ファン心理('98/05/08)

 久々にエッセイっぽい内容です。っていうか初めてかも。
 なんか、死んでしまったミュージシャンの後追い自殺とかあるご時世ですが、どうも何かがずれてる気がするんですよね。死んだミュージシャンの遺品を切り売りして儲ける遺族とか。
 例えば、優しげなイラストを描く人が、優しい人だとは限らないって思うんです。いい曲を書く人がいい人だとは限らないし。素晴らしい話を書く作家が以下省略。
 そういうのってカリスマって言うんですか? なんか宗教じみてて怖いです。誰々が付けてるアクセサリと同じものを付けるとか、そういうのも僕には少し怖い世界です。
 「誰々が曲の題材として触発されたって絵を、僕も一度見てみたい」とか、そういうのだったら判るんですよ。れっきとした理由があるから。でも、ただ真似るとか、そういうのって、僕は好きになれません。

 まぁ、昔の僕もそういうタイプだったんで、あまり偉そうな事は言えないんですが。自分の好きな人の発言や思想なら無条件で肯定する、みたいな。もちろん、当時の自分は、肯定する為のちゃんとした理由づけをしていましたが、今にしても思うと「無理矢理な理由だなぁ」なんて思います。
 今でも、自分の好きな作家が雑誌でメタクソに書かれてたら怒るでしょうし、結局はそういう心理の延長だとは思うんですよ。ただ、それがエスカレートしていくと怖いな、って。

 結論からいくと、作品性と作家性ってのは、分離して考えるべきだと思うんです。
 あるミュージシャンが「好きなミュージシャンってのは居ません。好きな曲ってのは有ります」って発言していたんですが、この意見は実にもっともだと思いました。なるほど、確かに好きなミュージシャンのアルバムを買っても、ハズレだと思う曲ってのは確かに有りますしね。あと、直接見知りもしないミュージシャンその人を「好き」だっていうのは、何か違うな、って思いませんか?
 まぁ、そのミュージシャンそれぞれの曲調ってのは有りますから、「誰々の曲調は好き」って言うのを便宜上「誰々が好き」って言ってるんでしょうけど。僕もそうだし。ただ、そう言うことによって、自分に対して「そのミュージシャンの人格そのものが好き」だという暗示がかかっているっていう可能性は否定しきれないと思いますよ。

 人間としては好きになれないだろうけど、その作品自体はとても好きだってのはあると思うんですよ。その裏返しを、みんなにも考えて欲しいんです。
 言い方を変えれば「俺は嫌な奴だ。だけど、作品には自信があるぜ!」って人だって居るはずです。僕もあまり、自分をいい奴だとは思ってませんしね。

 嫌な奴でもいい作品は作れるし、いい奴でもいい作品が作れるとは限らない。無論、作り手の内面からにじみ出てくるものというのを否定するつもりはありません。作者の個性が作品に現れているって事は絶対にあると思います。あくまでも可能性の一つというか、技術論として「内面は最低のゲス野郎でも、見る人の心を打つ作品を作り出せるかもしれない」って事です。そりゃ、よほど肥えた目をしたなら「この作品には心がない」とか言えるかも知れませんけど、僕にはそこまでの鑑定眼はありません。

 けれどもね。
 幸い、僕の知っている人には「いい絵を描くいい人」も「いい曲を書くいい人」も「いい話を書くいい人」もたくさん居ます。これはとても幸せな事だと思ってます。

1998/05/08 橋本竜也

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