FromJ(apan)('98/09/02)

 僕は昔から、洋楽邦楽じゃ邦楽の方が好きです。もうこの話は何度も書いてきたことなんだけど。
 何故か、って言うと単純なことで、外国語が分からないから。それが「歌」で有る以上、歌詞の意味も知りたいし、自分でも口ずさみたい。
 よく対訳が付いているけど、ホントのニュアンスはオリジナルのままでないと伝わらないと思うから、あれじゃ不十分なんです。無いよりはいいんですが。
 洋楽好きの人がいう言葉には「邦楽なんて所詮は海外のパクリ」「やっぱり本場でないと駄目だ」「カラオケに媚びた曲なんてダサい」「邦楽なんてどれを聞いても同じ」だとか色々有りますが、そう言う意見はインストゥルメンタルのように歌無しのもの、もしくは歌よりもバックの音の方がメインのもの……って限定するのなら、僕にだって共感出来るところは無くもないんです。ただ、そういう場合は「洋楽邦楽」なんて区切りは無意味になるんですけどね。

 ですが僕は物書きです。言葉を綴ることで自分を表現している、しがない物書きです。歌は、歌詞と曲が有って初めて成立するものだと思っています。
 僕に言わせればね。日本語しか判らないのに洋楽ばっかり聴いてる貴方には、ヴォーカリストの声は聞こえていても、ヴォーカリストが、あるいは作詞家が伝えたいことなんてホントは何も伝わっていないんですよ。聞いているのは曲と、そして歌詞の旋律だけ。言葉の意味なんてほとんど伝わっていない。感じ取っているフリをしているだけ。
 そうしたらきっと貴方は言うでしょう。「言語を越えて伝わる想いが有る」とかなんとか。それじゃ、これからは訳も見ず、原文の歌詞も見ないで、何が伝わってきたのか僕に教えてください。それでどこまで伝わるのか、僕は知りたいと思います。歌って、そんな大層な準備を必要としないで、さらりと聞いただけでも言葉が伝わるものだと思ってます。そうでなければ「いや、良いものだったら洋楽邦楽なんて関係なしに聴くよ」って。それじゃ、貴方は何をもって良い悪いを判断するんでしょう。きっと歌詞なんて関係ないんでしょうね。
 ちなみに僕はこのクチです。僕が洋楽を聴くとき、歌詞なんてほとんどが関係ないんです。だからあんまり偉そうな事は言えないんですが。
 声がいいとか、曲がいいってのは判ります。確かにそういう部分にだけ重点を置いて効く曲は有ります。僕だって洋楽を聴かない訳じゃない。けど、それらのほとんどは、言い方は悪いけれども「あ、そんな歌詞なの? ふーん。別にどうでもいいや」と聞いている訳で、言ってみれば何も伝わってくるモノなんて無いわけです。そういう音楽が有っても、別にいいとは思います。ただ、歌だって聞きたいものの方が圧倒的に多いんです。そういう意味では、「どうでもいいや」なんて思わずに真剣に聴いているミュージシャンは僕の心の師匠・Scatman Johnくらいですね。

 僕は外国語が苦手な日本人です。日本語で自分を表現することさえも、こんなに苦労しているただの男です。日本語一つままならない僕には、あいにくながら海外のヴォーカリストや作詞家は難しすぎます。
 適当に愛だのloveだのを適当な曲にのせて歌う日本のミュージシャン、とよく非難されています。でも愛はとても大事な事だと思うし、それらの曲は多くの人の共感を得ています。世に溢れているというだけで、そういう曲を「商業主義」だの「同じようなものばかりだ」などと非難するのは間違っていると思います。情けないと思わないんでしょうか。
 あなた方がロック通でありテクノ通であり北欧ポップス通であるように、世にはJ-POP通がたくさん居ます。ただ彼らはそれを自覚していないのかもしれません。けど、自覚はしていても、それをひけらかさないだけなのかもしれません。

 日本語の持つ、あいまいさを、僕たちは自然に感じる事が出来ます。
 それはきっと幸運な事だと思ってます。日本語でしか伝わらない事もあると思います。もちろん、英語でないと、中国語でないと、韓国語でないと、フランス語でないと伝わらないことだってあると思います。
 それらを他の言語に訳すのは、きっと難しいことなんでしょう。そういった、言葉独自の世界を放棄するのは、とても残念な事じゃないんでしょうか。

 僕は日本語で戦います。だから、僕の世界は日本語でしか伝えられません。いつの日か僕がビッグになって、海外から翻訳の依頼が来たてそれを承諾しても……それは、僕の世界とは微妙に違う世界なんだと思います。
 言葉によって紡がれる世界を、曲にのせて楽しめる歌って存在を、僕はこよなく愛しています。

1998/09/13 橋本竜也

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