ドキドキ学園とは?


研究・まとめ
white-biscuits(ドキドキ学園コレクター)



2023年11月24日 更新


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フルタ製菓 ドキドキ学園チョコ パッケージ


 ドキドキ学園とは?

 
「ドキドキ学園」は、チョコウェハー1個におまけのシールが1枚ついた製品。製品名「ドキドキ学園チョコ」。定価30円。

「セコイヤチョコレート」「生クリームチョコレート」「チョコエッグ」で有名なフルタ製菓株式会社(本社:大阪府大阪市)が1986年8月22日に発売。

最初は「ドキドキ学園おばけ組」の先生や生徒たちのキャラクターシールがおまけでした。同年12月、製品名はそのままでシールの内容を「おもしろ妖怪」に変更。

さらに1987年8月、ホログラム・プリズム・キラキラシールを大量に登場させた「開運軍団 VS 妖怪軍団」にミラクルチェンジ。いわゆるヘッドシールを入手しやすくし、景品郵送引換の「あたりシール」の導入など、他社シール付き製品との差別化に成功。第24弾まで続く爆発的な大ヒット製品となり、通算100万ケース(3億6千万個)超を売り上げました。おまけのシール数は、1000種類を超えています。

その後は単発的に発売されましたが、1999年10月25日発売の「ドキドキ学園新世紀21チョコ」を最後に、発売されていません。
 








ドキドキ学園ヒストリー
ドキドキ学園チョコ
おばけ組
1986年8月22日発売
定価 30円
シール 全20種






1986年8月22日、「夜になると光る、ふしぎ変身シール入り」で発売された最初のドキドキ学園チョコ。ネーミングの由来となったドキドキ学園の先生や生徒たちのキャラクターシールがおまけで1枚ついていました。シール素材は夜光(蓄光)素材となっていて、シールを暗いところで見ると、おばけが浮かび上がりました。貼って遊ぶことが目的のため、シール台紙(裏面)には何も印刷されていませんでした。

※菓子飴新聞に「Aセット8月22日発売」と記事あり。ドキドキ学園チョコは、フルタ製菓秋の新製品セット出荷Aセット(11製品×各1箱)のうちの1製品。製菓時報には「Aセット8月中旬発売」と記事あり。試作品は「ドキドキ学園チョコ」ではなく、「ドキドキ学園チョコウェハー」のパッケージデザインでした。わかりやすくするためか「ドキドキ学園チョコ」に変更されたと思われます。

※1986年11月21日からPOSレジの販売履歴が残っているので、ドキドキ学園チョコの大手スーパー・コンビニでの流通開始は1986年11月21日頃と推測できます。

菓子飴新聞社の当時の記者の方が、発売日を1日単位で記事にしてくださったことが、発売日が歴史に残ることに繋がりました。

 
 

ドキドキ学園チョコ
おもしろ妖怪 → 開運軍団 VS 妖怪軍団

シール 全1155種
  
ドキドキ学園 アタック1〜アタック20
1986年12月発売(推定)
定価 30円
シール 全995種

アタック1〜4







製品名は「ドキドキ学園チョコ」のままで、シールの内容を「おばけ組」から「おもしろ妖怪」に改めリニューアル。
シールサイズがおばけ組より縦横それぞれ1cm小さい4cm四方になりました。コレクションを楽しめるように、シール台紙(裏面)に印刷が施され、ナンバリングが開始されました。



 

妖怪シールに同じ番号の開運シール(透明フィルム素材)を貼り合わせてやっつける「妖怪退散」というシール本来の遊び方ができます。あくまでも「おもしろ妖怪」がメインなのか、開運シールの封入率は低めでした。





第1弾から第4弾には、あたりのポジションで、ホログラムシール素材の「とびだす星座シール(12種)」が封入されていました。妖怪と星座の関連は深く考えず、ターゲットの小学生が喜びそうな星座のホログラムシール(当時の新技術)を選択したと思われます。

ほぼ同時期の1986年9月に、ホログラムシール素材の「絵がとびだすスペースシール(全8種)」を封入した「スペースシャトルチョコスナック」(定価100円)を明治製菓が発売しています。30円と100円の違いもありますが、「100円で確実にホログラムシールが入手できる」より、「30円でホログラムシールが当たるかもしれない」というクジ(運だめし)的な魅力や、「おもしろ妖怪シール」も子供に受け入れられたようで、1弾で終了したおばけ組と違い続弾したため、ドキドキ学園チョコの売上が相当アップしていたと推測されます。

<管理者History>
1986年12月〜1987年2月頃(冬の記憶)、ライフ南台店(東京都中野区南台)で、各星座の販売日がマジックで書かれた店頭用チラシを見かけ、販売終了の星座にはマジック手書きで×印が書いてあり、「現在の販売分からは自分の星座が出ないので意味がない」と思い、購入しなかった記憶があります。肝心のドキドキ学園チョコだったかどうかの記憶がありませんが、状況と時期的にドキドキ学園との初遭遇だったと思われます。確かに店頭で足が止まり、星座シールに興味を惹かれましたので、フルタ製菓の狙いは合っていたと思われます。

ドキドキ学園チョコは、梱包単位が1ケース=12箱=360個のため、1箱に1種ずつ(12箱で12種)の星座シールが封入され(どの箱からどの星座が出るか分かる形で出荷され)、1ケース仕入れた販売店側では星座の種類を調整(宣伝)しながら販売できた可能性があります。「ドキドキ学園のディスプレイに見本として1枚付いていた」という情報や、シール裏面に両面テープを剥がした跡のある見本と思われる星座シールも複数現存しています。この場合、星座シールの弾分け(4弾に3種ずつ12種)は後付け設定だったこととなり、実際は1弾から4弾の各弾に12種全ての星座が封入されていたこととなります。星座シールの現存数(中古市場での販売数、出品数)も12星座ほぼ均等と言える状況で、次のアーミー星人チョコでは12種を1つの弾に全て封入していたと思われるため、ドキドキ学園チョコも12星座を一斉に封入していた可能性が非常に高いと推測されます。






コレクション面では12星座のコンプリートよりも、枚数が多い開運シールの収集の方が難関になります。また、星座シールの在庫が余っていたようで、1987年9月発売の「アーミー星人チョコ」(定価30円)にて、ドキドキ学園設定の「幸運の女神」ではなく「SUPER STATION」と裏面印刷して再登場した模様です。アーミー星人チョコでは、ヘッド格のキャラクターのいない第2弾(実質1.5弾のような弱いキャラのみ)に、12星座が封入されていたと推測されます。また、星座シールのデッドストック(在庫)が中古市場に流出しているようで、ヤフオク初期から中古相場がほとんど上昇していません。



アタック5



 



第5弾は、シールサイズが5cm四方になり、全て夜光(蓄光)シール素材になっていて、おばけ組と同じギミックで暗いところで見ると、別の妖怪や開運が浮かび上がりました。

そして、この第5弾で最初の「あたりシール」が登場しました。シール表面に「あたり」と印刷してあり、購入店でストックブックが1冊もらえました。この第5弾の「あたりシール」の現存数は、マジックで「あたり」の文字を消したシールでさえ非常に少なく、全60種のためコンプリートは不可能と思われます。

この第5弾より、所定の切手(60円切手2枚)をフルタ製菓に送ると、ストックブックが郵送でもらえる全員プレゼントが始まり、「切手を買う、切手を貼って郵送する」という郵便の仕組みをドキドキ学園で覚えた小学生は多かったと思われます。ストックブックを製作したことで、メーカー側も「貼って遊ぶ」から「収集する」へシフトしたのが覗えます。

