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ここで主人の病気、怪我によることがらを記してみたいとおもいます。

結婚してからの主人の入院は10回はくだらない、その中でも足の骨折など怪我によるものが半数をしめていますが、もっとも私がショックだったのはアンテナ調整での屋根からの落下による事故です。

これは息子が5才のときでした。主人の会社から電話が入り主人が屋根から落ちて意識不明となり救急車で病院に運ばれました すぐきてくださいとのこと。

ちょうど主人の母親がきておられたので息子を頼み会社近くの病院までかけつけましたところ、主人は意識がなく耳から血が流れ首のあたりもふくらんでいます。

会社の事務員さんがそばに付き添っていてくれていました。

『あなた! あなた! 』と呼んでも反応がありません 私の体がふるえてくるのがわかりました。ただ ひたすらそばで様子をみるしかありません。年末の29日の出勤日でした。

事務員さんもよろしくお願いしますと帰っていかれました。私はただ翌日までじっと見守るだけでした。その時間のなんと長かったこと。

あとで主人から聞いたのですが、店の大屋根のアンテナを調整して屋根から下りるとき足場の物干し台が折れて落ちていくのまでは覚えてるが後は翌日まで意識なしで、普通なら足などの打撲か悪くて骨折のはずがもろに下においてあった洗濯機が頭の後頭部にあたり全衝撃がそこへ集中して気絶にいたったもの、なぜなら、

腕や足などはかすり傷ひとつしなかったことがそれを証明する。といっていました。

だから主人は並はずれの石あたまを自称するくらいだから助かったけど、ふつうの人なら死んでいたかも?。

これよりずっと後の話ですが、主人の部下が交通事故で瀕死の重傷。 脳外科の手術で一命は取りとめたのですが、植物人間はまぬがれないと医師より宣言され、まだ赤ちゃんを抱いた若い奥さんは将来を悲観したのか、飛び込み自殺をされました。

私たちにはわかる様な判らないような複雑な心境ですが、よく主人が『もし俺がそのようだったらお前はどうする?』

『そんなこと何も考えたことないし、現実にその局面にあってないのだから答えようがないわよ でも可愛い息子がいるのだから死ぬことはかんがえられない。』

横道にそれましたが、翌朝には主人は呼びかけるとうっすらと目をあけて見るようになり端的ですが応答が出来るようにもなりました。

看病のための交通の便で近所の行きつけの総合病院へ正月最中にかわったのですが、正月のため医師がいず、そのことが原因で看護婦さんと口論になり主人はさっさと家へ帰ってしまいました。

私は病院には頭を下げつずけ担当医の院長は、

『あんたの主人でしょ?』としかられ情けなかったです。

次は市大病院にするとのことで、タクシーでの通院になりました。そのときの担当医はいまでも覚えていますが、とても温厚な感じの先生でお顔をみるだけで安心感がありました。

主人の方はと言えば病院の廊下を私と歩いていても、人が振り向いてまで見る程、フラフラの状態でした。

レントゲン写真では前頭葉から側頭にかけて15センチ程の骨折があり、それはびっくりしました。

当時のことを思い出すと主人はすごく辛かったといいました。イライラしてもそれを抑えることが出来ずどのように表現していいのかもわからないしんどさだったと言います。

入院でもしていたら何らかの処置もとれたでしょうが、自宅ではそれもままなりません。

だからことごとく当り散らし、わずか5才の息子が、

『母さん、何か忘れてないか?・・チャントしてるか?・・』と毎日私にきくほど気をつかわせ可哀想でした。

でも1年足らずで職場復帰することになり、やれやれというところでしたが、頭の怪我は人格まで変わるんだと思い知らされました。

私はよく主人に馬鹿やと叱られるたび、あ、そうだ、私も頭を打って発熱し何十年もたった今でも打ったところがよく痛みます。そのせいでバカになったのだと思うことにしました。

 

『責任のがれするな!』と主人の叱る声が聞こえてくるようです。

それ以後の主人の欠点は何かあると感情が激することだと思います。その場はもうカーとなると止まりません

でも時間がたつうちに落ち着きいろいろ考え反省もしてくれます。そうそう私が馬鹿なばかりに怒らすことが多いのだそうです。

結婚当初は主人も手を出したことが何回かありました。

『今度から手を出したら離婚します。』

それからの主人はピタリと手を出さなくなりました。主人云わく。『その分口が悪くなったんや・・・』

順は年代とは無関係な書き方になりますが、つぎは電気屋がつぶれたあと東大阪の紙問屋に勤めた主人がわずか2ヶ月で大腿骨骨折という大怪我をし、またもや救急車で会社近くの病院へ入院、会社からの知らせに手馴れた入院の必要なものを大きな袋に詰め込んでバイクで中央環状線を北上、40分ぐらいの位置にある病院までかけつけました。

