自分なりのSM論

SMは本来、自分本来の姿を曝け出せる相手と関係を築き上げるための一つの手段であり、それが性癖に特化したものだと私は考える。
手段であるから、その手法は人それぞれ千差万別ある。
これが、SMは百人趣向する人がいれば、百の手法があると云われる所以なのだ。
もし、貴方がその手法をまだ見つけあぐねているのならば、思考錯誤しながら自分のなりの手法を確立して行けばいいし、貴方が確固たる手法を持っているのであれば、自分の思う手法を更に確固たるものにする事に邁進すればいいだろう。
ただ、SM以外でも云える事だが、人がある特定以上の関係を持とうとすると、そこには必ず信頼関係が必要になってくる。
むろん、最初から確固たる信頼関係が成り立つなどと云う事はありえない。
最初は興味が先に来るだろう。どんな人なのか?どんな考えを持っているのか?
手探りしている内に相手の人となりが解り、お互いが信頼するに値すると判断した時に初めて信頼関係というもめて成り立つのである。
もし、自分が相手に信頼されたいのであれば、信頼されるような行動を取らなければいけない。
そのような段階を、一っ飛びに超えてしまった関係ほど危ういものはないだろう。特に、本性を剥き出しにするSMは信頼関係がないと所謂「死」にも結びつく可能性があるからだ。
そう云う意味合いからも、じっくり話し会い他人を知ると云う考えを持ってこの世界に入って来て欲しいと思う