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2002/08/11 千葉稲毛合宿 103B
今・・ヒゲのおじさんです 渕上秀樹(ふちがみひでき): 1953/3/29生まれ。 
バンドリーダー、マネージャー兼雑用係り。 マンドリン/オートハープ/ボーカル/ミキサー/録音担当
お仕事:色材、印字媒体の研究開発

 幼少の頃より音楽と科学が好きで、片手にハーモニカ、片手に科学雑誌を持って走り回っていた。
 小学校では、理科が得意で、母親に小さな白衣を縫ってもらって、得意げに学校の理科室にこもっていたが、クラブは演劇部に所属していた。 卒業の時のサイン帳には、「未来の博士、渕上君へ・・・」と言う言葉が多く見られる。 家の片隅に実験室を作ってもらい、学研の科学の付録や、自分で薬品を買ってきて暇があったら実験をしていた。  今も、その時のあこがれを胸に、社会人大学院で博士号の取得を目指しています。
 中学では放送部の技術を担当し、アンプやラジオ(当時は真空管)等の電子機器の制作に没頭。 この頃から、ロケットに興味を抱き、重クロム酸アンモニュームを使ったエンジンを作る。 座右の書は、ケニス博士著の科学マジックと言う本で、全3巻。 この頃収得した基礎知識が未だに発想の原点になっている。 また、NHKの通信高校講座の化学を毎回欠かさずに見て、カラーテレビがあれば試薬の色の変化が見れると父親に頼み込んでカラーテレビを買ってもらったが、最後まで通信高校講座は白黒だった・・・・・・・。 ちなみに、この頃の講師は、有川 寛だったと記憶している (最近は、通信高校講座自体無くなったようです)。 小さい頃から、NHKの科学番組はよく見ました。 古くは、「ケペル先生の何でも、かんでもやってよう!!さて今日は?・・・」、ウルトラアイ(現在の「ためしてがってん」の前身・・)、最近では「サイエンスアイ」「注目研究室探訪」NHKエンタープライズの作品など、など・・・・ 子供向けの番組でも、発想の役に立つものが結構ありますよ、みなさんもどうですか・・・
 高校では、器械体操をやり全日本の監督をしている監物永三と張り合った・・・(と自分では思っている)。 ロケットも本格的になり、超硬アルミ合金製のコンポジットのエンジンを作り計算上は3000m程飛ぶエンジンを製作した。 日本宇宙学会員になり、名城大学の超音速列車の実験に参加したり、内之浦の東大生産技術研究所を訪問したり(日本初の人工衛星「おおすみ」の発射に立ち会ったが、惜しくも軌道投入に失敗・・・僕が衛星を触ったせいか??)活発に活動していたが、友人達からは変人扱いされる。   また、芸能にも興味を持ち、落語や声帯模写を練習して、ヤングタウンなどの深夜番組の常連になっていた。 桂 三枝(河村静也)とは、その頃はお友達だった。 2年生の時に学校の学園祭で、「ヤングタウン」をやり、男子校にもかかわらず大勢の女学生が見に来て盛況だった。 三枝も来ると言っていたが、プロデューサーだけが来たようだった。
高校3年の夏に体操を引退して、人が足らんと言うので卒業まで「オルフォイスグリークラブ」でコーラスをする。 
 大学に入り、ロケットは学園紛争の真っ只中だったので、爆破犯人に間違われる可能性あるのであきらめて、体操は部長だったのに、また新入生でこき使われるのもイヤだし・・・と思ってキャンバスを歩いていると、高校からブルーグラスをやってた岸本(遙)らがジャンジャンやっていた。  
  「何してんねん?」 「ブルーグラスやってんねんけど、誰も入らず困ってんねん。」 「何かわからんけど、入るわ・・」と言うわけで、ブルーグラスのブも知らん僕が入部したのでした。
                          


名城大学で行われた、超音速列車実験に参加した。(高2)

指宿にて(高2)


                           ・・・・・・・・・・・この続き(大学編)は、次回(4月末)に・・・