Fighters
更新日 1998年02月25日

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思い出


少年ファイターズ会に入会したのは、小学校5年生の時だった。

当時私は少年野球に没頭し、将来はプロ野球選手になることを夢見ていた。
好きなプロ野球の球団は特に無かったが、当時千葉県に住んでいた為、
家から一番近い野球場が、「後楽園球場」だったことと、
入場が全試合「無料」という言葉に惹かれ、近所の友達と「少年ファイターズ会」に入会した。
もちろん、日曜日になると、後楽園球場へ足を運んだものである。

少年ファイターズ会の無料席は「外野席」だった。
今と違い、当時応援団は1塁ベンチの上あたりで、笛と太鼓で応援していた。

外野席から、その遠い応援団の笛太鼓にあわせ
「ドン・ド・ドッ・ド・ドッ・ド・ド・じゅーんいっちぃー(柏原純一)」と
応援していたのである。


思い出。そう、あれは私が中学生の時のことである。ヤクルトファンの
友達から、「チケットあるから」と誘われ神宮球場へナイターを見にいった。
ファイターズファンの私は、ラジオ片手に観戦。
なぜならば、その日ファイターズは、後期優勝をかけた戦いを、
お隣、後楽園球場で繰り広げていたのである。

最初負けていたファイターズも、後半追い上げ、もしや、今日、優勝が決まるか?
こうなると、もう神宮の試合は、どうでも良い。全く面白くない。

ラジオの中継が気になってしょうがない。

ヤクルトファンの友人も、ならば、ということで、試合途中で、後楽園球場へと移動した。

後楽園についたときは、もう7回を過ぎていた。
外野でしばらく観戦していたが、すごい盛り上がりだ。

こんなに盛り上がる試合は、はじめてだ。

通常、外野席と内野席の間には柵があり、そこに係員が立っているのだが、
この盛り上がりをみて、この時ばかりは、解放してくれたのである。


こんな球場の粋な計らいで、試合終了直前に、内野席一塁ベンチ上へ、移動した。
ここでは、応援団と一緒だ。さらに盛り上がる。スタンドは、もう、最高潮。

そして、ゲームセット。

優勝。

その瞬間、選手も、スタンドも、私も全員が飛び跳ねていた。


大沢親分の胴上げを見つめながら、涙があふれてきた....。




あれからもう、何年が過ぎただろうか。

当時中学生だった私も、いつか、プロ野球選手への夢をあきらめ、
そして30才を越え、ごく普通のサラリーマンになってしまったが、
あのときの、プロ野球を夢見ていた純粋な心で、今でもファイターズを
応援し続けている。

そろそろ、また、うれし涙を流したいものだが.....。

うん、今年こそ....。

きっと......。