主人はベットに寝ながら足首におもりをつけられながら、痛い痛いと顔中冷や汗でうめいていました。

頭のケガの時は意識がなく、ただオロオロと心配してるだけでしたが、今度は口が達者なので、身体の不自由な分、口がよく動いてそれも大変でした。

骨の折れたこと自体は痛みはあまりないようなのですが、錘(おもり)の具合と足をよじって錘がつけられたための痛みとわかりやり直しをしてもらってやっと冷や汗もとまりましたが、次の手術日までそのままで待機とのことでギブスをかけるまではなんか毎日が戦争の感じでした。

9〜2時までのパートをしていた私は仕事が終わると毎日片道40分、バイクに乗っての病院通いとなりました。

本来この病院は確か準完全看護制度だったので、ほとんどの世話は看護婦さんがしてくれるのですが、主人の希望なので日参しました。

この病院は食事がとても美味しくて私が入院するようなことがあったら、この病院にしてね。と云ったくらいでした。

看護婦さんたちも若くやさしくとても感じのよい病院ですが、患者であるであるがゆえに私が心配しどうしだったのに主人は鼻の下をのばし手術のための毛ぞりでも何かわたしの口からは云いにくいのですが、エッチな気持ちを満喫したようです。

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(この欄ひろし記す。)

手術のときは衛生上必ず陰毛は剃ることになっているのは周知のとうりであるし、何回も経験している僕にとっては別になんでもないことであるはずなのだが、今回は通常とは違っていた。

執刀?する女性は30代の美人系である。好感度はあるが特に好きなタイプというわけでもない。彼女が剃りはじめた段階で僕のものの異変を感じた。完全に隆起しているのである。

彼女がやり方に細工をした様子など微塵もない。

こんなこと僕にとってははじめてのことである。でも悪くはないむしろ気持ちがいい。

ここで中年の厚かましさと言うか僕は目をつぶって充分味わうことに決めた。

看護婦さんも終始無言である。

時間は出来るだけ長いことをのぞんだ。そして仕事が終わっても勢いは下がらなかった。

僕はこのようなケースは相手が『好感度OKよ』という電波を発してるものと信ずる。

いままで電気屋の仕事で多くの女性と出会ったが、普通の対話でも勃起したこともあるが、長時間のドライブでも全く反応をしめさないこともあった。

これらは彼女たちが発する電波の如何によって僕への反応が現れるものと考えている。

若い頃散髪に行って相手がたまたま若い女性であって勃起したことが2回だけある。

普通はそんなことありえないのだが、相手の電波が僕をそうさせたのであろう。

彼女の吐息が海苔の香りであったことが忘れられない。

僕の知人の場合はそのときの女性の指を軽く噛んだといったが、まあこれは例外であろう。

あ そうそう このページは文子のもの、ぼちぼち引き下がらせてもらおう。

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手術が終わって患部を固定するためにギブス(石膏でくるんで固める)をつけたのはいいのですが、腰から足の全体を覆っている中で右親指の部分がまったく余裕がなく密着しているために指を動かせることができず、これがまた拷問に値するほどの責め苦らしく何回か手直しをしてよくなったのですが、やはり人間はは無意識ながらでも親指一本ですら動かせる必要があるのですね。

そのギブスを切るカッターですが、いつあやまって皮膚を切られるか冷や汗ものでした。

でもあとで知ったことですが、カッターの刃の部分が皮膚にあたると自動的に止まるのと

刃事態が回転運動ではなく前後運動と聞いて納得。

毎日40分かけての病院通いはたいへんなので、例の総合病院への転院を依頼し当院の救急車で迎えに来てもらいました。

病院が近くになったので通うのがうんと楽になり、収入も労災事故で手当てが出たので生活に支障はなく主人の浪費もなく労災手当8割の給料ですけどかえって生活は楽なくらいでした。

数多い主人の入院でもやはり怪我による場合がふじゅうだと思います。なんといってもトイレ(大)の始末があるからです。

起き上がることも出来ないときなどの長期入院では、どうしても運動不足による便秘で困ったことがあります。苦労してそれは解決はしたのですが、入院してるのだから看護婦さんに頼めばいいのに、主人はいやがります。

