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ta meta ta physika》 と「形而上学」という言葉


  「形而下」と「形而上」という言葉は、『易経』に典拠がありますが、形而下とは、「形のあるものの世界」のことで、アリストテレスが「自然 physis」と呼んだものは、「形として顕現している事物・世界」のことです。「ピュシス」は、「生成する」という意味の動詞から派生している名詞ですが、「生成して、形となっているもの」が「自然(ピュシス)」であるのです。

  自然という言葉も実は、多義的な意味を持ちます。ピュシス(physis)を「自然」と訳したのは、西周か、誰か明治の哲学思想などの先達でしょうが、この訳語は、「みずからして成るもの」という意味でのピュシスの訳語で、この意味は、ソクラテス前哲学者たちの「自然・ピュシス」の概念や、その用法にはうまく合います。しかし、アリストテレスがいう「自然」は、少し意味が違っているのです。

  アリストテレスの場合、世界は実体(ラテン語で、「スブスタンティア substantia」、ギリシア語で「ウーシア ousia」)から造られており、実体が顕現して、感覚器官で把握できる「形ある事物として」現象しているものが、自然です。実体の「顕現態(energeia)」が、この世界であり、自然世界であるのです。

  それに対し、実体が顕現していない場合、我々の感覚器官では把握できないのであり、しかし、叡智(ヌース)的思索力で、この顕現していない実体のありようや、顕現の機構が了解し得るとして、「潜在態(dynamis)」の実体から、顕現態のこの世界・自然が、どのような法則や原理で立ち現れているのか、このようなヌース(叡智)的知識の領域での実在論を、アリストテレスは、自然の諸事物のありようについての著作以外に、短い論文で書いていたのです。

  アリストテレスが、生前、世に問うた著作、つまり、彼が生前、世のなかに発表し、当時の知識人が、「アリストテレスの著作」として読んでいた本の類は、現在、一つも存在していません。プラトンの場合は、事態が逆で、現在、「プラトン全集」として世にあるのは、「プラトンの対話編」として知られますが、これらはすべて、プラトンが生前、世に発表した著作です。

  プラトンの著作は、読んでみると分かりますが、対話や議論が中心になっていて、また、「物語」の形になっています。一般によく読まれている『饗宴(シュンポジオン)』では、冒頭に、ある人物が出てきて、過日、さる人の家で、宴会があり、そこにソクラテスも出席して、みんなで大いに議論して楽しんだということだが、わたしは残念なことに、出席していない……あそこに来るのは、誰々ではないか、彼は、出席したということだから、彼に、話を聞いてみよう、となり、そこで、道を通りかかった友人に声をかけると、その友人が、確かにぼくは出席した、あの宴会の様子は……と、話し始めて、「饗宴」の話になります。

  その宴会では、みなで、「愛(エロース)」を称えようという話になって、「愛とは何か」ということを、複数の人が論じた、と語られ、その論じた内容が出てきます。最後に、ソクラテスが出てきて、彼は、「愛は、人が求めるものであるが、愛自体は、「求められるもの」なので、愛には、愛がないのである」とか、詭弁のような屁理屈のような話をします。昔、デルポイの巫女のディオティマという女性に聞いた話だが、と言って、興味深い話をはじめるのですが、その話の途中で、酒に酔って、花冠を付けた、美声年アルキビアデスが出現して、ソクラテスに恨み言を言い、あれこれ絡んで来ます。

  そういう事件が起こっていると、みんな酒に酔って来て、酔いつぶれて眠りはじめます。この話の最後は、全員が酔いつぶれて眠ってしまったが、酒に強いソクラテスは眠らず、自宅に帰り、風呂に入って身を清めた後、服装を整え、新しい一日をはじめた、となっていて、全体が物語りというか、読み物になっています。

  プラトンの著作は、全体的に物語りになっていて、読み物になっています。また、プラトンは美文家として有名で、プラトンのギリシア語の文章は、美文体で書かれています。

  今日残っているアリストテレスの著作は、物語でも読み物でもなく、文章も、実用本位の素っ気ないものです。この違いはどこで出てきたのかというと、プラトンの著作は、彼が生前発表した「完成文学作品」が残って伝わったもので、他方、アリストテレスの場合、彼も、対話編や物語風哲学書を書いたことは伝わっているのですが、実物が、一つも残っていません。