「あたりシール」で購入店にて景品をプレゼントするシステムと、切手を郵送で景品と引換するシステムの2つのシステムが合体し、約6ヶ月後のアタック8にて、フルタ製菓がオリジナルの「あたりシールシステム」(あたりシールと切手を郵送での景品引換)確立に繋がります。



アタック6





第6弾では、第4弾までの星座シールに続くホログラムシール素材の最強神(4種)が登場しました。この時点では、星座シールのように「あたり」のポジションで、裏面は4種共通で個別のキャラクター名がありませんでしたが、キャラクターのユニット化への扉を開き、次弾以降キャラクターの幅が拡がりました。

この第6弾は再びシールサイズが4cm四方になりました。第1弾〜第4弾まではホログラムの星座シール(フルタ製菓の企画デザインでなく、印刷会社から仕入れたと推測されます)、第6弾ではホログラムの最強神をあたりのポジションに使用していたため、製品製造ラインでのシール封入行程ではその弾の全シールを同じサイズにする必要性があったと推測されます。次の第7弾からホログラムシールを5cm四方で製作できたためか、5cm四方がドキドキ学園標準サイズとなりました。






この第6弾の期間中に今後の企画が決定したようで、当初は最強神シールの裏面に「スーパーパワーを誇る最強神のデビュー!!」と記載されていた部分が、途中から「全ての妖怪軍団をやっつける最強神!!」に変更されています。
ファイリングはどちらかで統一したいところですが、後者は「妖怪」が「妖快」と誤植されているものもありますので、注意が必要です。



アタック7







アタック7(第7弾)からシールサイズ5cm四方が標準になり、多数のスーパーゴッドシールが登場。シール裏面に様々な設定(ストーリー)を詰め込み、「おもしろ妖怪」が「開運軍団 VS 妖怪軍団」にミラクルチェンジしました。ホログラムシール素材の最強神に加え、スパークシール素材の天空神、ラックスシール素材の水嶺神などシール業界初採用の豪華な素材のシールが4種ずつ登場。おもしろ妖怪シールと開運シールも引き続きリリースされ、妖怪がパワーアップした設定の妖怪魔王(2種)も初登場しています。

そして、月刊コミックボンボン(講談社)1987年9月号(8月発売号)にドキドキ学園が初掲載され、アタック7が先行発売地域から全国に発売が拡がっていたとみられる翌月の10月号では、絶妙のタイミングで巻頭カラー(全2ページ)で掲載。このアタック7でドキドキ学園が大ブレイクしました。

アタック7 推定封入率
最強神 1枚/30個、天空神 2枚/30個、水嶺神 2枚/30個


ビックリマンチョコ(初期)のヘッドの封入率は1枚/40個だったようですが、対するドキドキ学園チョコ(アタック7)のヘッドの封入率は5枚/30個。平均6個の購入で豪華素材のヘッドシールが1枚当たりました。ヘッドシールがなかなか入手できない子供たちに、ドキドキ学園の人気が出たのは、必然だったのかもしれません。

【重要】このアタック7から「弾」を「アタック」と設定し、おばけ組を切り離し、ストーリーをアタック1に遡って適用しています。
(厳密には、アタック7の時点では「開運軍団 VS 妖怪軍団」ではなく、「妖怪軍団 VS 開運軍団」でした。)
 
また、ドキドキ学園だけではなく、1987年夏から月刊コミックボンボン(講談社)が各メーカーのおまけシールを「最強シール軍団」として掲載した効果で、発売順にラーメンばあ(ベルフーズ)、必殺ガムラツイスト(カネボウ食品)、秘伝忍法帳(森永乳業)、ハリマ王の伝説(カバヤ食品)など、それまでのビックリマン(ロッテ)だけだったビックリマンシールブームが、菓子業界全体に拡がりました(第1次おまけシールブーム)。

このおまけシールブームにより、月刊わんぱっくコミック(徳間書店)、オマケシール大百科(頸文社)などにも、さらに参入した多数のメーカーのおまけシールが掲載され、隔月刊スーパーボンボン(講談社)では、ギャグマンガ「ドキドキ学園(はまだよしみ著)」も連載されました。





ブレイクにより一気に売上が増えたためか、天空神のシール素材が足りなくなったようで、ドキドキ学園初となるシール素材変更も発生しています。



最強神4種のうちイーグルターボのみ、デザイン変更が行われており2種存在します。初期版は雲からの光のエフェクトがキャラクター及びネームロゴの後ろ側(キャラクター全身及びネームロゴがくっきり)ですが、変更普及版はエフェクトがキャラクター及びネームロゴに重なるように調整されています。ドキドキNEWS第7号(販促チラシ)では初期版が掲載されています。(なお、アタック16のあたり景品版は変更後のデザインとなっています。)



アタック8

 





アタック8ではアタック7に引き続き、最強神(4種)と水嶺神(4種)が登場。そして、妖怪軍団のヘッドであるヘルゲル魔皇帝が姿を現し、妖怪軍団初ユニットとなる妖怪シスターズも登場しています。




このアタック8から1箱(30個)に推定1枚封入されていたあたりカード(通称あたりシール)と所定枚数の郵便切手(60円切手2枚)をフルタ製菓へ郵送すると、景品の限定シールやグッズなどがもらえる「あたりシールシステム」を他社に先駆けて実施。この「あたりシールシステム」は他社も追随するほど定着し、見事に成功させました。アタック8景品のドクターION、テクノ宮殿シールは、発送の効率化のためか、2枚1シートになっていました。

また、この時のあたりカードがアタック8ではなく、アタック9の開運シールに付属しているものが僅かに発見されているため、ドキドキ学園チョコは全国一斉発売ではなく、先行発売地域(大阪?)と東京では、約1弾分(1〜2ヶ月)の時間差があったものと推測されます。

<管理者History>
1987年11月頃の日曜日か祝日の午後(晴天)、セブンイレブン南台店(東京都中野区南台)にて、このアタック8の店頭POPに目がとまって5〜6個購入したのが最初で、記念すべき開封1個目は「いないない婆あ」でした(日向で開封したので天気を覚えていました)。店頭でほぼ開けたての箱だったので、「あたり」がまだ残っていると予測し、当日もう一度買いに行き、追加購入分で見事「あたりカード(引換券)」を引き当てました。

一般的にはホログラムシールが一番人気ですが、ホログラムの最強神よりシールに厚みのある水嶺神が出たときの方が嬉しかった記憶があります。

フルタ製菓に引換券を郵送し、忘れていた頃(ちょうど終業式の日のクリスマス)にポストに届いていた景品「ドキドキマップカレンダー、ドクターION・テクノ宮殿シール」に感動したのを覚えています。なお、景品郵送時の封筒には広告代理店である「発送代行:株式会社インターリンクス」の記載がありました。

このアタック8のヘッドでは、「最強神V 最強誠神」と「水嶺神U ミサイルボンバー」を手に入れることができず、弾が進むと過去のシールの入手は諦めるしかない時代でしたが、この12年後にインターネットなるものが普及して、インターネットオークションが始まるなど、夢にも思いませんでした。なお、サミットストア和泉店(東京都杉並区)で、アタック8に混ざって売れ残っていたアタック7を偶然2個購入しており(うち1枚は天空神スーパーフェニックス)、自力で購入した一番古い弾はアタック7となりました。シールブームにより店頭での回転が速く、次に買いに行った時にはアタック7は残っていませんでした。

