肩の力を抜いて
平成13年12月31日23時22分

苦しい苦しいこの世界
苦しい苦しいこの世界
みんな、こんなに、苦しむのか
みんな、こんなに、悲しむのか
俺だけ、こんなに、苦しむのか
俺だけ、こんなに、悲しむのか

ふっと考える。

今、この苦しみを忘れることはできないか。

将来この苦しみを忘れるのではない。
今、この苦しみを忘れるのだ。
今、この苦しみの中、ここを天国、ここを自然と考え
今、ここで安らかになる、そういうことはできないか。

今、この瞬間、あの人への憎しみを忘れ
今、この瞬間、あの時の苦しみを忘れ
今、この瞬間、未来へのあの不安を忘れてみよう。

そして、今、ここから何をするかを考えよう
そして、今、ここから何ができるかを考えよう
そして、今、今すぐできることから始めよう。

この苦しい地獄の中、この苦しい生き地獄の中、
肩の力をふっと抜いて、苦しみと憎しみと不安を忘れ
今すぐ行動を起こして行こう。
未来に、明るい未来がやってくると
自分に言い聞かせるプレッシャーさえ感じないように。
つまり、わざわざ「明るい未来がやってくる」なんて
自分に暗示をかける必要もない。

ただ、肩の力を抜いて、今この瞬間にできること
今、この瞬間にできる幸せへの第一歩
そこから始めてみよう

肩の力を抜いて

肩の力を抜いて





親に感謝とは

先祖から祖父母、祖父母から父母、父母から自分へと
「幸せ」や「幸せのもと」が伝わってきていることの確信、
それがなければ、本当の感謝はできない。

自分から子供、孫、子々孫々への幸福の伝達が可能であるとの確信、
それがない場合も、本当の感謝はできない。

自分が「幸せ」であるか「自分は幸せになれる」という確信がなければ
本当の感謝などできない。

世の宗教者、哲学者、道徳家は、感謝せよと言うが

その対象の親や先生やお世話になった方々が、
自分の幸せのために一役買ったということに
気がつかなければ
心からの感謝などできるわけがない。

そして、その「幸せ」は、助け合いにより得られ、多くのもの
を与えられていることに心から気づくことにより得られる

のだが、

スタートは「自分」の自立心・自発心から生まれる。


まず、自分から、幸せ部分に気づき、自分から、
自分の中で可能な幸せへの道を今すぐ歩み始めることから生まれる。

人のせいに(人の責任)ばかりしている人に、
幸せへの道はない。

自分の責任にすること(自発心から来る、幸福への障害を確認し
乗り越える決断をする心の作業)



感謝すること(助け合いにより幸福が成り立っていて、
自分も多くのものを助け合いにより与えられていることを
心から確認する、心の作業)

は、矛盾しているようでいて、
一体として必要なものだ。

自分の責任を自覚し、幸福へ、自分の力で歩もうとした心で、
親への感謝が湧き上がって、始めて
幸せへの道が開けてくる。
どちらか、一方であるうちは、どちらも偽物である。