  現在、「アリストテレス全集」として知られる著作集は、アリストテレスの死後、その学園の書庫倉にあった、アリストテレスの遺稿というか、彼が、世に発表しなかった、弟子のための講義用原稿とか、メモランダムとして書いていた原稿を、弟子が編集して、本にしたものです。従って、書物の配列も、この弟子のアンドロニコスが決めました。

  アリストテレスの遺稿には、動物について、その発生の仕方や運動の仕方などを、観察した結果や資料や、考察した文書があり、また、風や雲などについて、やはり観察や考察を行った文書がありました。こういう一群の文書は、「自然現象」に関して述べているので、これを、「自然についてのもの(ピュシコン physikon)」と呼んだのでしょう。こういう本が複数あり、これらをまとめて、「自然についての事々(諸本),physika」と呼んだのです。

  アンドロニコスの配列で、今日『形而上学』と名付けられている本は、この「自然についての諸本(ピュシカ physika)」の「後に」置かれていたのです。「ピュシカ」というのは、「ピュシコン」の複数形です。

  「メタ meta」というのは、一般に、対格支配の場合、時間の後先の場合の「後」を意味する前置詞です(属格支配の場合、英語の with のような意味になります。対格支配の meta は、「後」とか、後に出てきた「超」というような意味がありますが、属格支配の meta は、そんな意味はないのです)。meta ta physika は、「自然についての諸本の後」という意味です。ta は定冠詞ですが、ta も physika も、どちらも「複数対格」形です。

  ta meta ta physika というのは、最初の ta は、定冠詞の中性複数主格形のはずです。または、定冠詞を名詞に転用している可能性があります。本は biblion と言い、中性名詞です。ですから、ta meta ta physika は、ta biblia meta ta physika の略である可能性があります。または、ta で、「中性のものもの」という意味の複数名詞でしょう。

  ta meta ta physika は、「自然についての諸本の後」ではなく、「自然についての諸本の後の諸本」という意味のはずです(違っているかも知れません。文法的には、こういう解釈になりますが、こういう説明は聞いたことがありません)。

  この場合、「諸本」というのは、『形而上学』というのは、本来、一冊の本ではないのです。現在、「巻」と呼ばれているものは、それぞれが独立した文書であったことは、内容を見たことがある人なら、当たり前のことです。つまり、『形而上学』という本は、複数の本を、一冊の本にまとめたとも言えるのです。

  『形而上学』と呼ばれている本は、ta meta ta physika と呼ばれ、その略として、meta-physika と呼ばれていたものが、meta-physika で、その本の扱っている主題、内容までも意味するようになり、ここから、metaphysika という学問名ができたとも言えます。

  最初の方で、アリストテレスの哲学の基本構想について述べましたが、顕現態としての感覚で把握できる事物の世界、つまり、自然世界についての観察や考察の著作、諸本がアリストテレスにはあり、これらを、「自然学諸本」と言ってもよいと思います。

  アンドロニコスの配列で、『形而上学』に当たる諸本は、この「自然学諸本」の「後に」置かれているのですが、何故、後に置いたかと言えば、学習の順序として、まず、感覚的に把握される、この世界・自然界についての論考があり、その次に、顕現態としてのこの世界の諸現象や現れの根拠を説明する、叡智的なレヴェルの論考の本、つまり、形を越えた世界についての考察の本、実体の潜在態や本質的ありようと、それがどのように、顕現態となるのかを論じた書物が来るという順序で、「自然学諸本」の「後に」置かれているのだと言えます。

  しかし、上の説明で、考えてみると、「自然学」というのは、アリストテレスの学のシステムからすると、もし、実体の潜在的構造、叡智的了解や知識の位相の学問が「形而上学」なら、自然学はまさに、「形而下学」と呼べるということになります。

  認識の展開や、学習の順序として、形而下がまずあり、その後に、形而上が来ると言うのは、自然なことです。形而下の世界についての考察が、「自然学諸本」であり、その次・後が、「形而上学諸本」というのは、アリストテレスの哲学構想からしても自然であり、アンドロニコスの配列意図と、「形而上学」という訳語の起源は、ここで平行して来ます。

  従って、形而上学という訳語は、形而下学の後の学という意味でもあり、この訳語は、アリストテレスの哲学で言えば、一つの意味に収束して行きます。ta meta ta physika を訳すと、「形而上学」という訳語が出てくるのだとも言えるのです。physika は、「形而下学」の意味になるからです。



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