※景品の到着日からの逆算で、購入日から到着までに1ヶ月と前後15日として、当時の東京の天気(晴天の日)を調べると、土曜日・日曜日・祝日で晴天の日は、1987年11月22日(日)しか該当しません。
最初にドキドキ学園チョコを購入したのは、1987年11月22日(日)で確定できました。



アタック9



アタック9ではストーリーに連動し、ドクターION、妖奇魔博によるスーパーマシンで武装したキャラクターが多く登場。ドクターIONにより天空神がテクノ戦神として復活。

<管理者History>
このアタック9はちょうどお年玉の時期と重なっていたためか、南台商店街の南台ストアー内食品販売店「ヤマザキショップ」(中野区南台)にて、小学生時代に唯一となる箱買い(お店の人に箱での仕入れをお願い)をしています。
ホログラムシールは1箱に1枚封入、開運シールは5〜6枚封入で、開運シールは揃えられないと思った記憶があります。なお、箱の中にドキドキNEWS第9号が入っていました。続けて箱買いしなかったのは、ホログラムが1枚しか入っていなかったから。



アタック10

 



アタック10では、妖奇魔博(レンズシール)がドキドキ学園の歴史上で唯一となる袋(透明または銀色)に入った状態で封入されていました。世界初のシール素材で製造コストの高さと、傷を付けないようにという想いが伝わってきます。定価30円のお菓子のおまけに採算度外視の豪華なシール素材、古き良き時代の産物です。

<管理者History>
妖奇魔博、最初の1枚はサミットストア和泉店(杉並区和泉)で引きました。このサミットストアでは最盛期、ドキドキ学園チョコが4箱同時陳列されており、通常価格1個28円、毎月15日お菓子の日は1個25円で購入でき、行動範囲内では最安の価格で購入できました。なお、箱の4隅はキラ率が高かった記憶があります。

妖奇魔博は最終的に銀色袋の方を3枚引き当てまして、1枚は未開封のまま1年以上保存していましたが、中身は妖奇魔博と確信していながら、開封欲に負けて開封してしまいました。中身が見えなかったため、銀色袋未開封での現存は絶望と思われます。



アタック11



アタック11では、最強神が修行して変身(ミラクルチェンジ)するというストーリーで、ドキドキ学園初となるWシールが登場。1枚目の透明シールを剥がすと、2枚目のホログラムシールが現れます。また、Wシール素材ではなくホログラム単体でのシールも封入されており、それぞれ裏面印刷が変わっています。ドキドキ学園のホログラムシールは、他メーカーのホログラムシールより素材がしっかりしていたようで、発売から約30年以上経過した今日でも、いわゆるホロ欠けをほとんど起こさずに当時の輝きを放っています。ただし、Wシールに関しては、当時の子供は剥がして遊んでいた(2枚目を確認していた)ため、良い状態(未剥がし)ではなかなか残っていません。




アタック9から11までの開運シール全種に、銀アルミ素材のシールが一部混入されていました。妖怪シールに貼り合わせての「妖怪退散」ができないという本来の遊び方とは違う状況でした。おまけシールブームにより、菓子業界全体でのシール需要から透明フィルム素材が不足した影響と思われます。




ドキドキひみつカードは、製品パッケージの中でチョコウェハーとシールを乗せる紙の台紙の裏面に、キャラクターの秘密が印刷されているものです。東京ではアタック11か12の時期に一部混入されていました。試験的に導入されていたようです。スーパーやコンビニで購入した分ではなく、駄菓子屋(問屋経由の流通)で購入した分から出たような記憶が。

<管理者History>
アタック1からこのアタック11までを掲載した書籍が、1988年4月に徳間書店より発売(発行日は5月20日)されました。未入手のアタック7以前のシール(特に星座シールの存在)やアタック5で登場していた最初のあたりシールが掲載されているなど資料本として非常に重宝した書籍でした。セブンイレブン南台店で購入しています。定価350円の書籍でしたが、2019年1月現在、まんだらけ・駿河屋など中古市場では約1万円の相場となっています。なお、この書籍は東京で当時未発売だったアタック12の予告も掲載されており、先行発売地域でのアタック12の発売日は1988年3月とみられることから、先行発売地域と東京では1ヶ月から1ヶ月半ほど(ちょうど1弾分)の発売時差があったと推測されます。




アタック12



アタック12では、アタック8以来となるあたりシール(表記はラッキーカード)が登場。なんと1枚のあたりシールで4種の景品がもらえました。シールカタログポケットブックは、アタック1から11までの全シールとストーリーが掲載されているというドキドキ学園ファン必携の書。当時、アタック1から集めていた子供は少なく、ドキドキ学園がブレイクしたアタック7あたりから集め始めた子供が多数だったため、このシールカタログポケットブックは、まさに貴重な景品でした。





アタック11に引き続きWシールが登場。Wシール2枚目のα創聖球は、ホログラムシール単体でも封入されていました。しかし、ホログラムシール単体の現存数が少ないため、先行発売地域(大阪?)のみの封入だった可能性があります。



アタック12から新次元αとβに戦いの舞台が移り、ストーリーだけでなくキャラクターの幅も拡がりました。妖怪軍団側は子供向けとは思えないリアルなキャラクターデザインです。α十二守護神(12種)は、アタック12、14、16の各弾で4種ずつ登場。β呪術獣は(12種)は、アタック12、15、16の各弾で4種ずつ登場。

<管理者History>

東京ではWシールのネオ最強神しか出ませんでした。後年、ヤフーオークションでα創聖球単体のものが出品されていて驚いた記憶があります。死士魔獣のデザインが、ゴールドEプリント素材も相まってリアルで怖くて、見るのも触るのも嫌だった思い出。


 

アタック12のあたりシールの締切は、発売から約半年後の昭和63年8月31日でしたが、アタック15まで進んでいた夏には、あまりの人気に景品が不足する事態となりました。ここでのフルタ製菓の対応が素晴らしく、最新アタック15の景品(2種)を代替品とし、それだけではなくシールカタログポケットブックの最新版まで、不足の景品のお詫びとして送付されました。



アタック13



アタック13では、アタック8以来となる水嶺神が久しぶりに登場。月刊コミックボンボン(講談社)に掲載されていたテスト版と思われるα水嶺神は、アタック7・8と同じラックスシール素材と思われる写真が掲載されていましたが、製品には素材変更でカラー印刷のプリズムシールで封入となりました。妖怪軍団側のシール素材に、イリュージョンシールなど業界初採用の素材を惜しみなく投入。豪華で種類豊富なシール素材は、ドキドキ学園の醍醐味の1つです。



アタック14



アタック14では、キョンシーブームを意識したと思われるβ魔霊魔人(4種)が登場。GARレベルが55GARとそれほど強くないキャラクターですが、この後発売されるドキドキ学園チョコ(スナック)の第2弾にて、けしごむ12種のうちの1種に土難霊魔人が抜擢されるなど、企画担当者の狙いもうかがえます。

弾の切り替えが約1ヶ月半というハイペースの時期で、妖怪シールの製作が間に合わなかったのかNGがあったのか、妖怪シールは通常1弾16種のところ、このアタック14は11種(10種+1種)と少なくなっています。アタック14はあたり景品がなく目玉的要素が少ないため、1種(肺炎ベルグ)は次のアタック15から急遽繰上げ封入されたと推測されます。(肺炎ベルグ以外の10種のみ、開運シールの素材厚さ違いあり)



