道徳の必要性 平成24年2月14日
Aさん・Bさん(同性)のふたりの人がいたとして、
二人とも、別々の仕事を持っていて、
生活は、普通の暮らしをしているとして、
同じ性の二人が、同居することになった
二人は、道徳の必要性の感じ方が違うことが多い
その時、
Aさんが道徳的でBさんが道徳的なとき、二人は、幸福になるのか不幸になるのか
Aさんが道徳的でBさんが不道徳なとき、二人は、幸福になるのか不幸になるのか、
Aさんが不道徳でBさんが道徳的なとき、二人は、幸福になるのか不幸になるのか、
Aさんが不道徳でBさんが不道徳なとき、二人は、幸福になるのか不幸になるのか、
\ Aさん→ Bさん↓ \ |
Aさんが道徳を真剣に 取り組む人の時 |
Aさんが道徳を おろそかにする人の時 |
Bさんが道徳を真剣に 取り組む人の時 |
道徳大切同士で、 二人とも幸福になる |
AさんがBさんを振り回す |
Bさんが道徳を おろそかにする人の時 |
BさんがAさんを振り回す | 争い、または 奴隷・征服者状態になる |
もっと、わかりやすくすると、
\ Aさん→ Bさん↓ \ |
Aさんが道徳的な時 |
Aさんが不道徳の時 |
Bさんが道徳的な時 |
二人とも幸福になる | Bさんは、損する・いじめられる |
Bさんが不道徳の時 |
Aさんは、損する・いじめられる | けんか、または、いじめになる |
重要なことは、人間がふたりいると、ふたりともが道徳を重要と思っていなければ、
二人とも幸福になることはできないということだ。
どちらか一方しか、幸福になれないのでなく、どちらも、幸福になれないことだ。
こんな、簡単なことが、今の日本では、理解できない人が多い。
自分は、不道徳でも、幸せになれると、考えている人が多い。
図2でいうと、Bさんが道徳的で、Aさんが不道徳的であれば
Bさんは、損して、不幸になるが、Aさんは幸福になり得ると思っている人が多い。
単純に言えば、Bさんがおとなしくて、Aさんが暴力的なとき、
搾取する側は、幸福になれて、搾取される側は、不幸になると思っている人が多い。
どちらも、別の形の不幸になるしかないのに。
搾取される側が不幸になるのは、誰もがわかると思う。
では、なぜ、搾取する側・いじめる側が不幸になるのか、
それは、条件として、同居するという条件があるからだ。
搾取する側=いじめられる側が、搾取されたり、いじめられた時に、
当然、反乱を起こしたり、怒ったり、その悪をなじったり、責めたりする。
当然である。いじめられたり奪われた者は、悪をほっとかないからだ。
不道徳をほっとかないからだ。
そもそも、人に不幸をもらって喜ぶ人はいない。
幸せを奪い、不幸を持ってきた人間を責めるのは当然である。
同居していれば、なおさらである。
そこで、図2を書き直そう
\ Aさん→ Bさん↓ \ |
Aさんが道徳的な時 |
Aさんが不道徳の時 |
Bさんが道徳的な時 |
二人とも幸福になる (努力が不足すれば幸福に なれないこともある。) |
Bさんは、損する・いじめられる Bさんは、損して不幸になり Aさんは、愛を失い不幸になる |
Bさんが不道徳の時 |
Aさんは、損する・いじめられる Aさんは、損して不幸になり Bさんは、愛を失い不幸になる |
けんか、または、いじめになる 弱い方は、損して不幸になり 強い方は、愛を失い不幸になる |
「愛を失い不幸になる」という表現は、分かりやすくするためのもので、
「人間関係が悪くなり不幸になる」という表現の方が、正しい。
ここでは、分かりやすい方を図にした。
そもそも、道徳とは、人間関係を良くして、お互いが気持ちよく生きていくための知恵である。
両方が幸せになるための知恵である。
どちらか一方が、道徳を守らなければ、両方が人間関係が悪くなり、不幸になる。
両方が道徳を守らなければ、ますます、幸福からは遠ざかる。
これは、当たり前のことである。
当たり前のことをなぜ、いうのかと言う人もいると思う。
しかし、この当たり前のことを、当たり前と思わず、道徳を守らなくても、自分は幸福になれると
信じ込んでいる人が、いかに多いことか。この日本では。
そして、当たり前のことを知っていても、
それを、人に伝えることをせず、自分は賢いと、人を差別するだけの人間も、いかに多いことか。
不道徳な人を馬鹿にするだけで、道徳の大切さを、訴えないあなたのことだ。
不道徳であれば、人を不幸にする。
不道徳であれば、人間関係を破壊する。
当然、不道徳であれば、自分自身・あなた自身も、不幸になる。
当然である。
そして、それを、あなたも、多くの人に訴えて欲しいのである。
そして、この、「二人の道徳」の図3は、基本形である。
この、基本形の、応用が、大切なのだ。
応用とは、複数の人間のことだ。
あるいは同居に限らず、あらゆる場面で、出会う、社会のことで、同じ会社内でも、
同じ地域内でも、同じ国の国民どうしでも、同じことだ。
お互い、気持ちよく協力し合い、道徳を、守りあったら、幸せになれるのに、
道徳を守らないために、傷つけあい、奪い合っている。
そのことを、どうか、どうか、わかって欲しい。
そして、人に伝えて欲しい。
人に伝える、仕組みを作って欲しい。
(教育が大切であり、大人にも教育が必要であり、マスコミの責任も重要であり、
政治の責任も重要である。当然、政治への無関心は、不道徳のひとつである)
まとめ
\ Aさん→ Bさん↓ \ |
Aさんが道徳的な時 |
Aさんが不道徳の時 |
Bさんが道徳的な時 |
二人とも幸福になる | 二人とも不幸になる |
Bさんが不道徳の時 |
二人とも不幸になる | 二人とも不幸になる |
Aさんが道徳的でBさんが道徳的なとき、二人とも幸福になる
Aさんが道徳的でBさんが不道徳なとき、二人とも不幸になる
Aさんが不道徳でBさんが道徳的なとき、二人とも不幸になる
Aさんが不道徳でBさんが不道徳なとき、二人とも不幸になる
二人とも、道徳的になるように、努力しよう。
追伸
さらに、応用として
1.道徳についての考え方がいろいろあり、いがみあうことがある
当然ながら、多くの人が、道徳について切磋琢磨・向上していかねばならない。
その際、形でなく、多くの人の幸福と云うもの・人間関係の良好な状態を目標にする。
2.道徳を振りかざして、命令その他、強権的・高圧的になる人がいる。
そもそも、人類の歴史は、いろんなことが権力の言い訳にされてきた。
これは、家庭内でも会社内でも起こることだ。
道徳をふりかざして、人を奴隷化・差別・上下しようとすることのないように。
人を尊敬し、上を敬うことも大切だから、これは、意外と難しい問題をはらんでいる。
3.道徳を、むずかしくしたり、分かりにくくすることが正しいという、間違った考えもある。
若い者が、めんどくさくなるような道徳は、問題が含まれている。
若い者でも、分かりやすく理解できて、素直に実行できる基本が大切。
4.言葉遣いも、道徳の中の重要なもののひとつである。
5.政治への参加も、大切である。政治を分かることも大切である。
当然、政治を道徳的にすることが、一番大切である。不道徳な政治家に票を入れないこと。
ましてや、一部の者のみの利益誘導の政治は、ワイロの心があり、大問題だ。