私は以前、看護婦も志望したくらいですから平気ですけど、当人としては他人よりわがままの言える私がいいのだそうです。

後先なりますが、一番はじめの入院は結婚して半年後、それまでずぅと付き合っていた扁桃腺炎の手術です。

扁桃腺は定期的にきて高熱で何日も仕事を休むため収入の安定が得られないからと決心して日赤病院で手術の運びとなりました

入院は数日で体力をつけるためにするそうで、何しろ40年も前のことですので、麻酔もかけず自分の舌をガーゼではさみ必死でひっぱり、医師が扁桃腺を切り取るという今では考えられない野蛮的なやり方で、特にその後の痛みをこらえるのに、それはつらかったそうで、聞いただけで私は絶対にしないときめました。

私も15年ぐらい扁桃腺炎で苦しみましたが、手術はしないと変なところに頑張ってしまいましたが、私の場合は1.5センチぐらい切れたように口があき、それっきり治ってしまい助かりました。

今の手術はどうなんでしょうか?。歯医者でもわかるように麻酔技術の進歩で痛みなど考えられないものと思います。

『あのときのやり方は拷問や!』と主人は今でこそ言えるのだと思います。

ちょうど妊娠がわかった直後でもあり、日赤病院の暗い廊下を歩きながら、一人でに涙があふれ暗い気持ちで一人家に帰ったのをおぼえています。

募集年令より1才上だけど、若くみえるから採用しょう、とタクシーの会社に入り2種資格をとり業務についた主人は毎日々地図とにらめっこ、それは勉強熱心でTY修理技術資格なども独学で取得したとも聞いていましたし努力家なの対し私は保母さんまたは看護士になりたいと希望しつつ一つも実現できず妻となり母となった毎日ですが、男は生活もかかることながらもよく頑張ってくれたと思います。

ところが、タクシーに乗り出してやっと順調かなと思いはじめたときに修理工場のくぼみに落ち、普通なら2メートル弱ほどなのでかすり傷ていどですむはずなのですが、手仕事中に突然呼ばれたので、穴のあるのを意識せず落ちたため、脳よりの防衛反応が全くないために足首骨折になったそうで、落ちた!とわかっていれば自己防衛体制が自然に働くそうです。

たとえば筋肉などがクッションやくをするようになるのでしょうか。

大腿骨のことと比較すれば足先ぐらいと思ったのですが、入院のベテラン?となった主人は病院の水がまずい、家から浄水器の水を運べ、(まだ水の市販はなかった)ごはんおかずを運べとわがままを言いだして毎日バイトに出る前から大荷物で病院に寄り仕事帰りはまた病院に顔をだしてあれこれと希望を聞きまた運ぶと大変でした。

このとき私は突然ひざに水がたまりぜんぜん曲げられず痛くてやっと歩き、ある人が『あなた それはストレスからよ』と言われましたが、数年前にひざをぶったことが原因とそのころはおもっていましたが、両方が原因だと今は思っています。

怪我以外の病気による入院とくに長期に至る場合は週に1回下着などを運ぶだけなので、ずっと楽なのです。

以上 主人の入院回数が多かったのに対し、私は結婚してからは1度も入院したことがありません。

私はもともと頑丈という身体ではなく子供のころの結核による入院生活のこともあり、ひとつぐらい入院があってもおかしくないのですが、おかげさまで現在にいたっております。

これには、パート、家事一切、と常に身体を動かしていたので病気の入り込む余地?がなく

精神力のたまものだと思ってます。だから、一時年末から正月にかけて必ず気のゆるみからくるのか、ダウンして発熱したものです。

その日常のおかげで体系もそこそこ維持できていたのですが、これから書く電気店の事務机に座るようになってからは、運動不足のせいかぶくぶく体重が増えてしまいました。

主人の会社で遂に店を一軒任せるという話になりました。といえばとてもカッコいいはなしのようの思えるのですが、実はそうではないのです。

バブル景気も下向きにはいり主人の先輩はすでに1号店を夫婦できりもりして2年になりますが、実収入はあお息と息らしく主人2号店は先行き見込みなしと拒絶していたのですが、N社問屋のセールスマンが自分の担当で市場の中だが空く店があると社長に勧めたのを主人の条件にあうと契約したようです。(条件とは今の家は出ず通うこと、)