アタック15



アタック15では、アタック13で復活した水嶺神に続き、天空神も復活。妖怪軍団側もヘルゲル魔皇帝や妖奇魔博が久しぶりにGARアップして登場しています。そして、ドキドキ学園初となるトリプルシール素材で妖合金βメカ暴グが登場。キャラクターの人気がいまいちだったようで、「開運軍団 VS 妖怪軍団シリーズ」でのトリプルシール素材は、最初で最後となってしまいました。なお、発売から約25年経過あたりから、ラメシールの粒の消失(劣化)が目立ってきています。ラメ素材の状態の良いものは現存数が少なくなっていくでしょう。





ドキドキ学園チョコパッケージ裏面の応募券3枚1口でドキドキ学園Tシャツが毎週抽選で500名にプレゼントされました。このドキドキ学園アタック15のパッケージ及びドキドキNEWS第15号がそれぞれTシャツプレゼントあり・なしの2種類存在することから、先行発売地域(大阪?)ではアタック16のタイミングでこのTシャツプレゼントが実施されていたと思われます。


別規格製品



大ヒット製品となったドキドキ学園チョコは、別規格(違うお菓子)の製品も発売されました。
1988年1月発売 「ドキドキ学園チョコチップクッキー」 30円 (近畿地方限定)
1988年9月発売 「ドキドキ学園チョコ(スナック)」 100円
1989年1月発売 「ドキドキ学園ラムネ」 50円



フルタ製菓 シール付き5製品 同時展開

フルタ アーミー星人チョコ 第6弾 モーゼス神王 (Colorful!) フルタ オールスター軍団ガム 第2弾 スペクトラ (Colorful!) フルタ バトル四皇帝ラムネ 第2弾 風の皇帝 風冠帝 (Colorful!) フルタ 十二戦支チョコキャンデー 第2弾 ラット・プリンス (Colorful!)

参入メーカーが40社を超え、フルタ製菓もドキドキ学園(チョコウェハー)、アーミー星人(円盤チョコ)、オールスター軍団(ガム)、バトル四皇帝(ラムネ)、十二戦支(チョコ味キャンデー)のオリジナルおまけシール付き菓子を5製品同時展開(5製品セットにした夏休み向け「フルタシール商品大集合詰合せ」を1988年7月に発売)するなどシールブームが過熱していた1988年8月、公正取引委員会が「菓子のおまけシールによる販売方法が不当景品類及び不当表示防止法違反の疑いがある」としてメーカーに中止するよう指導。

公正取引委員会から指導を受けた「全国チョコレート業公正取引協議会」は、自主的にシールの内容の改善を
検討することになりました。メーカーによってはホログラムシールの中止やシール素材ごとの封入率均一化などの対応により、キャラクター+シール素材が魅力だったブームの原動力がキャラクターだけになり、次第にシールブームが下火に。

フルタ製菓は5製品のうち、アーミー星人チョコと十二戦支チョコキャンデーは早い段階で終売となり、いずれの最終弾シールもノーマルシールでさえ現存数が非常に少なく、中古市場で相場が高騰しています。オールスター軍団ガムとバトル四皇帝ラムネも2弾までで続弾せず終売となり、弾数に対して比較的長い販売期間があったため、最終弾でも比較的集めやすい状況です。ドキドキ学園チョコは、メイン宣伝媒体であった月刊コミックボンボン1989年4月号を最後に特集記事の掲載がなくなり(広告掲載のみになり)、今後の企画を模索する段階へ。

POS最終販売履歴
アーミー星人チョコ 1989年7月
オールスター軍団ガム 1990年3月
バトル四皇帝ラムネ 1990年8月
十二戦支チョコキャンデー 1989年4月
※最終販売履歴ですので、全国のPOSレジ利用店舗での最後の1個が売れた履歴です。販売店舗の管理不足で長期間店頭に残っていて、それが売れた場合も含まれます。



アタック16








アタック16では、あたり景品が3種類に。次元戦艦μの8枚合体シール、そしてアタック7の最強神をホログラムシール素材で、天空神をスパークシール素材で復刻し景品に。インターネットが無い時代、過去のシールの入手は諦めるしかない時代に、まさに「あたり」の景品でした。あたりシールの封入は、体感的に1箱に3種ではなく、1箱に2種でした。なお、このアタック16は、シール数が69種で、1弾あたりのシール数がドキドキ学園の歴史上最多となっています。



アタック17



アタック17では、2つのキャラクターが角度によりチェンジするホログラムシールが登場。これまでは通常1弾につき4種のホログラムシールが出ていましたが、このアタック17は2つのキャラクターを1枚にした影響かホログラムシールが2種しか登場しない形になりました。直前のアタック16と比べるとシール数も少なく、その影響かホログラムシールや妖魔空母Δの8枚合体シールは、アタック16と比べて2倍の封入率となる1箱に2枚で封入されていた模様です。



そして、ドキドキ学園初となる抽選応募券シールが登場(開運シールに付属)。応募すると抽選で毎週500名にドキドキ学園トレーナーがもらえました。毎月ではなく毎週というところに当時の人気の高さが伺えます。あたり景品のスーパーカタログは、アタック1から17までの全シールが掲載されています。これまでのシールカタログポケットブックのようなブックタイプではなく、ポスタータイプになっているため、資料的に保存や利用がしにくいシールカタログ(裏面はすごろくゲーム)となっています。これで一区切りが付いてしまった感じが強く、この後カタログ系の景品は登場せず、アタック18以降のシールリストの把握は、各アタックのドキドキNEWSを入手するしかなくなりました。

<管理者History>
シール数の少なさと封入率のバランスの影響か、このアタック17のみコンプリートできました。トレーナーの応募券は3枚当て、コレクション用の1枚を残して2枚分応募しましたが、ハズレています。後年、インターネットオークションで応募されていない未使用の応募券シールをよく見かけるので、郵便はがきを買って抽選に応募するのは、子供にとってハードルが高かったようです。(なお、トレーナーは、衣料品メーカーからも市販されていたものを景品にしていた模様です。)




アタック18






アタック18では、ホログラムシールが4種に復活。4種揃えないとイラストが完成しないという状況で、ハードルが高くなっています。

<管理者History>
発売当時、ホログラムシールは8枚くらい引き当てましたが、コメットμ1のみ入手できませんでした。よりによって先頭の1番がなくて、残り1種からダブりが続いてもどかしさが残った思い出。



 

これまでのアタックでシール裏面の変更や説明追加等は頻繁に見受けられましたが、シール表面の変更はアタック7の最強神イーグルターボのみでした。このアタック18では、Δ魔忍メカ3(3種)のユニット名ロゴ部分がβ魔忍メカ3になっているという致命的な誤植があったため、Δへの修正版との2種が存在します。両方とも収集難易度は低めですが、ファイリングは正しいΔの方をおすすめします。









アタック18ではストーリーに連動して、μコメットまたはΔストーンにより、GARアップ(いわゆるパワーアップ)したシールが通常シールとは別に、ごく少数現存しています。通常のドキドキ学園チョコではなく、別規格製品のドキドキ学園チョコ(スナック)に封入されていたと思われます。発見地域が福岡県を中心としたごく一部の地域に偏っていることから、他の地域ではほとんど流通しなかった模様です。現存数が少なく、さらに全51種のため、コンプリートは不可能と思われます。

(このシールを持っている方は、ぜひヤフオクへ。ヤフオクが一番高く売れます。)




1988年9月、バンダイより発売されていたVHSビデオ「ドキドキ学園 決戦!!妖奇大魔城(1,480円)」が抽選プレゼントで登場。パッケージ裏面の応募券を切り取って、3枚1口で応募可能。パッケージ裏面には毎週300名、ドキドキNEWS第18号では毎週500名となっており、ドキドキNEWS第18号が配布中止(推測)になっていることから、500名が間違っていた可能性があります。なお、このビデオは在庫が余っていたようで、約3年半後のスーパードキドキ学園の最終期にも抽選プレゼントが実施されています。

