それは、自分が所属する集団に悪影響を与え、それが結果として、自分自身の不幸にもつながるということ。不幸につながることがらを避けるため、自分だけでなく、人の教育も考え、あるべき姿を人にも勧めること。それが、連帯の責任を果たすというなら、それは、人にはいやがられるかもしれないが、大切なことだと私は思う。家族の話をしました。会社の話もしました。そして、国も同じ。変な政治家を選び続ける国民には、変な政治で動かされる変な社会が与えられる。その責任は自分にもある。悪い国に生まれ戦争だらけ、差別だらけ、そんなとき、それをそのままにしていてもいいのか。どこかで、親を殺す、その責任は私にはないといいきれない、と、私は思う。私の出来ることはなにか、それは、選挙にいって、ちゃんと、納得の行く人に投票しましょうということ、人の心を傷つけるのはやめましょうと訴えること、少しでもこの国をよくするために。家族、会社、国、そして、世界、同じだと思う。世界中に差別をなくしたい、不幸をなくしたい。なんか、宗教的になってきて、気分悪くなりましたか?
今は宗教の話はしません。今は宗教は、汚れすぎてます。私が今言いたいことは、落ちこぼれのない幸福をみんな目指しましょうということ。そういう話を、すっと水が砂にしみ込む様に、みんなに、聞いていただくにはどうしたら、いいものか。さあ、どうでっしゃろか。反論が出てきましたか。ここは、そうかもでも、ここは違うかも、とか
あれば、ひとつ、掲示板に書き込んでもらえませんでしょうか。
でも、あれですね。具体性が足りないかも。なかなか、人に伝えることはむずかしい。
2,個人の重荷・連帯の重荷
たとえば、身体に障害があるなら、個人の重荷、家族に障害があるなら、それは、自分自身の重荷とはいえないが、障害のある家族のため時間や労力を使わなければならない、気もつかう。
ちょっと、ここは、ここで、おいときます。 H13.4.27夜中の朝
3.はてさて、人間関係、人間間葛藤
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