主人は『前の店主が経営難でやめる店をよろこんで継げるか?』

私も娘がまだ3才だしと断りました。『じゃー他のものにさせとこう。子供さんが幼稚園に入るまで待とう』

結局1年後には、やらざるを得なくなりました。

場所は家からバイクで10分ほどで2階建て耐火市営住宅に接する市場内にあり私が店番をして夫婦で任されました。

一応チエーン店は今までいた元祖の店、工事部、1号、2号の4店ですが、年に一度の成績発表でトップになったこともあります。

はじめから潰れるのを承知で『どうせ2年ぐらいやろう』と主人は言ってましたが、何とか5年もちました。

店へ出勤するときに娘を途中の幼稚園に送りそれから店に入り店の掃除、展示、まわりの店の方々とのあいさつ、まず手近の人との交流をめざして社交話に花をさかせ、たまに通る買い物客にあいさつし、とけこむことに努力しました。

幼稚園の真子も一役かってそのお友達にも『うち電気屋の娘やねん』おしゃべりの花を咲かせ『ねえ やはりね、この親にしてこの子ありってわかったわ』と言われた客も出来ました。

そうこうする内に近くに大きなスーパーができ、量販店の支店も増えてきました。

市場の中も空き店も目立つようになり何れこの市場も潰れるだろうことは充分考えられました。

これは主人の予想が的中するだけのことで特に気にとめることではなかったのです。

主人は営業活動など一切しません。

もともと修理専門から店長になってからも営業などしたことがないらしく修理や共聴アンテナなど技術かねて依頼された仕事、譲り受けた顧客の商品の注文などが仕事だったらしいので、ましてやる気のないこの店のための営業まわりなど考えられないことです。

だから、朝のシャッター開けと夜の閉めは主人の仕事であとは顧客による注文などの依頼と修理意外は家で待機か遊んでいました。それが主人のやり方なのだから仕方ありません。

店で客を待っただけの売上では高い家賃代もでず一時店は知人に頼み私が外へ営業にまわることにしました。

はじめはみなさんがよく買ってくださり売上もぐっと伸びましたが電気製品だけなので一度買ったらすぐにはなかなかいらないので、売れなくなるし、『あの人と仲良くすると電気製品を買わされるよ』とまで言われ情けない思いもしました。

娘は幼稚園が終わると店の中の空き地でまわりの同じくらいの子供たちと仲良く遊ぶようになり勉強もさせようとすると他の子供たちは勉強ごっこでよく遊ぶのですが、我が家の娘だけはいなくなってしまうのです。

でも、近くの公園の鉄棒でひとりでよく遊んでいたというだけあって逆上がりをはじめとしいろいろな技は舌を巻くほど上手に出来るようになっていました。

また、市場では一日中有線で流行唄が流れているために自然と覚えて唄いながら市場を歩き回る陽気な娘でもありました。

主人が狩猟をやっていたので、ポインターの訓練をかねてよく奈良方面へ行くのですが、常に娘を連れていきます。

真子は山で草花を摘み『お母さんにあげる』と持ち帰るのですが家に着いたときは何時も枯れていました。私はその気持ちだけでも嬉しかったです。

市場のなかで娘が特に気にいって、(いないな)と思うとお邪魔していたのが文房具屋さんでした。お菓子を買っても貰っても私には一つもくれなくても文房具屋の定員さんには真っ先にあげにいくのです。

おとなしい人で、あいさつしてもニコニコなさるだけで何故か、どんな話をし、どんなおつきあい!?なのかも聞きそびれてしまいましたが・・・。

隣の荒物屋さんは素髪を肩までたらした当時クレオパトラ流の髪の双子の可愛いお嬢さんがいる方で若くてホッソリとしたご主人と奥さんは親密感のもてる愛想のいい人でした。

一番よく接触していた方なのに、何のはなしをしてたのかな、と思い出したくても思い出せません。

でも今でも会いたいなぁとの気持ちだけで実現はしていませんが、市場の中ではただ一軒ですが毎年 年賀状のやりとりはしています。

反対隣はカバン屋さんでして、ふっくら太った中年の奥さんで、ゆとりのある風体の人でした。毎日のようにいろいろなおやつを差し入れてくれました。

初めのうちは『ありがとう!』とすぐ食べていましたが、市場の中で、毎日陽はあたらず夏は強烈にクーラーで冷やされすっかり体調をくずしていたのに、体重だけは5K 10Kとどんどん増えて『えぇ!!』と気ずいて極力おやつは食べないで、お持ち帰りにしました。

ある日、化粧品屋のクレオパトラさんと話してたときに背中をパン!とたたかれた後に偶然でしょうがだんだん背中が痛くなりだし、針でつつかれたような痛みが広がり強くなってきました。