<管理者History>
当時、このアタック18のドキドキNEWS第18号を入手できませんでした。アタック13以降、あたり景品郵送時にはドキドキNEWSが1枚同封されていましたが、このアタック18のあたり景品郵送時には第17号が入っており、次のアタック19あたり景品郵送時には第19号になっていました。第18号はインターネットオークションなど中古市場にほとんど出てこない(5年で1枚レベル)ことから、当時何らかの企画変更または諸事情があり、ほとんど配布されていない状況(≒配布中止)になっていたと推測されます。ビデオは市販品をサミットストア和泉店玩具売り場で見つけて購入していましたが、プレゼントでも当選しています。ピュアな小学生だったので、聖フラワー3が襲われるシーンが恥ずかしかった思い出。




アタック19

 



アタック19のあたり景品に、音と光のミニマシーン「パワーアップボール」が登場。当初の企画では「パワーアップボール」に「Zパワープレート」が付属し、「Zパワープレート」をZμ最強神シールの裏面に貼り、そこに「パワーアップボール」をあてて、音と光でパワーアップさせて遊ばせたかったようですが、そもそもZμ最強神シールを持っていないと遊べないためか「Zパワープレート」は中止となり、「パワーアップボール」単体での景品となりました。それに伴い、Zμ最強神の裏面は修正されています。



パワーアップボール動画
2004年1月4日撮影
(C)white-biscuits
Internet ExplorerとWindows Media Playerの組み合わせで再生できます。




アタック20







ドキドキ学園ではアタック19から自主改善の影響で、レアな「ホロ・プリズム・キラキラシール」で子供の射幸心を煽らないようにするためか、「ホロ・プリズム・キラキラシール」の封入率が上がり、逆に「開運シール」と「妖怪シール」の封入率が下がる逆転現象に。アタック20では、これぞフルタ製菓、これぞドキドキ学園と言えるホログラムや新素材を含むシール素材を大量投入。

封入率の逆転現象により、アタック19と20の「開運シール」と「妖怪シール」は、収集難易度は高くなっています。
アタック20は販売を早く切り上げて、次のドキドキ学園SUPERUに移行してしまった地域もあったと推測されます。(その救済措置か在庫再利用で、アタック23で再封入された可能性が高いです。)アタック20販売期間短縮に伴う措置として、引換切手不要の「キーホルダーあたりシール(大あたり)」が追加封入されています。

このアタック20ではシール数の調整を行ったようで、開運シールと妖怪シールが314番から321番までが発売されずにお蔵入りとなっています。その中からμ聖開運に選ばれているキャラクターがいるため、「腰魔鬼」「ひょっとこ組」「ドンデンガエル」の3種のみキャラクター名が判明しています。
 

 
ドキドキ学園SUPERU
(アタック21〜アタック22)
1989年4月発売
定価 30円
シール 全75種
カード 全73種

アタック21









当初アタック21は、アタック20に引き続き「ドキドキ学園 アタック21」として企画されていましたが、起死回生を狙って「ドキドキ学園SUPERU」とパワーアップしたドキドキ学園。定価30円とそのままの値段で、カードとシール付きという今では信じられない価格・内容で勝負。シール素材の種類はさらなる自主的な改善の影響なのか4種類と少なくなりましたが、カードをプラスするという逆転の発想。おまけシールの歴史上、コストパフォーマンスは最高レベルでした。

<管理者History>
全国発売は7月だったようですが、東京では新学期のタイミングの4月から発売されていました。東京が先行発売地域に入っていたと思われます。なお、東京での初期は、ホイル素材及びゴールドEプリント素材のカードは、カード素材ではなくシール素材のカードが封入されていました。



アタック22







そして、アタック22では、カードとシールでキャラクターが別デザインとなり、カードは当時流行っていたSD(スーパーデフォルメ)になりました。開運と妖怪もカードとシールで別デザインとなっており、カードの方でも妖怪退散仕様のデザインとなっています。単純に2倍のキャラクターデザイン(予算)となったためか、カード・シールともに新登場の枚数が少なく感じるアタックとなりました。

<管理者History>
アタック22は販売期間が半年以上にもなり、アタック23になかなか進まず、これでもかというくらいに購入したアタックになりました。それでも、ホイル素材のシール及びカードの封入率の低さ(体感的に金シール1箱1枚、銀シール1箱1枚、銀カード1箱0.5枚)により、コンプリートには程遠い状態でした。
 

 
ドキドキ学園SUPER3
1990年3月発売
定価 30円
シール 全55種

アタック23





当初アタック23は「ドキドキ学園SUPERUアタック23」として企画されていて、カードとシール付きで販売する予定でした。しかし、アタック22が長期販売延長(半年以上)されている間に企画が変更され、ドキドキ学園SUPER3としてリニューアル。おまけはシールのみに戻り、シールも当初の企画段階の新キャラクターを使用せず、アタック20の全55種がそのまま再封入されました。






当初企画されていたカードとシールは中止となりましたが、あたり景品は当初の企画どおりの景品となったため、ホログラムカードとスタンドシールは入手することができました。

<管理者History>
当時、このドキドキ学園SUPER3をサミットストア和泉店(東京都杉並区)で1回だけ購入(在庫全部)したのが最後になりました。(次に行った時、その販売スペースは別のお菓子になっていました。)あたりシールを2種引き当てましたが、コレクターの本能なのかコレクション用にして、引換しませんでした。(その結果、景品は入手できず。)

この後しばらくして(アタック24の前よりも後だった可能性が高い)、行動範囲内でドキドキ学園チョコを店頭から見かけなくなっていたので、フルタ製菓大阪本社に問い合わせの電話を1回しています。若い女性社員様に居住地を聞かれ「東京」と伝えたところ、「ドキドキ学園の販売は終了しました」とお答えいただきました。スーパーのお菓子売り場に行かなくなってしまいましたが、その後9年間(引越も2回していますが)ドキドキ学園だけは捨てずに保管していて、大人になっていた1999年4月26日に至ります。

 
 
ドキドキ学園SUPER4
(アタック24)
1990年8月発売
定価 30円
シール 全30種

アタック24








「開運軍団 VS 妖怪軍団シリーズ」は、このアタック24がラストアタック(最終弾)となりました。当初の「ドキドキ学園SUPERUアタック23」として企画されていたキャラクターがドットデザインの「ファミコンシール」となって登場(開運と妖怪は除く)。最後のあたり景品は、これまでのホログラムシールとカードをレインボーセットとして、切手1枚のみで大放出。

当初は「おもしろ妖怪」としてスタートした「開運軍団 VS 妖怪軍団シリーズ」は、このアタック24まで販売が続き(妖怪シールも最終弾まで登場し)、シリーズ通算シール数は全1155枚となり、「ビックリマンチョコ 悪魔 VS 天使シリーズ(ロッテ)」に次ぐ、シール数が1000枚を超える記録を残して終了しました。(総販売数は100万ケース、3億6千万個を超えています。)


ドキドキ学園チョコ
JANコード 49750669
POS販売履歴 1986年11月21日〜1991年9月26日
 


 
スーパードキドキ学園チョコ
次元忍者軍団 VS 魔風忍者軍団
1991年7月発売
定価 50円
シール 計30種







第1次おまけシールブームが過去のものとなっていた1991年7月、フルタ製菓が再び発売した「スーパードキドキ学園チョコ」。定価は50円にアップし、お菓子も大きくなっています。「次元忍者軍団 VS 魔風忍者軍団 嵐の章」という設定です。

