■第六集
![]() |
![]() |
・Side-1(33'43') 茶漬えんま (小佐田定雄 作) 昭和59年5月11日 大阪屋ホール ・Side-2(26'51') 替り目 昭和59年2月21日 鹿児島医師会館 |
下座 (三味線)森キヨ子 桂枝代 (鳴り物)桂九雀 桂雀司 桂む雀 |
解説・小佐田定雄
茶漬えんま
「三題噺」というのがあります。お客から題を三つもらい、それを織り込んで一席の落語にまとめ上げる
ものです。有名な例では、「小室山の御封」・「玉子酒」・「熊の膏薬」の三題を三遊亭エン(国構えに員)
朝がまとめた「鰍沢(かじかさわ)」、同じくエン朝が「酔っ払い」・「芝浜」・「財布」を一席にしたといわれる
「芝浜」があげられます。
「茶漬えんま」をこの伝で申しますと、「茶漬」と「閻魔大王」の二つの題からなる「二題噺」ということに
なりましょう。この二題のいわく因縁につきましては、枝雀師がマクラで述べておられますので、ここでは
説明をさけておきます。なんと不精な解説ではあります。
実は、この「茶漬えんま」には兄貴が二人が居るのです。長兄の「茶漬えんま」は、昭和52年8月4日に
大阪の北御堂の和室で開かれた「第7回枝雀の会」で上演されました。枝雀師の自作自演で、あら筋を
御紹介しますと、
閻魔大王の家を訪れてみると、意外や大王は温厚なごくフツーの男。話を聞いてみると、あの世には
極楽も地獄もないのだという。ものごとに「念」を残すか否かが地獄と極楽の境だとのこと。「念」を残さ
ないためにはあまり上等なものを食べてもいかず、と言ってあまり粗食をしてもいけない、ちょうど茶漬
こそが「念」を残さない最良の食べ物だと教えられる。・・・・・・ところが、今までのやりとりは白昼夢の中
での出来事で醒めてみると見知らぬ人の家に上り込んでいる。事情を説明すると、その家の人が茶漬
をごちそうしてくれることになる。おかずの漬物がかなり豪勢なのを見て、主人公は茶漬を食べるまねだ
けをする。そのわけをたずねられると、「念を残さんように食うまねだけしてまんねん」
と言う噺です。途中で閻魔さんが語る「念」の講釈は、一種法談の趣があり、客席のお婆さんが数珠を出し
て拝んだという伝説(?)が残っております。
その「法談」の部分はそのままにして、前後を小佐田定雄が改作したのが次兄の「茶漬えんま」です。
昭和54年4月25日の独演会で上演したのですが、その5日ほど前に師匠が我が家を訪れ「今度の「茶漬
えんま」は、工夫を変えて演ろと思うてまんねん」とあのニコニコ顔でおっしゃいます。私が「ほォ、そらおも
しろそうでんなァ。どんな工夫です?」とたずねると、あの顔であの声ですこぶる朗らかに「サァ、それをあん
さんに相談に来たんです」・・・・・・。それから三日間、大うろたえにうろたえてこしらえ上げ、会の二日前に
完成したという文字通りのキワ物です。これも見せしのためあら筋を記しておきましょう。
白日夢を見てばかりいるので困り果てた男が叔父さんの家に相談に来る。叔父さんは相談のすんだ
あと「茶漬でも食べて行け」と勧めてくれる。ところが、その用意を待っている間にまたしても夢の世界
へ入っていく。夢の中で閻魔が茶漬を食べているところに行きあったので、その訳をたずねると「茶漬
こそ「念」を残さない食べものだ」と説明してくれて、茶漬をふるまおうと言ってくれる。男は夢の中で食
うよりはほんまに食べる方がいいと断る。目が覚めてみると叔父さんはごはんの都合で茶漬けが間に
あわないと言う。がっかりした男は、もう一ペン夢を見直すと言うので理由をたずねると「夢の続きを見て
閻魔はんの茶漬よばれて来ますねん」
この次兄を「茶漬えんま'79」、さいぜんの長兄を「茶漬えんま'77」とシャレで称したこともあります。
そして、このテープに収められているのが末っ子の「茶漬えんま'82」昭和57年1月5日の独演会で初演し
ました。前二作の改作というには、あまりに原型を残しておりませんが、この作につきましては小佐田定雄
作ということにしていただいている次第です。
替り目
最近になって師の持ちネタの仲間に加わった噺です。酔態のおもしろさだけでなく、夫婦の性合、そして
父娘の愛情がさり気なく描写されており、どうかするとついほろりとさせられてしまう噺です。
主人公がうどん屋をつかまえて話して聞かす「おっちゃんボウチ」のくだりは、東京では「うどん屋」という
噺の中にとり入れられています。大阪で「うどん屋」と言いますと「親子酒」の前半部分だけを演じる時の
題ですが、東京では「かぜうどん」のことを「うどん屋」と称します。なにやらうどんがもつれたようなややこ
しい関係ですな。
この噺は既に米朝師をはじめとして、福郎師、春蝶師、若手では枝雀門下の雀三郎さんが手がけて持ち
ネタにしています。「ひとさんが演ってはるネタを演る時は、何かひとつでも違う工夫を入れなければ世間様
に対して申し訳ない」という性格の枝雀師のことですから、オーソドックスな型とは違っているところがいくつ
かあります。まず発端です。オーソドックス型では、主人公が車屋(タクシーの運転手でやる人も居ます)
にからむところからはじまりますが、枝雀型では飲み屋からボチボチ腰を上げようとしているところから幕が
開きます。また、後半になってうどん屋が出て来てから、うどん屋にはほとんどものを言わせず、主人公の
ひとりしゃべりで持っていくというのも枝雀演出の特色です。
いずれにせよ、これからも変貌していく可能性の大きなネタです。
この噺を枝雀師がある落語会で口演したところ次の出番が松鶴師で「貧乏花見」。「貧乏花見」のサゲは
裏長屋の連中に弁当を横取りされて怒ったフウ(封に巾)間が、徳利をふりまわして文句を言いに行くので
すが逆におどかされ、「その振りまわしている徳利は何じゃ!」とすごまれて「お酒のおかわりを持って来ま
した」と言ってしまういうものです。「替り目」のサゲと似ていますね。こういうのを「つく」という状態で、演題を
前もって発表する落語でしたら主催者が気をつけて似たものが並ばないように調整しなければいけないので
すが、うっかりしていたのでしょう。松鶴師は少しも騒がず、「サゲ変えまっさ」とおっしゃって高座へ。楽屋の
連中が「どんなサゲやろか?」とかたずをのんで聞いていると、フウ間が徳利を振りまわしながら、「このボト
ル、キープしてもらおうと思いまして」。
・すいません私の感想です。
あなたはあなたまたわたしはわたし、わたしはあなたあなたはわたし、わかるかなわからん。別世界の
話は興味深々です。
酔っ払いは枝雀さんは本当にうまいですね。茶瓶のふたのつまみ。一杯呑んではちょっとつまみ。一杯
のんではちょとつまみ。