騒ぐののも悪いと思いましたが、辛抱しきれず近くの医院に連れていってもらいましたら、『冷えからでしょう、薬を飲んで寝てなさい』と言われ帰宅しました。

でも、どんどん痛みは激しくお腹まで痛くなりトイレに行ったところ血尿でしたが痛みはおさまり主人にも『たいそうにして・・』と叱られましたが、翌日もまた痛みがはじまり近所の総合病院へまた行きました。

レントゲンを撮ったら真正面に石がみえ腎臓からでて膀胱でとまってるところだったのです。

私がよたよたしてるので、技師さんがトイレまでかかえて同行してもらいました。

トイレでは石が素直にポコポコと3個出て、そのあとはケロッとなんでもなかったように元気になり私がニコニコ笑顔でトイレから出てきたので技師さんが妙な顔して驚いたようです。

診察のとき医師があの痛みは仙痛クラスの痛みだったそうで『がまん強いな・・』といってくれました。

『水分をたくさん取るように心がけなさい』といわれそれからずっと水ぶとりの私です。

二軒どなりがおとうふやさんで、雪ちゃんという名の娘と同じ年の女の子がいて、名前のとうり雪のように色白のかわいいお嬢ちゃんで、我が家の娘と仲良くしてくれて、途中から市場の近くの幼稚園に替わったのでその雪ちゃんのクラスにいれてくれました。

なんといいますか、大人のようなしっかりとした、またしずかなお嬢さんで『あかんよ、そんなん あかんよ』なんやかやと我が家の娘にしつけをしてくれる しっかり者でした。

奥さんはこれまた色白の美人系で夫婦での仕事でご主人は店先でにんじんやしいたけを上手に器用に切っているのをよく見かけましたが、がんもどきというものに入れる具がったみたいです。

当時の私はまだがんもどきなるものを買ったことも煮たこともなかったです。どうしてなのかな?。

今は銀杏も入ったがんもどきを時々煮ますが栄養万点美味しいものですよね。

でも、豆腐やさんてテレビで観た程度のことしか知りませんが、朝早くからの仕込みなどで大変だと思います。

他にも店の開店から閉店の前後の隠れた仕事は労働時間的にもあなどれない苦労があるものと考えます。

お肉屋さんの店先では大きな大きな男の人がコロッケとかを揚げています。いつも赤らんだ顔をして見ただけで恐そうな人です。(主人に言わせると、はぶりの効く顔だそうです)

赤顔はいつも揚げ物をしてるからのようです。ところがこの人はすごくやさしい男性だそうで、その奥さんの話では一度も怒ったこともない声をあらげたりすることもないとのことです。これは顔の恐い分努力してやさしくしているのではなく本音のようです。

(何か皮肉に聞こえるな・・陰の声)

でも、奥で肉をさばいているこの店の大将は小柄で一見やさ男でおとなしそうに見えるのですが、問題があるとなのなかすごく恐いそうで、市場の会議の時なども他の店の人たちはみな敬遠してました。

だから、外見での人を判断することほど当てにならないものはないのではないでしょうか。

私が用事や買い物に言ってもいつもニコニコとやさしい人でハムなどをさっと揚げて『美味しいよ』と食べさせてくれました。

今の時節のように海外から安い肉がどんどん輸入できていないので、私たちはめったに肉は買えないけれど、そこの奥さんと娘さん二人はみごとに丸々と太り元気そうでした。

清水の舞台から飛び降りる思いで、お正月にステーキをかいましたら何かゴムを食べてる思いで がっかりしたのを思い出します。

値段の安いものしか買わないからでしょうね。でも、店としては大切なお得意さんでいろいろと買ってもらいました。

主人が市場のガレージで、ポインター、ビーグル、など猟犬を数頭飼っていましたが、小型の柴犬も一頭仕入れたら、それをわけてほしいとの事で譲りましたが、主人の言うのには同じ犬でも『愛玩用と猟犬では血がぜんぜん違う。』とのことでうまく環境的に飼育できたかが心配です。

その血のことですが、例えば猟犬のポインターは獲物を見つけたときに尻尾をぴんと立て右前足を曲げるしぐさをします。そして微動だにしません。これをポイントといいますが、ポインターの名前の由来だそうです。

このポイントをして飼い主に獲物がいることを知らせるわけです。

その行為をポインターは教えなくても生まれながらにして行うのです。だから愛玩用の犬はそれをするのかどうかは知りませんが、長年の訓練によりその因子が受け継がれていくのでしょうか。