シールをマップ(パノラマグラフィー)に貼って遊ぶことができ、剥がしてコレクションもできるという新しい試みのリターンフィットシール素材を使用しています。シールサイズは、ドキドキ学園基本サイズより縦横それぞれ2mm大きくなっています。



当初は嵐の章30種のキャラクターうち、20種が封入されていました。1991年11月頃に「嵐の章レベル2」として残り10種のキャラクターが追加され、嵐の章は完成しています。シール素材の種類が多く、シール素材違いも多数あり、全盛期を髣髴とさせます。レベル2追加10種のシールの現存数が非常に少ないため、初期20種封入のスーパードキドキ学園チョコが店頭在庫として残ってしまっていたと思われ、レベル2の販売に影響が出ていたと推測されます。

(このシールを持っている方は、ぜひヤフオクへ。ヤフオクが一番高く売れます。)



ヘッドの起源聖賀神は、レベル2発売時にデザイン変更(マント透過処理)が行われています。起源聖賀神は、初期版、レベル1の素材違い、レベル2のデザイン変更&素材違いの3種が存在します。

 
 

 
スーパードキドキ学園チョコ
開運軍団 VS 妖怪軍団 (パノラマシリーズ)
1992年4月発売(推定)
定価 50円
シール 計31種(推定)









スーパードキドキ学園が製品名、JANコードそのままでリニューアル。「開運軍団 VS 妖怪軍団シリーズ」全盛期のアタック7〜9のキャラクターを使用し、シール裏面がSCENE1〜12のオリジナルストーリーになっています。SCENE1〜12の12枚のシール(イラスト)をつなげると、パノラマイラストが完成します。シールサイズは、ドキドキ学園基本サイズの5cm四方となっています。

スーパードキドキ学園のPOS最終販売履歴は1992年11月9日ですが、これは「次元忍者軍団 VS 魔風忍者軍団 嵐の章 レベル2」の賞味期限のタイミングとほぼ一致するみられることから、「開運軍団 VS 妖怪軍団 (パノラマシリーズ)」は、ほとんど限定的な販売だったと思われます。

そして1993年1月、「ドキドキ学園チョコ(新型スーパーシール入り)」として30円で再登場の報道発表がありました。「新型スーパーシール」と謳っているため、全国的には初登場となる地域が多かったと思われるパノラマシリーズのシールが封入されていたと思われます。50円設定ではなく30円に値下げして、復活を目指したと思われますが、販売状況は非常に厳しく好転しなかった模様(※)です。

※この時のドキドキ学園チョコがPOSの販売履歴(1993年)に残っていません。ほぼ同時期にアニメ放送開始の「無責任艦長タイラー」の販売権が取れたため、男児向け製品はタイラー最優先になり、ドキドキ学園は発売中止となった
可能性が高いです。

最後はこのドキドキ学園チョコの在庫の一部(初期製造分?)がいわゆるバッタ屋に流れたようで、「菓子詰め合わせ商品の中身の1つになっていた」との情報があるため(※)、このシリーズはデッドストックが出てくる可能性があります。

※1994年にスーパーでお菓子パックを購入し、封入されていたパノラマシリーズのシール画像をインターネット上(2000年2月9日 ドキドキ学園大阪分校)に初めて画像提供されたギル毒メッキ様に、シール交換会(2000年7月20日 種子島平和会議)にてお聞きしました。


シールブームが完全に終息していたため、シールの現存数が非常に少なく、2006年12月17日には、まんだらけなんば店シール販売イベント「スーパー渡萌え」にて、最強神・水嶺神が1枚50,000円(税別)、天空神が1枚38,000円(税別)、開運・妖怪も1枚30,000円(税別)のプレミアムが付くほど価格高騰しました。
(このシールを持っている方は、ぜひヤフオクへ。ヤフオクが一番高く売れます。)


※「パノラマシリーズ」は、当サイトが便宜的に設定したシリーズ名です。

 

 
ドキドキ学園チョコ
開運軍団 VS 妖怪軍団 (1999年復刻版)

1999年5月発売
定価 30円
シール 全30種







ドキドキ学園が再び世の中に姿をあらわしたのが、ブーム時に小学生だった世代が大人になっていた1999年5月、「ドキドキ学園チョコ」として、ドキドキ学園アタック7〜9のキャラより全30種、当時の価格・パッケージで見事に復活!残念ながらホログラムなどのシール素材は変更されていましたが、発売されたことに意義がありました。(開運と妖怪のナンバーが50番から始まっていますが、49番までは存在しません。当時、フルタ製菓に電話確認済です。なぜ、50番から始めたかは謎です。)

<管理者History>
1999年4月26日、二木の菓子上野アメ横第一営業所(東京都台東区)に駄菓子の買出しに行ったところ、2階の売り場であのドキドキ学園チョコを発見!見つけて10秒で2箱買い物カゴへ(まさしく大人買い)。この時、二木の菓子に行っていなければ(売り場で視界に入っていなければ)、復刻発売に気付かず、このウェブサイトは存在していなかったと思われます。
 


 
ドキドキ学園新世紀21チョコ
神衛団 VS 邪侵族

1999年10月発売
定価 30円
シール 全30種







ビックリマン2000チョコ(ロッテ)が爆発的な売れ行きを見せていた1999年10月、ドキドキ学園もドキドキ学園新世紀21チョコとして登場!なんと、ビックリマン2000チョコの定価60円に対して半額の定価30円と驚異的な価格で発売!「神衛団(ガーディアン) VS 邪侵族(ハッカー)」という新設定。

ミレニアムの2000年1月には、かつての第1次おまけシールブームさながら、ビックリマン2000チョコ(ロッテ 1999年4月発売)、ドキドキ学園新世紀21チョコ(フルタ製菓 1999年10月発売)、ハリマ王の伝説リターンズチョコ(カバヤ 2000年1月発売)、ガムラツイスト(カネボウフーズ 2000年1月発売)と各メーカーが再び勢揃い。普及したインターネットによるファンサイト開設ならびに掲示板を利用したシール交換、1999年9月28日に始まったYahoo!オークションによる個人間シール売買、コレクター主催のシール交換会が全国各地で開催されるなど、第2次おまけシールブームの様相を呈しました。





<管理者History(1999年9月28日以降)>

Yahoo!オークションで最初に落札(開始月の9月に入札!)したのは、アタック7と8の水嶺神3枚セットでした。スタートしたばかりでしたが、他にも入札者がいて競りました。オークション最初期は、水嶺神1枚1,000円位が相場でした。小学生の時に揃わなかった(欲しかった)アタック8「水嶺神 ミサイルボンバー」を入手したことで火が付き、その勢いで1999年11月2日、当ウェブサイトColorful!仮公開。同日、
Yahoo!ID「white_biscuits」取得。

仮公開後、ブーム時にドキドキ学園をご担当されていたフルタ製菓S部長様(お名前からもドキドキ学園タイムスに登場されていたMr.ズッキー氏と思われます。)に、シール画像掲載について快くOKを頂き、
1999年12月1日、Colorful!公開。

サイト開設当初に設置してあった掲示板
(2018年7月28日、2002年1月にキーボード故障により動かせなくなっていた当時のパソコンのHDDからデータを発掘。)

なお、ドキドキ学園を紹介した最初のインターネットサイトは、静岡県立大学の学生サークル「ロッチ」が公開したサイト(ドキドキ学園は、如月氏が作成の1ページ)と思われます。(著作権法により転載できませんが、データ保存してあります。)

