落ち無しくん登場  戻る



お父さん、お母さん、どうして人を殺してはいけないの?


   ・・・ と、子供に質問されたら、あなたは、どう答えますか?


  ママ、どうして、人を殺しちゃいけないの
         幸福になれるか、幸福はどうあるのか・・・



  パパ、どうして、麻薬を吸ってはいけないの、名前が違う麻薬のようなものを吸っちゃいけないの
  どうして、気持ちよくなっちゃいけないの?
  どうして、タバコ・酒は、大人にならないとだめなの?
         快 と 幸福の違いと一致 を知れ
  不幸になる、感情があるんです。どうしたらいいの?
         感情を真に追求せよ。追求は頭だけの追及でなく、命を掛けて。
  どうして、学校に行かないといけないの?
  どうして、法律を守らないといけないの?
  どうして、嘘をついたり、約束を破ったりしたらいけないの?
         共存の大前提を知れ
  どうして、目上の人の言うことを聞かないとだめなの?
         幸福の知恵の蓄積、先輩も後輩も向上心をなくせば、尊敬されない・共存できない。
  どうして、大人の人は、悪いことをする人が多いの?
         不幸に気づかず、「快」のみ求める人が、多いように見える
         しかし、人それぞれ、成長の段階にあり、「快」より、幸福を求めることも、
             それぞれ自分の成長に見合ってやっている。
  どうして、大人の人は、嘘をつくことが多いの?(子供も嘘をつく)
         子供をだませると思う心は、ごまかしと言う不幸を放置する心。大人よ気付け。
  どうして、甘い物を食べ過ぎちゃだめなの。おいしいよ。
         「快」と幸福の違いに体で気づく必要がある。習慣で気づく必要がある。
  どうして、12歳でセックスしてはいけないの。気持ちよくなってはいけないの。愛し合ってはいけないの?
         人を養う大人になるには、土台をしっかり成長させる必要がある。
  どうして、自分の中に、人の幸福に嫉妬し、不との不幸・痛みを見て「快」とする心があるの?


幸せは、共存する力を実質的に手に入れ、向上する習慣を実質に手に入れると、
   少し、近づけるかもしれません。
と言うのは、本当の幸福なるものは、身近に不幸な人間がある限り有り得ません。
身近に不幸な人間が居るのに、自分は幸福だと考える人間は、
   残念ながら、自分の不幸に気が付いていないだけかも知れません。

私は、幸福は、自立・共存・向上・安らぎ の4つが必要と考えています。
その中でも、共存と向上が大切だと考えています。
共存心と向上心。共存力と向上力。
向上力なる言葉は、ありませんが、言いたいことは分かっていただけるかと思います。
松下幸之助氏は、吸収力と言う意味で「素直さ」が大切だと言っています。
これも、一種の向上力だと思います。いかがでしょうか。

向上、つまり、心・人間そのものの成長が必要だと考えます。
ある程度の成長が達成されない限り、幸福にはなれないように世界・宇宙は作られているように
感じます。

人間の成長を考えるとき、いつも、H2O、つまり、「水」のことを思い出します。
水は、氷・水・水蒸気の3つの段階を持っています。
それぞれ、分子のエネルギーの量を見た場合、少ないエネルギーから、多いエネルギーという、
順番を示すと、氷→水→水蒸気となります。
まず、冷たい氷、最初は、マイナス50℃と考えましょう。
その氷に一定の熱を加えるとだんだん、暖かくなって、マイナス40℃・マイナス30℃とだんだん0℃に
近づていきます。マイナス20℃、マイナス10℃、そして、マイナス5℃、4℃、3℃、2℃マイナス1℃
そして、とうとうプラスマイナス0℃になります。
ところが、0℃になったら、次はプラス1℃となるかと思ったら、そうは行きません。
加える熱は、今まで通り一定であっても、氷が水に変わる瞬間は、変化のエネルギーが必要となります。
今までと同じように熱を加えていても、0℃のままの時間がしばらく続きます。
今までは、一直線に温度が上がり続けていたので、水に変わるその時は、上がらない時間が続きます。
そして、H2Oの分子の中のエネルギー量が一定の分量を越えて初めて、水に変わり、
そして、また、再び温度が上がりだします。1℃2℃3℃と上がりだします。
そして、10℃20℃、そして、80℃90℃と上がって行き、そして、100℃に近づきます。
そうすると、再び、今度は、水蒸気に変化するために、100℃のままの時間がしばらく続きます。
そして、水が水蒸気に変わってそのあとやっと、また再び温度が上がって行きます。

