僕らの恋愛。(2002/09/17)

 2000年5月5日、僕は結婚をした。その相方は鷹月いづみ(ペンネーム)。
 当時、僕は23歳。多くの人から「早い結婚だ」と言われた。当時はそう思わなかったけど、今は少しそう思う。それはたぶん、僕がまだ26歳だからだろう。

 今日は2002年9月17日。
 結婚してから2年と4ヶ月ちょい。だいたい850日と少々。結婚してから、その年の10月下旬までは実家で両親と同居していたから、ほんとの意味で新婚生活が始まったのは、それからということになるかもしれない。そうしたら2年にも満たないのか。

 僕らが付きあい始めた時期をいつと定めるのかは微妙なんだけど、親しくなってからということなら、かれこれ4年ちょいになる。そう、知りあって2年もしないうちに、僕らは結婚した。そこまで話して聞かせた相手はいないけど、たぶんそう話すと驚かれるというか苦笑いされるというか呆れられるというかバカにされるというか、まぁ心底「ふーん」だけで済まされるってことはないと思う。いや、最近の若い人なら、案外それで済ますかもしれない。ただ、僕がそんな話を聞いたら、たぶん「軽率だなぁ」と思う気がする。でも僕は自分が軽率なことをしたというつもりは、ない。
 世の中には10年近くの付き合いを経てから結婚したり、10年近く付き合った末に別れるカップルもいるから、僕らはまだまだ恋愛に関しちゃ未熟者だ。

 結婚してからのことをちょっと振り返ってみて、今この文章を相方のいない所で書いているんだけど、結婚したあとの恋愛って大変で、難しくて、面白い。
 たとえば、これは同棲状態なら同じことなんだけど、相手に逢うことが「特別」から「日常」になる。「逢うだけで嬉しい」が通用しない。逢っているのが普通の状態であって、そこでは自分の「日常」と相手の「日常」が入り混じってしまう。オナラをする、鼻をほじる、ウンコに行く。全部さらけ出さないといけない。かっこつけられない。かっこつけると無理がでる。そうやって混じり合う「日常」を、二人の「日常」にして受け入れていかなきゃいけない。
 他にも「ゲームがしたい」「テレビが観たい」でもテレビが一つしかない、さてどうしよう? 僕の夕飯は20時半だったけど、彼女は19時だった、さてどっちに合わせる? 彼女はいつも0時くらいまでには寝るけど、僕は2時過ぎまで起きている。そんな状況にも折り合いをつけていかないといけない。
 まだまだある。彼女がいるけど観たいエロビデオにやりたいエロゲー&ギャルゲー、逆に僕がいるんだけども好きな俳優やタレントの出る映画やテレビに狂喜したりうっとりしたり。いや、別にうちの話というわけじゃなく。

 巷に溢れるラブソングは恋愛を奇麗事に片づけているものが多いけど、突き詰めていくと恋愛は大変だ。

 こんなのはどうだ。
 どうしてもプレイしたい大作RPGがある。前評判では、クリアには100時間くらいかかりそうだ。でもこれは一人用のゲーム。
 彼女が「見てて楽しいから、別にいいよ」と言ってくれたらラッキーだ。
 「あたし、そういうのは趣味に合わない」って言われたらどうする? 「そういうの」がゲームの内容についてだったらいいけど、彼女がゲームそのものが嫌いだったらどうする?

 そんな衝突はいつだって「日常」に溢れている。

 それでも僕らは、互いを好きでいなくちゃいけない。そして、その「好き」は、前に進み続けていないといけない。そうしないと、マンネリになる。二人でいる意味を疑ってしまう。

 結婚と同棲の差ってのを考えると、それは法的なものだったり覚悟とでも言うべきものだったり世間体程度のことだったり、基本的には形がないように思う。結婚しちゃうと別れるときにややこしいとか、同棲中に子供ができると世間体がよろしくないとか、そういうレベルだろう。
 どちらが良いとかそういうことをどうこう言う気はない。僕は結婚を選んだだけのことだ。

 二人でいることが僕らの日常になった。
 折り合いをつけながら、今日までやってきたし、これからもやっていくだろう。
 僕らはこの日常の中で恋愛を続けていく。もっともっと、相手を好きになっていくだろうし、相手に好きと言って貰えるような自分であるために、もっと好きだと言って貰える自分になれるように、努力を続けていくだろう。そうしないと駄目だと思う。
 恋愛は遊びじゃない。幸せになるためのものだ。その結果、楽しいことがたくさんあっても、つらいことがたくさんあっても、ゲーム感覚でできることじゃない。やっちゃいけない、と思う。

 今日も僕らは、日常という戦場で、恋愛という真剣勝負を、この上なく幸せに楽しんでいる。
 それをこの先もずっと、続けていきたい。

2002/09/17 橋本竜也

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