1999年12月10日の夜、Yahoo!オークションに「
ドキドキ学園 全シール」のタイトルで出品があり、画像と詳細説明がないため、2時間くらい悩んだ末、ちょうどボーナス支給日だったこともあり、当時としては破格の10万円で落札(開始価格=希望落札価格設定)。出品者(大阪)から届いたシールは、アタック1〜23全シール(状態は完品)で、「コミックボンボンスペシャル ドキドキ学園(講談社)」の全シールプレゼント(1名)で見かけたのと同じアルバム帳付き(研究室の記載あり)でした。貴重な資料をウェブサイト掲載用としてYahoo!オークションに放出してくださったと思われます。シール画像をスキャンして随時追加公開。(参考までに、当時のプロバイダのホームページ容量は、5MBでした。)

2000年6月27日、当サイトに「ドキドキ学園とは?」のページを設置。(現在閲覧されているこのページです。)

2000年7月20日、当サイトで「パノラマシリーズのシール(開運115)」を初公開。このシールは、当時流行っていたインターネット上の異種交換掲示板で、ポケモンカード(第11回次世代ワールドホビーフェアで退場時に配布されたプロモーションカード3枚組未開封)とドキドキ学園シール(30枚くらい)との異種交換で入手したものです。お互いに欲しいものと不要なものが一致した素晴らしいトレードでした。

2001年1月1日、アタック12あたり景品「ドキドキ学園スーパー会員カード」で設定されていた有効期限でもあるこの日、フルタ製菓大阪本社へ一生に一度と思われる聖地巡礼。年始だったため会社はお休み中でしたが、守衛さん(?)がいらっしゃったので、ご挨拶させていただきました。

2003年12月29日、資料本(同人誌)「ドキドキ学園 ATTACK LEGEND」発行。
コミックマーケット65(東京ビッグサイト)にて頒布。

2006年12月17日、まんだらけなんば店にて、シール販売イベント「スーパー渡萌え」開催。10月28日に、まんだらけウェブサイト渡の巣「第3商」で予告されていたパノラマシリーズのシールが12種販売(歴史上最多枚数)されました。ミラクリストの名に相応しいスーパー渡様の発掘力の賜物です。販売価格が当時の相場では高めの設定だったためか他に購入者がおらず、狙っていたシールは無事に購入できました。

2007年3月21日の朝、まんだらけウェブサイトをチェックしたところ、渡の巣「あと7くらい?」という今月の売上額(ノルマ)が7万円くらい足りないという趣旨の記事に、まんだらけなんば店で「ドキドキ学園 空袋(おばけ組&おもしろ妖怪)」3月21日販売情報(販売価格不明)が!!文字通り着の身着のままで自宅を飛び出し、新幹線に飛び乗り大阪へ。シールご担当のスーパー渡様の御配慮もあり、各5,250円で無事に購入。
(歴史の解明 その1)

2008年3月15日、大阪市中央区に「まんだらけグランドカオス」開店。初日販売イベントでの購入1順目は、十二戦支チョコキャンデー第2弾ヘッド「ラット・バトラー」を購入。

2008年4月5日、東京都千代田区に「まんだらけコンプレックス」開店。初日販売イベントでの購入1順目は、ドキドキ学園新世紀21チョコ「営業用の製品案内チラシ(設定掲載あり)」を購入。

2009年5月5日、「まんだらけ中野店」シール販売イベントで、整理券番号4番を引く(前回の中野店販売イベント時は60番くらいで何も買えず)。前日の下見時に確認していた「ドキドキ学園SUPER3 あたり景品 スタンドシール イプシロン」を2,160円で無事に購入。アタック24のリストに「イプシロン」と「アクア」のキャラクター画像を公開。シール収集、ウェブサイト更新に一区切り。

2016年9月10日の朝、ヤフオクのアラートメール着信で起床。「
パノラマシリーズ フルタ スーパードキドキ学園チョコ 空袋」が出品されており、そのタイトルで一瞬で目が醒める。100,000円で入札するも、資金力のあるコレクターさんに高値更新され、作戦変更。ターゲットを変えていただくため、アーミー星人チョコ幻の最終弾ヘッドシール2種を放出出品。作戦が成功したのか、9月11日の夜、117,500円で無事に落札。出品したアーミー星人シールは、2枚合わせて1,000,000円を超えて終了!
(歴史の解明 その2)

新型コロナウイルスが猛威を振るい日常が一変していた2020年11月3日、「ドキドキ学園チョコアタック5パッケージ」を含んだセットが出品されており、11月4日の夜、20,000円で無事に落札。応札者なく、自分以外のウォッチリスト登録者も1人だけというコロナの影響を感じずにはいられない落札でした。これまで推測だった「アタック5のあたり景品は、ストックブックで店頭引換」が確定しました。
(歴史の解明 その3)

たくさんの偶然・奇跡・御協力が重なって、現在にいたっています。





<おまけシール 当時購入したもの(記録用)>

1985年(昭和60年)8月発売のビックリマンチョコ(悪魔 VS 天使シリーズ)の大ヒットにより、翌年から他社が続々参入し、各メーカーから100製品以上も発売された第1次おまけシールブーム。昭和の終りとともにブームが下降したため、正に昭和60年代を代表する歴史の1ページです。当時、何を購入していたか忘れないように(忘れないうちに)、記録しておきたいと思います。


・ビックリマンチョコ 悪魔 vs 天使シリーズ(ロッテ)
1985年8月発売 (1993年7月POS最終販売)
クラスで流行り出していた1986年1月頃、第2弾から購入。第1弾は1回も買えず。第1弾のシールを持っている友達が羨ましかった。バレンタインデーに男子にビックリマンをあげる女子がいた記憶あり。南台商店街の駄菓子屋「岩瀬」(中野区南台)、「ファミリーマート中野南台店」(中野区南台)で主に購入。最初に当てたヘッドは、第3弾のスーパーデビルの黒。「出たー!」という感じではなく、「出た・・・」という感じで思考が止まったような感覚の記憶あり。ホログラムシールは1回も当たった記憶なし。文房具店「文駿堂」(渋谷区本町)で購入した切手アルバムをシールアルバムにしてコレクションしていた。ビックリマンチョコは第12弾くらいまで購入していたと思われる。ドキドキ学園チョコを購入してからは、購入しなくなった。ファミリーマート中野南台店では伝説の「1人3個まで」を経験。通算150個くらいの購入数だったと思われる。

なお、ビックリマンの前は、キン肉マン消しゴム(パート24まで)を買っていた。キン消しのラスト購入は、サタンクロス欲しさに川島商店街の玩具店「トイメート」(中野区弥生町)のガチャガチャ。なけなしの100円でサタンクロスどころか、マイナー超人のダブり(ミサイルマン)が出て、帰り道ガックリときた記憶あり。心が折れて、以後購入せず。ちなみに、キン肉マンのアニメ初視聴は、ラーメンマンがウォーズマンにスクリュードライバーで殺られるシーンだった(衝撃)。

・ビックリマン(ロッチ、コスモス)
発売日不明

南台三丁目公園そばの「阿部商店」(中野区南台)のガチャガチャでニセモノとわかった上でヘッドが欲しくてガチャガチャを回したところ、最初にヘッドが入っていないカプセルが出て(まさしくハズレ)、しかも偽物なので100円が高く感じ、ディスプレイ台紙に載っているヘッドもまず出ないと判断して、それ以降ほとんどやっていないはず。しかし、ヘラクライストの弾の時にヘラクライストの緑と赤が欲しくて(カラープリズムの威力)、「阿部商店」のガチャガチャでヘラクライスト赤を入手(筐体の中のカプセルの数が残りが少なく、ヘラクライスト赤が次の1回で穴に落ちるタイミングとわかった)。それが最後でやはり偽物感もあり、以後購入せず。ちなみにコスモスのジュースの自販機サイズの大きい筐体も見たことあるが、あたりの景品(おもちゃ)なんか出ないだろうと小学生ながら冷静に判断して、1回も購入せず。