人間の成長も、同じようなイメージがあります。ただ、人間の成長は、2回の境目だけでなく、
何度も何度も境目があるような気がします。
人間の成長も、努力を続けていくと、成長が止まるような気がする瞬間があります。
努力をし続けるのに、成長はできない瞬間が来ます。しかし、それでも、努力し続けると、
また、再び成長が見え出す瞬間が来ます。そして、その時には、前と人間が変化するほど
質が変わった気がする・・・そんな成長です。

しかし、大前提の熱を一定量、加え続けるということができてる必要があることを忘れてはいけません。
人間の成長で言えば、努力をし続けると言うことです。
それを、途中で止めて、そして、成長を望むことは、無理です。宇宙の法則に反したことを望むことになります。
熱を加えるのを止めて温度を上げるのは、無理です。途中、氷から水へ変化するときのように、
努力が報われないと感じるときがあるかもしれないが、決してあきらめないで下さい。
それなのに、ケセラセラと、なるようになるさ、とあきらめる人の多いことか。

人を殺すことはどうしてだめなのか、
この、質問自体が一定の成長段階の途中の人間であることが分かる。
普通、人と人の触れ合い・心と心の触れ合いの経験のある他の人の心の痛みが自分の痛みのように
感じることができる人間であれば、そんな質問自体が出てきません。
しかし、その、質問をした人間を差別するのでなく、自分の不幸と同じように、
その人の不幸を感じなければなりません。
その人に、まず、愛を与えることです。本当の愛を与えていなかったから、そんな質問が出るのでは
ないでしょうか。
もし、その質問が、自分の子供から発せられたのであれば、それば、あなたの責任は重大です。
自分自身、人に愛を与えることをしなかったことを反省しなければなりません。
本当の愛を、自分自身わからなかったのでしょうか。
「愛を与えたつもり」だけで、実際は、演技をし続けていたのかもしれません。
あるいは、自分自身のなかに、不幸があったのかもしれません。

人を殺すことはどうして、だめなの、そう質問されたら、今までの
愛の不在を反省し、自分の成長を決意することです。
「人間は、お前も私(ママ)も外の人も、助け合って生きているんですよ。
だから、助け合うことで幸せになれるけど、殺しあったら不幸になるしかないんですよ。」
と、言う事はできても、本当に理解するためには、その子に愛が与えられたときしかありません。
もうひとつ、「悪い人間を殺すことはいいの?」と質問されたら・・・
成長は、教えられる側(子供など)も、教える側(親など)も、それぞれに見合って必要です。
そういう、難しい質問を受けたら、それは、成長の機会でもあるが、正念場でもある。
「悪い人間」と言っても、いろいろあるし、どんな悪い人間でも、本来人間が裁くのは傲慢です。
そして、その、「傲慢」は、不幸の原因です。そして、教えられる側の成長に合わせ、教える側の
人間も成長しながら、教えて行くしかありません。
「あなたが、悪いと考えている人も、良い人間に変わることもあるし、悪いことをして不幸の原因を
作った責任は、その人自身がかぶるから、おまえ自身は、人を殺すと言う不幸の原因を作るべきではないよ」
とでも言いましょうか。
言葉で説明しても、本当に伝わるかどうかは、
教える側と教えられる側の「愛」と「成長への決意」と「実際の成長」があるかどうかで、決まります。
そして、「実際の成長」は、先ほど、水の話で述べたように、時間を掛けて努力し続ける必要があります。

h17.9.6午前1時 

つづく・・・つもり