・RPG忍者の戦い(やおきん)

発売日不明
南台商店街にある駄菓子も販売していた玩具店「あさひや」(中野区南台)で購入。ホワイトクリームウェハースが美味しく、20円と安かったのでコンプリートまで購入。

・快怪魔界(明治製菓)
発売日不明

W君と一緒にセブンイレブン南台店(中野区南台)1回だけ購入。枚数が多く地図を完成させるのは無理と冷静に判断して、以後購入せず。

・ケンちゃんラーメン(サンヨー食品)
発売日未調査
ライフ南台店(中野区南台)を中心に購入。おそらく10回以上は食べている。ケンちゃんボールペンも2回当たった。

・忍者ひも丸(杉本屋製菓)
1985年2月発売
購入店記憶なし。初期ではなくシールブームになって、リニューアルされた後に購入。あたりで「忍者オーロラシール」をもらうも、「ひも丸」ではない知らないキャラ(闇照之介)で嬉しくもなんともなく、以後購入せず。

・ファミコンヒーローチョコ(ロッテ)
1986年8月発売
購入店記憶なし。1回か2回購入。スーパーマリオの透明シールをめくった記憶あり。シールが欲しくてではなく、ファミコン(スーパーマリオブラザーズ)のお菓子ということで、購入したと思われる。


・ドキドキ学園チョコ(フルタ製菓)
1986年8月発売 (1991年9月POS最終販売
1987年11月22日、セブンイレブン南台店(中野区南台)でアタック8を初購入(5個〜6個くらい)。1990年春、ドキドキ学園SUPER3をサミットストア和泉店(杉並区和泉)で在庫全部購入(20個くらい)したのが最後。この2店舗とライフ南台店(中野区南台)で主に購入していた。サミットストア笹塚店(渋谷区笹塚)でも購入していたが、アタックの進み具合が遅かった(地域性?)。通算では2000個以上購入。

△めざせまるきんチョコ(松尾製菓)
1986年11月発売
1回だけ1個購入したような。いわゆるミルクチョコ単体が好きではないので、それ1回のみで購入していない。シールの記憶がないため、2000年に購入した時の記憶と混ざっている可能性あり。

・こまったときのガムだのみ(明治製菓)
1987年2月発売
ファミリーマート中野南台店(中野区南台)で1回だけ数個購入。ガムの味が美味しいと思いながら食べた記憶あり。ヘッドは出なかったため、以後購入につながらず。

・ラーメンばあ(ベルフーズ)
1987年3月発売
(1990年5月POS最終販売
K君と一緒にセブンイレブン南台店(中野区南台)で1回だけ1個購入。どんぶりにお湯を入れてラーメンにして食べた記憶あり。しょうゆ味だったため1989年に購入した模様。シールは記憶なし。シールよりもラーメン目的で買ったと思われる。


・必殺ガムラツイスト(カネボウ食品)
1987年3月発売
(1990年12月POS最終販売
夏のプール帰りに大宮八幡宮(杉並区大宮)そばにあった商店(駄菓子屋)で1個だけ購入。主要キャラじゃないシール(たぶん天帝コメット)がでて、嬉しくもなんともなく以後購入せず。この店ではドキドキ学園チョコを販売していなかったので、ガムラツイストを購入した。ドキドキ学園を集めている時期なので、1988年の夏に購入。ドキドキ学園の30円に対して、ガムラツイストの50円は高く感じた思い出。

・秘伝忍法帳(森永乳業)
1987年8月発売 (1990年6月POS最終販売
M君と一緒にセブンイレブン南台店(中野区南台)で1回だけ購入。ヘッドが出ず、次に買う気にならなかったような。

△ハリマ王の伝説チョコ(カバヤ)
1987年8月発売 (1990年6月POS最終販売)
1回だけ購入したことがあるようなないような。2000年1月発売のハリマ王の伝説リターンズ購入の記憶と混ざっている可能性あり。キャラクターのイラストが好みではないので(パーケージの時点で)、購入していない可能性あり。


・ビックリカップラーメン(ベビースター)
1987年8月発売
住宅街にある食品販売店「山崎」(中野区南台)にて1回だけ数個購入。店頭にチラシが貼ってあった。
蓋の裏面についていたシールを剥がした記憶あり。

・ビックリマンアイス 悪魔 VS 天使シリーズ 復刻版(ロッテ)
1987年11月発売

主にファミリーマート南台店(中野区南台)で購入。スーパーゼウス入手成功。シャーマンカーンは欲しくなかったのと、タイミング的にドキドキ学園に移行したので、アイスは第1弾だけしか買っていない。
冬だったので寒かった記憶あり。通算では10個くらいの購入数だったと思われる。

・十二戦支チョコキャンデー(フルタ製菓)
1988年6月発売
セブンイレブン南台店(中野区南台)でドキドキ学園が売り切れていた時に1個購入。シールは「ラットブラッキー」。シール的に(裏面含めて)良かったが、次に行ったときには完売していて以後入荷しなかった。チョコキャンデーが美味しかった。購入は発売当初ではなく秋から冬にかけての季節だった記憶。

・ドキドキ学園チョコスナック(フルタ製菓)
1988年9月発売
サミットストア和泉店(杉並区和泉)で購入。通常のドキドキ学園チョコのチョコウェハーは飽きていたので、チョコスナックが美味しかった記憶あり。最初はクリスタルで、しばらくしてけしごむに移行。クリスタルは製造工程の関係か、色の偏りが大きく全4色のうち2色ばかり出た。1弾12種キャラコンプ、2弾は残り1種(幌数光比怨幻魔体)の状態で終了。1弾はアタック15のシール、2弾はアタック16のシールが封入されていた記憶あり。通算50個くらい購入。


【参考】ビックリコチョコ(ロッテ)
1992年1月発売
サミットストア和泉店(杉並区和泉)でビックリマンの女の子版が売っていると思った記憶あり(購入はしていない)。菓子売り場で見かけたパターンではなく、女の子が嬉しそうに購入していたのを見た記憶。この時期は、スーパードキドキ学園チョコ(後期)のタイミングで、この店舗に入荷していれば、ニアミスになっていた可能性あり。


以上、100製品以上発売されていたにもかかわらず、ドキドキ学園チョコばかり買っていたので、結果的に10数製品しか購入していませんでした。スーパーやコンビニでは、ドキドキ学園チョコのそばに色々と売っていたはずですが、同じフルタ製菓のアーミー星人チョコ、バトル四皇帝ラムネ、オールスター軍団ガムなども、インターネットが普及するまで知らない状況でした。




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2018年5月31日 white-biscuits




フルタ製菓株式会社 大阪本社 2001年1月1日撮影 white-biscuits
フルタ製菓株式会社 (大阪市生野区)
2001年1月1日撮影


セブンイレブン南台店(東京都中野区) 2017年11月23日撮影 white-biscuits
最初にドキドキ学園チョコを購入したセブンイレブン南台店 (東京都中野区)
30年後の2017年11月23日撮影
小学生の時には大きく感じていた店内が、こんなに小さかったのかと感じましたが、当時の面影のまま写真に収まりました。







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